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日本史の上る下るって何基準で言われてるんですか?
例として、鎌倉時代で朝廷に仕えていた官人が鎌倉に下って、公文所の長官なったみたいな文の時に下るって使われていました。これが気になって質問しました。詳しい方教えてください

A 回答 (7件)

今は東京が首都です。

だから東京に向かうのが上がるです。それで東京駅が最も高いところにある、と冗談で言われます。昔は京都が首都でした。だから京都に向かうのが上がるです。鎌倉は単に武士の親玉ですから下るです。京都は地勢的に北が高くなっています。鴨川は北から南に流れます。だから北へは上がると言います。また、平安京では御所は都の北の端に近かったです、御所を尊んで北に向かうのを上がるという、との説もあります。東山区などは少し難しいです。主に山麓です。京都の常識に従って、北へは上がると言います。しかし東へも上がるという事があります。東山の坂を上がっていくからです。京都人はほぼ間違わないですが、地方の人は混乱するようです。
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都が京都にある時代は京都が起点。

京都に行くのは上る。去るのが下る。

今は東京で、東京に来るのが上る。
去るのが下る。

要は天皇の居る所が都ということね。
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畿内(関西圏)から江戸には、良いモノだけを持っていって売られていました。

そのため、江戸に持っていかれない良くないモノを『下らないモノ』と呼ばれるようになったとか。
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電車の上り、下りと同じ。



都へ行くのが上り、離れるのが下り。
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京都です。


戦国大名は上洛を果たすことが天下統一に繋がりました。京都の東半分が”洛陽”、西半分が”長安”と呼ばれていて、
戦国時代には東半分しか京都が栄えていなかったため、京都を制圧することを、上洛と言うようになっていました。

また、越や肥、備、羽、陸の旧国名も、京都を中心に近い方から 前・中・後 と名付けられていますね。
後や中が無いこともありますが
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天皇がいる都に行くことを上る、都から地方へ行くことを下ると言います。


鎌倉時代、天皇は京都にいましたから鎌倉へ行くことは下ることになります。
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現代では東京が基準ですが(上京するって言いますよね?)


明治以前は京都が基準です。
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