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平安時代に朝廷は死刑や軍隊を廃止したとされています。理由は「神道では血を扱うのはケガレであるから」だと、とある歴史の本にありました。一方で「明治以降の日本政府は神道を軍国主義普及の道具にした」とも書いてあります。神道って血は駄目なんですよね?教義と矛盾してると思うんですが、平安時代と明治時代で神道の教義がなぜ正反対に変わってしまったんでしょうか?

A 回答 (4件)

> 平安時代に朝廷は死刑や軍隊を廃止したとされています


たぶん、間違いです。 死刑はあったし、殺戮はあります。 戦争(エゾ攻め)もしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%90

> 神道では血を扱うのはケガレであるから
穢れという概念が強くなったのは、日本では平安時代に入ってきた仏教の影響です。 死を避けるべきものという観念は仏教の影響と言うよりももっと前からあって、そのために仏教の僧も死や葬儀には参加しません。 もちろん神も死には基本的には関係ないです。

> 神道って血は駄目なんですよね?
なにが神道なのか、そこが問題だと思います。 神と呼ばれるものの一つに八幡神がありますが、軍事戦役攻撃の時に戦勝祈願する神として平安時代の初期から後世では武人の信仰を集めました。江戸幕末に志士達がよっていたのは復古神道ですから、血がダメということはないでしょう。
こんな話もあります。
https://nihonsinwa.com/page/593.html
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12094667801.h …

> 明治以降の日本政府は神道を軍国主義普及の道具にした
血とか穢れとかとは、関係がないことです。 信仰の内容も関係ないです。 単に天皇を頂点にする中央集権制を強固にしようとしたに過ぎません。 軍国主義普及の道具・ツールに神道がなれたのかは、疑問です。
軍国主義について、次のような説明があります。(他にもあるでしょう)
「軍国主義(英: militarism)」とは「戦争を外交の主たる手段と考え、軍事力を最優先する考え方ないしイデオロギー」とのことである。「軍事力を国家戦略として重視し、軍事力の増強のために、政治体制・財政・経済体制・社会構造などを集中的に投入する国家体制や思想」を意味する。軍事主義(ぐんじしゅぎ)とも呼ばれる。
軍国主義が支配する国家においては、「軍人が高い社会的地位を占め、教育・文化・イデオロギー・風俗習慣などが、軍事的な特徴を帯びるにいたる」という。社会全体が、軍事的に編成され、社会のすみずみに軍隊的精神、ものの考え方が浸透し、国家全体がまるで兵営のようになる。
中央トップへの依存的心理は強硬策が生まれる土壌を強くするのは確かです。 現在世界各地でトップへの依存とともに極端な強硬路線、自国第一の強硬策をもたらしているのと同様に、天皇を頂点にする思考は軍国主義も起こすことになるでしょう。 だから、GHQは、神道指令「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」をだしたのだと思いますが、世の中には、例えば、英国国教会、ローマカトリック、イスラム教国、アメリカのような公共宗教があっても、軍国主義の普及には使えないでしょう。北朝鮮などは特に宗教ということを利用しなくてもトップ依存を高める中で軍事第一を実現できています。 日本の各地の忠魂碑の多くは神社にあると思うのですが、神社などなくてもあまり変わらなかったのではないかと思います。 教育勅語や教育体制、徴兵制、官僚制と公務員優先、警察の利用とか、産業経済政策で、十分に軍国主義は出来ていけたと思います。 死や穢れ、血のことが、軍事重視の障害になるようなことはないと思います。
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私は、日本書紀は読んだことがないのですが、古事記と万葉集を読む限り、上代からの天皇の諡号を決めたのは、淡海三船という、天智天皇の孫で、天武天皇以降のことです。



その頃には、早くも藤原氏が台頭していて、女性天皇・幼少の天皇がたて続けに即位して、天皇の権力が非常に弱まった時期でもあります。都は奈良にありました。桓武天皇が京都に遷都して、現在のような”罪を洗い流す、清浄な”国家神道の系譜が確立されます。のち、天皇は、神道の司祭という立場で、政治は藤原氏に預けるようになります。

ですから、国威発揚のために国家神道を掲げるには、平安時代の神道は不適格であったと思われます。そこで、着目したのが、飛鳥時代以前、渡来系の曽我氏が台頭するよりも前、生え抜きの物部氏と大友氏が軍事の中心であった時代の、大王と呼ばれていた時代です。大王たちは、司祭というよりも、政治家であり、権力を誇っていました。

万葉集の編者といわれる、大友家持の歌です。これは、明治時代には、準国家とされていました。

海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね
山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね
大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ
かへりみはせじ
(長閑のどには死しなじ)

天皇家に本当の権力があった時代を、明治政府はお手本にしたのでしょう。
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平安時代に朝廷は死刑や軍隊を廃止したとされています。


 ↑
公家達は血の穢れを嫌い、侍という公家に仕えて
いた人達に軍事を委ねました。
それ以来、武士を侍、と呼ぶようになったのです。



理由は「神道では血を扱うのはケガレであるから」だと、
とある歴史の本にありました。
 ↑
ハイ、一般にはそう言われています。



一方で「明治以降の日本政府は神道を軍国主義普及の道具にした」
とも書いてあります。
 ↑
欧米列強の侵略に対するため、日本人を一丸と
する必要があったのです。
国民を一丸とするため、欧米がキリスト教を
利用していたのに倣った訳です。



神道って血は駄目なんですよね?教義と矛盾してると思うんですが、
平安時代と明治時代で神道の教義がなぜ正反対に
変わってしまったんでしょうか?
 ↑
神道にも色々あります。
平安時代の神道は原始神道と言われているもので
自然発生的に誕生した宗教で、非常に素朴なモノでした。

それが幕末から明治にかけて、欧米列強に対抗するため
国家神道、神社神道という神道を採用するように
したのです。

天皇は本来は神主みたいなものですが、
これでは弱い、というので天皇を神格化した
神道にしたわけです。

高杉晋作等が上海に出かけたおり、奴隷化されている
中国人を眼にして、明治維新をやった訳ですが、
何としても奴隷になどされないぞ、という
涙ぐましい努力の結果です。
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その「とある歴史の本」の記述を盲信する理由がわからない。

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