単二電池

ニーチェはキリスト教の作った道徳はただの弱者のためのルサンチマンであり、奴隷道徳に縛られない強者である超人の君主道徳こそが正しいと言っています

A 回答 (6件)

よろいしかったら 参考にどうぞ。



【Q:《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9935080.html?isShow …

☆ lupan344 さんとわたしとのやり取りをおすすめします。
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物質科学隆盛の解放感からの勢いで


伝統との売り言葉に買い言葉的対立に地滑りが起きて
収集がつかなくなった過程で表出せざるを得なかっただけで
本来は揺らぎで抑えて妥当性に向かうべき暫定的な要素の一つに過ぎない
考え方だったんだろうと思います。
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ユダヤ=キリスト教は、支配者に対して、支配される立場から、発された宗教だから。

例えば、バビロニア王国に対する奴隷身分のユダヤの民、あるいはローマ帝国に対する、弾圧されるキリスト教徒と言うように、支配、弾圧される立場から発生した宗教であるから、弱者の宗教、奴隷道徳と、ニーチェが歴史的観点から、ユダヤ=キリスト教を、そう呼んでいただけです。
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聖書に:


▲ (パウロ:コリント後書 3:6 ) 文字はころし 霊は生かす
☆ とあります。

すなわち:
〇 文字なるお手本ないし倫理規範つまり道徳は〔ひとの自由に対して
或る種の制約とも成って〕ひとをころし 感性や理性を超えた霊性が
ひと〔の自由〕を生かす。

☆ と言っています。

(いわゆる組織宗教としてのキリスト教は 教壇から説教してあたかも
戒律のごとく倫理のお手本に従いなさいと言っているかも知れませんが
それは 聖書の精神とは まづで違います)。


かくして フリッツくんは イエス・キリストないし聖書について何も
知らないのです。



聖書を別としたかれ自身の思想として述べているとすれば まだしもで
すが もし聖書ないしキリスト・イエスを問題としているのであれば
的外れもいいとこでしょうよ。要するに 二―チェの著作は アホの見
本です。



取り上げるに足るところは これっぽっちもありません。
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自由だから、何をしても自由。



しかし、自由を満喫出来るためには
資格というか能力が必要なのです。

そういう資格、能力の無い奴に自由を与えたら
どうなるか。

何をしていいか判らない。
探している間に人生の幕が下りてしまった。
俺の人生、何だったんだ?

選択したけど、それが正しいか判らない。
あれこれ迷っている間に歳をくってしまった。
俺の人生、何だったんだ?

そうした資格、能力の無い人間に自由を
与えたのが民主制です。
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好きよ。



来世は天国へゆくなんて、幻想に逃げ込んではいけないのよ。

それから、「今はダメだが、次回は頑張る」という思想もダメだって事を『ツァラツストラ』で言ってるのよ。
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