A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
先行きとは自分で設定するものです。
希望とは自分で創造するものです。
転がっているものではありません。
人にすがる人は哀れな最期を迎えます。
自分で頑張った人は「やることはやった」と自らを慰めることができます。
仏教では「自灯明法灯明」といいます。
キリスト教では「神は自らを助けるものを助ける」といいます。
アメリカの場合、ケネディの演説「諸君は国が我に何をなすかを問うな。我が国に何をなすかを問え」です。
No.4
- 回答日時:
全てにおいては、あなた自身が『どうしたいのか??』です。
ましてや70歳を過ぎたのであれば、人生の最終段階です。
もう、自身の事をどうこう考える前に、少しでも他人のために生きたら
良いのではないですか。
今までのあなたの経験において、何かしら他人の役に立つ知識や経験は
お持ちだと思います。
No.3
- 回答日時:
桜などの樹を思い浮かべてはいかがでしょうか
桜は自然が創り出したもの
自然が創り出したものならどんな物でも、(自然の)真理が貫いていますから、
桜に現れている真理があなたにヒントを与えてくれるかもしれません。
春、寒い冬を乗り切った桜は花を咲かせます。
やがて花から葉に代わり、夏ともなるとそれらは青々として樹に栄養を送っています
しかし、秋再び冬が近づくころになると葉は変色し徐々に栄養を作り出す能力を失っていきます
やがて、葉は落ち葉となり、分解されて樹の養分となります
このようなサイクルを繰り返して、葉は新陳代謝をしますが、大元の樹は永く生き続けるのです
着目すべきは、葉は生きている間は勿論、死してなお木を支える働きをしているという事です
樹を人の世(人類)、葉を個人 と見立ててみてはいかがでしょうか?
人間も真理の中に生きる生き物、
桜を貫くのと同じ真理が人間にも貫いているとしても、なんら不思議は有りません。
桜の葉のように、生きても死んでも人の世(大元)のために、いささかでも貢献しようという気持ちを持てばそれは真理にかなう生き方なのかもしれません。
昔からの歌にもこういうのがあります(誰のものかは分かりませんが)
「さなきだに、真の道にかないなば、祈らずとも神や守らん」(・・・真理に即した生き方をしている人にはご加護がある)
正しい道に生きれば、満たされる という事なのかもしれません。
無理をしてはいけませんが、
どうしたら正しい道に生きられるか、
ほんの少しでもいいから人の世に貢献できるか
ということを考えてみるべきなのかもしれません。
No.2
- 回答日時:
希望が何なのか分からないので言いようが難しいです
希望が持てない理由も分からないし
どうなれば「良い」状態だと認識するのでしょうか
経済状況の話題ですか?
それとも健康問題?
人間関係?
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