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50を過ぎた方に質問です。

自分が子供時代や若い頃、死ぬことがとても怖かった。
私に限らず、周りの皆も、死ぬ事が恐ろしくて恐ろしくて仕方ないのではなかろうか?と、思っていた。

だから、祖母や、多くのお年寄りなどが、「もう、いつお迎えが来てくれても、全く構わないわ。」とニコニコしながら話ている事が不思議でならなかったのだが……。

自分が実際にお年寄りと言われる年齢に差し掛かってみて、その理由がだんだんわかってきた気が。( ◠‿◠ )
で、なんのことはない。実際に私もよくそう呟いている(笑)

多分私が思うに、歳を重ねれば重ねるほど、こっち側の世界よりも、あっち側の世界の方に、徐々に尊敬する人や愛しい人や、逢いたい人が増えてくるせいだと思う。

後はやはり、時代の移り変わりによる、あまりにも激しい環境や景色の変化、人々の心の在り方へのギャップ等に、どんどん失望感や虚無感の方が増えていくせいだと思う。

私も大好きな人や尊敬出来る人は、こっち側よりもあっち側の方が多くなった。


あなたはまだ死が怖しいですか?

質問者からの補足コメント

  • お礼が遅れておりますが今しばらくお待ち下さい。
    明日か明後日には徐々にお礼を書き始めて行きたいと思っていますので。(^^)

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/17 12:08
  • 五年生存率五分五分と言われたのは、私が四十チョイくらいの時の事です。(^^)

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/18 09:03
  • も少し人生を楽しつくさないとね→楽しみつくさないとね。だわ。今回は、み抜けだったorz

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/18 21:40
  • 私の好きなシャンソンの中に「生きる」と言う曲があるの。
    良かったら聴いてみてくださいな。( ◠‿◠ )

    本当は違う人の歌で、良いのがあるんだけれど、歌詞が出てくるのは美川さんの歌だけなので……。

    中々良い詩です。



    今の私はこんな心境かもなぁ……。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/18 22:42
  • 三番までの歌詞がわかるものも見つけました。
    原曲はシャンソンなのでフランスの方の歌です。

      補足日時:2019/11/21 06:24

A 回答 (7件)

子供の頃、死はとても怖かったです。


酷く突き詰めて考えると心悸高進になったものでした。

若い頃は、思い煩いが酷くて「死への愛着感ってこうして持つのかな?」と思ったものです。

でも、歳をとると死は、慰めにも思えてくるのです。
体は老化するし、人生も思うように行った人のほうが少ないでしょう。
逆にいつまでも生きているとなると・・・言う事も多くなってしまい、現実的に成立して来なくなるでしょう。
それは様々な意味での破綻を意味します。
人間はいつの日か「死があってくれて、良かった」と思うようになります。
人間は万能ではなく、限界があります。
脳の中の物理的な限界、法と社会に照らし合わせた時代的限界、肉体的衰えにみられる身体的限界、そのような限界に合わせて社会の中での各事業も行われていたりします。

人間はある日「自分は使い捨てなのだ」と気が付きます。
「使い捨ての身のだ」と。
時代に人間という個体を順応できる範囲から射程するように作られている存在です。
だから、人は子を残すのです。
しかし今この国ではそれがどうか?
未来に希望を見出せない人を国は多くつくり出し過ぎてしまいました。
子世代が不幸になるとわかっている親が子を設けるでしょうか?
そもそも親になる前に、親になろうとするでしょうか?
親になろうと思えない人を国は多くつくり出し過ぎてしまいました。
親にならないんだから、それ以前の、そもそもの交際をするでしょうか?
この格差社会日本は、交際すらも諦める人達を多くつくり出し過ぎてしまいました。
そのような時代が続くこの国に生まれる人の不憫を鑑みて、多くの事を諦める人達が増えています。
子孫を設ける事・結婚する事・恋愛する事・交際する事・出会う事・人間として最低限の生活が維持できる事・そうしたものを諦めなければならない人が増えています。

国は、対策をしている振りはしますが、結果を出せていません。
何故ならば、振りだけして実質的な取り組みは面倒だからしたくないが本音ですから、結果が出てくるわけがありません。
問題に対する姿勢・対策に対する本気度は、5点/100点程度ですから。

「もう、いつお迎えが来てくれても、全く構わないわ。」と思える親や祖親は未だ子がいますよね。
今の人は、多くを諦めなければならない世代で、自分が生きて行くだけで精一杯なのです。

子供も、家族も、結婚も、交際も、恋人も、住宅も、車も、3食の食事も、今の時代は皆贅沢品なのです。

https://otonanswer.2xx.jp/wp-content/uploads/201 …
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この回答へのお礼

idonoyokoさん、以前から貴女(女性だと思い込んで居るのですが間違いならごめんなさい)のお名前はよくお見かけしていました。
ビートルズファンでもあるので、特に印象深いです。

真摯なご解答、心から感謝すると共に、貴女の一字一句の全てに痛く深く共感しています。

私も今の日本の在り方にも地球全体の在り方にも、生易しくはない危機感しか感じられなくなりつつあります。
まるで、大昔に聴いていたKing Crimsonのエピタフそのものの世界になってしまったようです。

自然界に限らず、増え続ける貧困や諦め族や絶望族。
頑張りつつも全く報われぬ健気な人々……。
打ち砕かれる夢や希望。
心が荒み、持っていき場の無いようなやり切れぬ怒りや絶望や焦燥感を抱えて、途方に暮れている人々がどんどん増え溢れていってる気がします。

嘆いても叫んでも憂いても、こんな底辺に居る私などには何ひとつ出来る事もなく、ただただ、この細やかな暮らしに〝足るを知る〟の幸せを噛みしめながら、少しでも心を腐らせず、何かしらの感動を広い集めながら、余生を真面目に生きざるを得ないんだなぁ……と。

最後の一コマ漫画のような時期が私にもありました。(^^)

お礼日時:2019/11/18 07:48

私は中学くらいの時かなぁ、生にしがみついてるのが汚ならしく感じられ、「太く短く」が潔いと思えて、自分の人生60位でよい、と思う様になり、こういった類いの話になると、そう話してきました。



ここ数年子ども達と車の運転で、だったか、いや、お母さんまだ死にたくない、まだやりたいことがある、といった会話を何回かしました。

仕事での不完全燃焼とでもいえるか、こんなことのために生まれてきたんじゃない、という思いが強いかな。

せめてこれだけはしたいもの(生まれてきた甲斐)がまだできていないので、それができるまでは生きていたい。

死が怖いか怖くないかは余り考えたことはないかな。

できるだけ、無駄なものは整理して、子ども達が後の整理に困ることがないようにしたい、とは思っています。
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この回答へのお礼

ねんねんころりさん、お立ち寄りありがとうです(๑^ ^๑)

私の家計は(父系も母系もで、特に母系は尚更)短命一族で、祖父は確か60前に走行中の電車のドアが誤作動で開き、落下死を遂げると言う壮絶な事故死を。
祖母は映画の撮影所で腹膜炎で倒れ、そのまま搬送先の病院で帰らぬ人となったらしいですが、確かまだ40代になったばかりの頃のはず。
祖父も祖母も母の残した写真やネットでしか顔を見た事がないです。

私の実父は私が19の時、まだ46位で。
母は平成2年に62で。
伯母や従姉妹等も若くして亡くなった人間が多いの。

なので、若い頃から不摂生な暮らしをしていた私故、こんなに長生きするとは思っても見なかったわ。(^^;;

私も出来ることなら、少しは生きた痕跡みたいなものを残してから死にたいけど、難しそうだなぁ
多分何も出来ない内に息絶えそうだわ(・・;)(^^;;

お礼日時:2019/11/19 15:09

まだまだ


死は
((((;゜Д゜)))ですね

幸福をいっぱい食べたら
満足して

あの世なんかを
考えれるのかな?

でも
幸福を満足に
食べても

まなまだ
食べたくなるのも
あるもんね

死って
悩んでも
必ず在るものだから

深くは考えてないですよ~


生きるだけ
生きてます!
ワラワラ( =^ω^)
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この回答へのお礼

やっと少し時間が空いたので……。♪( ◜ω◝و(و "

わしちんはまだまだやり残したものだらけだし、食べ残したものだらけだし(笑)
あっちゃに行くにはあまりに早い。
も少し人生を楽しつくさないとね。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

私もまだ作りたい料理や、書きたいことや、やりたい事が少しだけ残ってはいるから、もう少しだけ粘ってみるつもり。(๑>◡<๑)

多分人間は、何かしらの欲が有る内は生きていたいものなんだろうなぁ。

食欲
金欲
性欲
睡眠欲
出世欲

私に残ってるのは睡眠薬だけかも^^;

お礼日時:2019/11/18 17:13

★多分私が思うに、歳を重ねれば重ねるほど、こっち側の世界よりも、あっち側の世界の方に、徐々に尊敬する人や愛しい人や、逢いたい人が増えてくるせいだと思う。




私も、違うと思います。
特に「人々の心のあり方」は、変わっていないように思えるのです。
「おもいやり」の5文字は、みんなが昔の人たちのように心の奥底に持っているって。
「今時の若者は…」という感覚でなく、「まだまだ捨てたもんじゃない」って思ってます。

やはり、私も「感謝の念」だと思います。
先に逝ったクラスメイトの何倍もの人生をもらえて、たくさんの喜怒哀楽を感じられた。
【感謝】しかないです。

これから先の「一分一秒」の未来が、楽しみです。
いつまで味わえるでしょうか。
大好きな人、尊敬できる人は、「こっち側にたくさんいます。」
「くみちょー」も、その中の一人です。

恐ろしいのではなく、もう少しこちらにいたいという気持ちが勝っています。
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この回答へのお礼

hyakkinmanさん、← 真面目な話題の時はちゃんとお名前を書かなければですからね。

私はご存知の通り無宗教者で、チョット不良で、あまり生きることに執着は無いのですが、かと言って世捨て人という訳でも、この世の中を儚んでる訳でも、この世に懸念はあっても不満がある訳でもないのです。

一体何がしたいのか⁉️と言われると、取り立てて何もなく、でも、このままダラダラ生きているのも嫌で……。

ただ、もう出来ることも年々なくなりつつあり、あまり長生きはしたく無い。と言うのが正直な気持ちです。
自分で自分の面倒や始末がつけられる内にあちら側に行きたいです。

SF映画のような話ですが、もしもこの先、何かとてつもないような天変地異でも起きた場合の為に、とかで、希望があればいつでも服用さえすれば、安らかに苦しみもなく永眠できる薬が配られるとしたなら、私は今すぐに飲んでも構わないと思えるほど、思い残す事がないのです。

全年を通し、貧しくはありましたけど、感動や面白い出来事が多い、類稀な人生を歩めたと言う満足感があります。

此処でも、リアルでも、hyakkinmanさんや組長はじめ、数知れぬ心麗しき変人たち(笑)と出会え、その時々の楽しく面白く、愛しい時間を共有してきました。
だから、未だに残っている人々も、これから出会う人の中にも、もちろん大好きになりうる人はまだまだ居るのだとは思うのですよ。(o^^o)

でも、もう、充分に、どらまちっくで色とりどりな人生を歩めたと……。( ◠‿◠ )

手足が丈夫で、口もきけ、自分で自分のケリが付けられる内に、あちら側に行きたいなぁ。

痛いのや苦しい時間が長いのだけは嫌なので、出来ればピンコロ願望はありますけどね。

お礼日時:2019/11/18 09:41

多分私が思うに、歳を重ねれば重ねるほど、こっち側の世界よりも、


あっち側の世界の方に、徐々に尊敬する人や愛しい人や、
逢いたい人が増えてくるせいだと思う。
 ↑
違うと思います。
それではあの世を信じていない人の説明が
出来ません。

諦念です。

人間は必ず死ぬ。
過去、そこから逃れられた人間は独りと
してい存在しない。
どんな偉大な人間もいつかは死ぬ。

何十年にも渡って醸成された
感情です。



エリクソンの老年的超越理論というのがあります。

超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。
これによれば。

たとえ寝たきりになっても、90歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、
百差を超えると、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれる。

そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。
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この回答へのお礼

tanzou2さん、おはようございます。(^^)

いえいえ、あの世(有るか無いかは私も死んでみないことには半信半疑です)に行けば好きな人達に会えるから。と言う意味ではなく、もしもあの世があったとして、今この現世にいる人達よりも、既に旅立った(亡くなった)人達の方により多く、大好きだった人々や尊敬していた人々が増えつつあると言う意味ですよ。

後、死に対し私は少し一般の方々とは違う捉え方をしているのかも知るません。

過去二度ほど死にかけた(事故と病気で)私は、五年生存率は五分五分と言われており、それで良いと思っていたのですが、まだこっちに来るには2〜30年早いわ‼️と追い出されてしまい、こんなに長いオマケの人生を与えられてしまったのだと……。

オマケを頂いた以上は、少しでも楽しみながら少しは役立ちながら、生きたいものです。(o^^o)


話は変わりますが、此処には、時々、死にたがりの方々をお見掛けする事が。

単にボヤいてるだけの人。構って欲しい人。何かで慰めて欲しい人。叱って欲しい人。深刻な人。本当に絶望しかない人……様々なんだと……。

そんな時に、よく回答の常套句で目にするのは。

生きていれば必ず良い事がある。

あなたが捨てようとしている命は、生きたい!生きたい!!と言いながら死んでいった人の命と同じ。

あなたを必要とする誰かを悲しませてはいけない。

チョット無責任だなぁ……といつも思う訳で……。

確かに其々の言い分、わからなくは無いのです。

でも、生きる意味を見出せぬ程までに、傷付き、ボロボロで、どうしようもない人々の苦しみも、私には解るのです。
多分、二番目の人達は、生きていた時が本当に幸せだった人々達なのでしょう……。
まともな愛情や友情や優しさに触れ、楽しい生を生きてきた人々なのだと……。
だからもっと生きたい!!と切なる気持ちを抱きながら止む無く死んで行かれたのかと……。

命の価値は同じかもしれませんが、生き様や環境は人それぞれ全く違うのかもしれないなぁ……とも思ったりします。

秋葉原の事件で自殺された犯人の弟さんの言葉が胸に突き刺さったまま、頭にこびりついています。

死ぬ理由に勝る生きる理由がない。

コレをみたら尚更無責任な事が言えなくなりました。
増してや説教など余計に。

最後暗くなりましたねごめんなさい。(^^;;

お礼日時:2019/11/18 08:46

父が亡くなった時、初めて親と言うものが永遠の存在ではないのだということを肌で知りました。


喪失感でいっぱいの時に、街へ出て、みんなは当たり前の日常を生きていることに不思議な気持ちでした。
そんな風にだんだん歳を重ねていくにつれ、親たちや身近なひとの死を見聞きすることが多くなります。
死は未知のものではなく、実は非常にあっけなく、日常的なものだという認識に変わって来ている気がします。
保険会社のCMではありませんが死は「万が一」どころか「二分の一」なのです。
でも、自分の死は怖くなくなる代わりに、自分を失った後の家族のことが不安だし、別れるのがつらくなって来ます。
お金も地位もない自分が、何を残してあげられるのか・・・そう考えると私に出来るのは自分の「思い」と「笑顔の思い出」を託すことだと思いました。
何気ない毎日がとてもしあわせなんだということを、子供たちの心に残してあげたい。それが彼らの未来への「栄養」になるのではないか・・なんて。
健康でいなくては・・そう思うのですが、毎日酔っぱらって家族にひんしゅく買ってます(苦笑)。
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この回答へのお礼

yuripinoさん、ご解答ありがとうございます。(^^)

yuripinoさんは女性ですか?

人間は生まれた以上必ずいつかは召される訳ですものね。
私は生まれる事と死ぬことが、人生の最大の二大イベントみたいな気がするのですが。
その割には何故か死っていつまでもタブー視されてる気がしてなりません。


そうですね……。
死は本人よりもきっと周りを哀しく、苦しくさせてしまうものなんでさょうね。(^^;;

子供には、金品や財産よりも、色んな思いや気持ちを残してあげたいなぁと思いますよね。(^^)

>健康でいなくては・・そう思うのですが、毎日酔っぱらって家族にひんしゅく買ってます(苦笑)。

私も酔うまでは飲みませんが、週に2〜3日は必ず晩酌を。
良いじゃありませんか。程度を踏まえてお飲みになるなら(^^)
今まで頑張って生きてきたご褒美ですよ。

お礼日時:2019/11/18 06:54

>>多分私が思うに、歳を重ねれば重ねるほど、こっち側の世界よりも、あっち側の世界の方に、徐々に尊敬する人や愛しい人や、逢いたい人が増えてくるせいだと思う。



それに加えて、「腰が痛い、腕が痛い、目が悪くなった」とか、さらに「寝たきり介護になってしまった」「痴呆が出てきた」となれば、とても生きるのが大変で、楽しみは減り、苦しみが増えるばかりですからね。
これに加えて「お金が無くなってきた」「入っていた介護施設が倒産した」などが加われば、ほんとにあっち側のほうが良く思えてきますもんね。

しかも、魂が肉体から抜けだせば、そんな体の不調も関係無くなって、自分が好きな年齢の姿(20代前半?)になれるし、食事も不要だからお金の心配もいらなくなるといいますからね。

>>あなたはまだ死が怖しいですか?

死はそんなに怖くはないけど、人生にやり残した感があるから、まだ、しばらくはこの世で頑張るでしょうね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりごめんなさいです。

そうですね。やはり、年齢と共に身体の不具合も付き物になってきますしね。(^^)

私はこの世に、まだそこまでの悲観とかはないのですが、やはり、好きな人や尊敬してた人が、徐々にあちら側に旅立って行くたびに、何だかこの世に取り残されてしまった感が拭えなくて……。^^;

そして、人間って一番楽しかったり、面白かったり、生き生きしていた時代を思い出しては、嗚呼、あの頃はまだまだ自然もいっぱいあったし、治安も良かったし、外で暗くなるまで遊んだものだよなぁ……とか。
あの頃の人間はもっと情熱的だし温かだったよなぁ……とか。
今の若いもんは……。
とかと心の中でボヤキを繰り返しながら生きてきたんでしょうね……。それが世の常ですかね。

いつの時代の人達も、自分の一番のイキイキしていた時代が、きっと最も大好きな時代なんだと思います(^^)

>死はそんなに怖くはないけど、人生にやり残した感があるから、まだ、しばらくはこの世で頑張るでしょうね。

そうですね。(^^)
私も夢があるのでもう少しだけ踏ん張ってみようかと。

お礼日時:2019/11/18 06:36

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