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いろんな人をこれまで見てきた、肉体労働をする人から単純労働、知的な仕事をする人まで
でも偏差値が高い人であればある人ほど、人との協調を選ぶより、人と競争して自分の勝分
パイを大きくするように努力しているような気がする。別にそれを否定するつもりはないが、
意外とそういう人は孤独で辛い気がする。私のあくまで感覚であるが、知的レベルが平均より
少し高いくらいまではより人と上手くやる方を選ぶ傾向にあるが、知的レベルが中程度から
高い人、あるいは極端に高い人は、人を見下げる傾向にあり、競争を常に繰り広げている気
がする。歴史をみると乱世であればある程、能力主義は強くなり、平和であればあるほど
人格の方が重きを置かれている。今は乱世と平和になろうとする力、両方が重なってると
私は思っている。
経済的に豊になる為のイノベーションが求めながら、高い道徳も求められている。今後
どっちの力が強くなるかは分からない、もちろん偏差値が高い=思考能力
があるとは限らないが、偏差値がある人は一般的に競争意識が高すぎて、平和の足枷に
なる気がしているが、みんなはどう思う。

A 回答 (7件)

それは中の上までだろうな。

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最近の傾向を見る限り、偏差値に限らずみんなマウントを取ろうと必至な感じがする。


偏差値が低いヤカラがあおり運転するのも同じロジックでしょう
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この回答へのお礼

なるほど、確かにそうですね。私も肉体労働をしてきた時にそういうマウントはありましたね!!
でもなんというか、偏差値が高い人の争いはもっと熾烈な気がします。

お礼日時:2019/12/11 18:28

霊長類の学術的観点からすれば、個人主義は、低次のレベルで、知能が高いほど、状況対応対策が個人レベルでできないのを認識してるから、分業協業という連携作業をします。

社会の持続性の原理も、他者との連携以外あり得ません。
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この回答へのお礼

確かにみんなと上手くやった方が得だとは思うのだけど、偏差値秀才は協力が下手な人が多い様に思います。

お礼日時:2019/12/11 18:53

天才エジソンs、その親友で、弟子の自動車王フォードも沢山のお弟子さん=従業員がいましたよ。

現ノーベル賞受賞者の背後にどれだけのお弟子さんや研究者がいるかを知るべきです。事を為すための、一人一人の超努力は必要ですが、一人=天才は、イメージです。
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この回答へのお礼

なるほど、貴重な意見、ありがとうございます。そうですよね、一つの大きな発見がある為には多くの人の知的な研究や努力が
必要ですよね!!私はそういう努力は否定はしていないのですが、なんというか過剰な自己意識による肥大が知的な能力が
ある人に今の世の中おおく見える気がしてしょうがありません。例えば、エジソンや自動車王を支えたのも沢山の従業員の肉体的な
苦労があったと思います。しかるに知的な能力がある人で自分の力だけでやっているように思っている、例えば政治家、拝金主義者など
が跋扈しているように思います。知識がある分、それだけ経済や政治に詳しくなるのでしょうね。それを下支えしている人の気持ちを
理解している人がどれだけいるのでしょうか?もちろんそれを理解している経営者などもいると思いますが、競争の為の競争が
多すぎて、庶民の感覚からずれてきている気がします。

お礼日時:2019/12/11 19:16

私がサイエンスライターをしていた18年前、中央区千代田区のサラリーマンが5時過ぎると、どっと、図書館にやって来て勉強してましたよ。

中央区千代田区のサラリーマンは、本社勤めの人が多いようです。生き残りや出世、業績のために、酒場に行かず、図書館に向かい閉館まで勉強しています。その風景こそ、リアルな真実です。
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生物学的観点で言えば数多のオスには競争原理が働きます


ですから人のオスにも当然競争原理が働きます
他の回答者さんの回答にある「マウントを取ろうとする」のは競争原理の現れです
一定程度以上の偏差値をただき出した人達により強く競争原理が働くとしたら十分なリターンが得られるほどの努力をしてきたからでしょ
その努力はそれ相当のリターンと釣り合いだからこそそれ相当のリターンが得られてはじめてその努力が報われるのです
しかしながら社会にでも出世と言う競争原理が働いている中で出世競走に負けてしまったら出世競走に勝つための努力が無駄になります
それそれがした努力をそれそれが無駄にしたくないからより高い競走意識を持つのでしょうね
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この回答へのお礼

オスとして競争原理が働くのは分かるのですが、もちろん私にもあります。しかし、自分が例え勝者でいるためには
自分を支える、ある面、敗者が必要だと思います。でも今の競争原理で勝とう、勝とう、とするあまり、その敗者の気持ちを
分かっていないと思います。そして敗者の
気持ちを分からずに真の勝者にもならないと思います。今 経済にしても実体経済から、かなり離れた、マネーゲームみたいな
状態もあります。例えば一つの商品を販売するにはいろんな人の努力が必要で、もちろん企画、開発からはじまり、営業、流通、商品を
作る人などいろんな人が携わると思います。しかし投資する人やいわゆる賢い人だけにお金が行くシステムそのものがおかしいです。
それを全部、競争で締めくくろうとすると、もう世の名に倫理のかけらもないです。私はそういう世の中がいやで、いわゆる頭だけで
やる社会は終わりに近づいていると思います。競争原理は否定しないですが、やりすぎだと思います。

お礼日時:2019/12/11 19:40

他人を思いやるには他人を思いやれる心の余裕が必要です


心に余裕が無く自分自身の事で精一杯の人達には他人を思いやる事ができないのです
だからこそ大事なのは「(人の)器」なのです
(人の)器が小さい方は心に余裕がありません
心に余裕を持たせる為に己の器を大きくしていかなければならないのです
このとこは私が若い頃職場の上司から教わりました
私が若い頃位までは「(人の)器」については語られる事がありました。
しかしながら昨今「(人の)器」については語られることは少なくとも私の周りではありません
私が述べている「(人の)器」が質問者さんが仰っている「倫理」に関わっているかどうかはわかりませんがあらゆる面において
「(人の)器」を大きくする事はとても大事な事だと私は考えています.
ですから私は職場の若い社員に対して「(ひと)器」を大きくしていきなさいと伝えています
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この回答へのお礼

大変勉強になりました。確かに余裕のない人に余裕を持てといっても、聞いてはもらえないですね。自分こそ、人に対して心の余裕を持てるように、日々、謙虚に生きたいです。ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 20:28

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