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後醍醐天皇は北条氏の鎌倉幕府を倒して
天皇中心の世にしようとしたんですか?

そのとき天皇側の味方についた足利氏がのちに台頭してくるという流れですか?



日本史
鎌倉時代
室町時代

A 回答 (1件)

詳しくは「建武の新政」のウィキペディアをお読みください。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%AD%A6 …

 鎌倉幕府を倒すと言うよりも、当時朝廷では大覚寺統と持明院統が対立していて、交互に天皇を出していたという時代です。
 大覚寺統の傍流から出た後醍醐天皇は皇位継承を巡って大覚寺統嫡流派(兄・後二条天皇の系統、後の木寺宮家)と持明院統派の双方と対立していた後醍醐天皇は自己の政策を安定して進めかつ皇統の自己への一本化を図るために、両派の排除及びこれを支持する鎌倉幕府の打倒を目指しました。

 実際に鎌倉幕府を倒すまでに即位してから18年もかかりました。本人も隠岐の島に流されたりしながらも、楠木正成、新田義貞、足利高氏などが後醍醐天皇について鎌倉幕府を倒します。

 そして「建武の新政」が行われましたがいろいろあって(このあたりはウィキを読んでください)足利高氏に裏切られるということです。その後後醍醐天皇は吉野に逃げ、60年続く南北朝時代に突入します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました(^^)

お礼日時:2019/12/16 16:42

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