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戦争で日本国民は300万人もの死者を出し、家は焼かれ、領土も失いました。そこで日本占領軍司令官マッカーサーは日本国民は天皇を処刑するだろうと考えました。

マッカーサーは、古代エルサレムの占領者であり、ローマ帝国の総督でもある、ポンテオ・ピラトの真似をしようと考えました。総督ピラトは「ユダヤ人の神」イエス・キリストを自ら殺すような愚かな事はしませんでした。同じようにマッカーサーも天皇を自ら殺したくは有りませんでした。

総督ピラトが、イエス・キリストを殺して、後々、恨みを買うのを避けたように、天皇を殺して恨みを買うのは賢明ではありません。

総督ピラトはユダヤ人を前に「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言い、ユダヤ人が見ている前で自分の手を洗い、私の手はこの男の血で汚れてはいないと言い、イエス・キリストの生死をユダヤ人に決めさせました。そうしてイエスの死の責任をローマ帝国からユダヤ人に転嫁しました。

総督ピラトの真似をしようと、マッカーサーは天皇に日本国内を「巡幸」させました。彼は天皇が日本国民に暗殺されるだろうと信じていました。ヒトラーが戦後、ドイツを旅すれば暗殺されるように、そしてムッソリーニがイタリア国民に処刑されたように。しかしそうは成りませんでした。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    現在でも昭和天皇には戦争責任が有ると言っている人が居るのですよ。ですから終戦直後には、そう言う人がもっと沢山居たはずです。何しろ戦争の被害をもっと生々しく感じていたはずですから。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/12/22 13:31

A 回答 (11件中1~10件)

天皇との会見後のマッカーサーは、昭和天皇の重要性を認識していた。


天皇の希望は可能な限り叶えていたが全国を行幸したいという希望だけは拒否していた。伊勢神宮や神武・明治・大正天皇陵への終戦報告のための参拝は公務の一環として認めたが、一般国民の中を体を晒しながらの行幸は、安全が保障できないことから拒絶しまくっていた。

それでも行幸したい、しなければならないという天皇の強硬な姿勢に、東京に近い横浜での行幸を実験的に許可した。
天皇には防弾チョッキを着てもらい、装甲車に乗ってもらうなど、至って物々しい護衛・警備つきだった。マッカーサーは、主の云う通り、当然、日本を悲惨な目に追いやった天皇を怒りの民衆が襲うに違いないと思っていた。だから米国大統領なみの警戒態勢を敷いた。

実際のところ、天皇が来たら石をぶつけてやると叫んでいた元日本人兵士などがいたのは事実だ。
そうでなくても、戦前に大韓民国臨時政府・光復軍の意を受けた朝鮮人が、昭和天皇の車列に爆弾を投げつけたテロ事件が発生したこともあった。当時の日本には、そういう朝鮮系の人々もいたはずだ。

結果としてマッカーサーの恐れは杞憂に終わった。石をぶつけてやると言っていた日本人はもちろん、朝鮮系の人々からの襲撃もなく、ひたすら歓呼・万歳の声で終わった。
そのうちに警備することさえバカらしくなったのか、装甲車両も防弾チョッキも消えてしまった。

主の云うように今以上に襲撃はあっても何の不思議もなかった。どうして何もなかったのでしょう。
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彼らは日本の歴史を全く理解していなかったのでしょう、錦の御旗がどういう事か天皇の存在とはいかなるものかをです。


大東亜戦争までは未だ侍と言う言葉が残っており、日本人の考え方は世界の人に分からないでしょうね。
アソコの国を攻めろなんて言うことは言わないだろうし、国民に死ねともいわない。
倫理と平和を願い国民の事を考えている神的存在であったことを理解しろといっても、選挙でどこの誰だか分からないものを大統領にして虐殺を行う民族には理解不能です。
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信じていたというか、そのような予想はしていましたね。

実際には起きませんでしたが・・

個人的にマッカーサーのような典型的なアメリカ人が天皇と会談して「天皇の人柄に心を打たれた」という事に疑問を持っていました。アメリカ人は君主制に対して否定的な人が多いからです。

で、あるときマッカーサーの君主制への見方の基礎が「マッカーサーの父親が、第一大戦の敗戦処理でプロイセンに出向き、プロイセン皇帝ヴィルヘルム2世が国民への義務を放り出して亡命したのを見届けた」ことになることを知り、一気に謎が氷解しました。

つまりマッカーサーは「日本の天皇もヴィルヘルムと同様、命乞いをして君主の地位を放り出して逃げるのだろう」と思っていたということです。
 ところが、昭和天皇は「私はどうなってもいいから(処刑されてもいいから)、国民に食料援助をしてほしい」とお願いし、マッカーサーからみれば晴天の霹靂であり、それで昭和天皇のファンになったようです。

この点については、日本側だけでなくマッカーサー付のアメリカ人士官も証言しています。

ただ、マッカーサーは日本国民の知識レベルや民主的な手続きなどをかなり誤解していたのも事実で、基本的には「日本人は識字率が低く教育レベルも低かったから、天皇を頂点に軍部が行ったプロパガンダに躍らされたに違いない」という認識だったようです。

だから、日本の教育改革のために識字率調査を行ったり、公職追放なども行って、民主的な改革をした、と思っていたし、だからこそ「民主化に目覚めた日本人は天皇を許さず殺してしまうだろう」という予測も持っていたわけです。

ところが、日本を調査してみると、識字率は下手すればアメリカよりも高く、国民は民主的な意識も持っており、公職追放もソ連による共産主義支持者の拡大という失敗を産んでいます。

当時のアメリカはマッカーサーを始めとして誰一人として「日本人の国民性を誰も知らなかった」のです。

で、当時の日本国民で「天皇を処刑すべき」と言っていた人はそれほど多くなかった、と私は推測しています。なぜなら、そもそも対米開戦自体が「正当な衆議院選挙によって選ばれた国会での議決」を経ているからです。

当時選挙権を持っていたのは男性のみですが、同時に男性は徴兵義務を負っていました。つまり当時は「自分たちが戦争に賛成する議員を多く当選させれば、開戦になって自分たちが戦場に行く」ということを熟知していた、ということです。

したがって、当時の国民(男性のみ)からすれば「戦争に負けたのは自分たちの責任」であって、天皇の責任を声高に言い募る人はそれほど多くなかった、と私は考えています。

だからこそ、戦後すぐの行幸に際して、多くの国民が支持したわけです。ただ、もちろん反対派の人も居たのは、むしろそれだけ日本国民の民主的な感覚が正常だった証拠だと思います。
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ここはあなたの思いつきの妄想を開陳する場所ではありません。

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米国が当初、天皇制を廃止させようとした、という


話はあります。

しかし、そんなことをしたら日本が内乱状態に
なるかもしれない、
また、台頭してきた社会主義に対する防波堤と
しての役割に期待して、天皇制を残したと
言われています。

このように考えると、天皇を暗殺させるために
行幸させた、というのは説得力がありません。
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>マッカーサーは天皇に日本国内を「巡幸」させました。



違います
天皇が巡幸したいと言い出したんです
それで天皇が殺されても仕方がない、と思っていました

でも、そうではなかった
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前提もどうなんですかね?爆弾を落としたのは米軍ですよ。

信じてとなるとさらに違うと思いますよ。
終戦直後というのは、まだ天皇支配による洗脳状態が強く残っている状況です。
今だからこそ、歴史の検証で天皇の責任も考えられますが、当時の大多数の日本人にはそんな発想は生まれないでしょう。
俺のオヤジは共産党の強力な活動家と言えると思いますが、そんなオヤジでさえ、戦争中はお国のためにと、赤紙が来る前に中学卒業、数え16才で志願して軍に入っています。まあ、その戦争経験が共産党の活動家になる大きな動機にもなりましたが。
しかも、天皇を暗殺すればマッカーサーが逮捕して処刑するでしょ?そこが見えてるのに、なぜ、マッカーサーの手先として生け贄にならなければならないのです?
ヒトラーは元々はただの伍長で戦時中にも何度も暗殺計画がありましたし、ムッソリーニもただの首相です。現人神とされていた天皇とは温度がまるで違います。
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戦争で沢山日本人を殺したのはアメリカ人であり、天皇暗殺よりマッカーサーを暗殺を企てた国民の方が遥かに多いですよ。



天皇がもし国民に嫌われているようであれば、処刑されて喜ぶはずです。

処刑されたら暴動が起こる可能性が危惧されたぐらい慕われていたと言う事。

今でも国民は天皇を尊敬していて、反対している国民は極一部です。

貴方の主張は思った、こうだの妄言ばかりで証明が出来ていません。

マッカーサーが本当にそう考えていたなら証拠やソースを提示してみては?
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>ですから終戦直後には、そう言う人がもっと沢山居たはずです


いるはずありません。現人神扱いでしたからね。
なのでマッカーサーも天皇を戦犯として扱わず、代わりに東條を人柱にしたんです。
天皇を裁いたら大変ということを知っていたんです。
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『処刑するだろうと考えました』


というのはどこから出てきた話なのか?

彼は日本駐在武官だった父親と共に日本生活したのてはなかったかな?

そういう意味ではただの米軍将官の中では、日本に対する認識は深かったね

だからその妄想は妄想でしかない
この回答への補足あり
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