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『こんにちは。実は最近悩んでいます。
みなさんは、生きている事など虚しいことだ、なんて考えた事はありますか?
思ったのですが、どうせ私達人間が、どれだけ努力をして社会に貢献し、文明を発展させたとしても、何万年後か後に人類が生き残っているなんて言う保証はないし、もっと未来の百億年ぐらい後には太陽系すら消滅しているのだから、巨大な宇宙に比べて一人の人間の存在なんてちっぽけなものにすぎないのではないでしょうか?圧倒的な虚無の前には、人が生きている意味など皆無に等しい。ましてや、意味や概念などは、人が生きるために作り出したものではないか?そんな風に考えていると、かつては美しいと感じていた正義とか愛、自由や平等といった数々の理想が、全く信じられなくなってきます。信仰する宗教でもあればそこに逃げ込めるのですが、残念ながら無神論者です。最近では、自殺も考えます。生きている事が苦しみの連続なら、むしろ自ら命を絶ったほうが幸せではないでしょうか?だいたい、私が今日死ぬのと、明日死ぬのと、どれほどの違いがあるというのですか?家族が悲しむ?そんなの、ささいな問題です。あ、でも一人で死ぬのは癪だから、道連れに大量殺人でもしてやろうか、なんて考えています。』
といった感じの、虚無主義にはまった鬱病患者が知り合い(友人とは呼びたくないが)にいて困っています。彼を説得して人生に対して意義を見出させるにはどうしたらよいでしょうか?それともこんなアナーキストみたいな奴、ほっといたほうがいいのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

現実逃避したいだけみたいですね。

害がないならほっときましょう。

しかし、人の命を軽視しているのは許せませんね。(怒々

僕は
『生きたくても生きることの出来なかった命(病気や事故等)』
『生まれたくても生まれることの出来なかった命(中絶・流産等)』
この事を考えると『生きる』ことの責任感を考えてしまいます。。。
「辛くても、自分で命を絶つようなことをしてしまっては申し訳が立たない」
なんて思いますが、こんな事を言っても『俺には関係ない』で済まされそうですね。(T_T)

もし。彼が本当に「もう、どうでもイイや」と思っているなら
『傭兵になって、激戦地の最前線』に行くことをお薦めします。
「生と死のギリギリのライン」を経験すれば何か変わるような気がします。
まぁ、単に「やる気が無い」のであれば『馬の耳に念仏』でしょうけどね。。。

ちょっとしたことでも良いから『生きがい』を見つける気になってくれると良いのですけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ご指摘を受けたとおり、私も彼が本当に自殺する気があるとは思ってません。
それだけに、ただ単にかまって欲しいだけのパフォーマンスなのではないか?と思うと、なんだかわざとらしくて腹がたってくるのです。
大量虐殺うんぬんのくだりも、今から考えるとポスト=モダニズムに格好良さを見出だしただけかもしれません。

お礼日時:2001/08/06 21:11

哲学的ではなく、医学的見解からの回答です。


一般論として述べますが、鬱病の方に対しての発言は非常に慎重に行なわなければならないものです。
普通の人ならば何とも感じない『頑張れヨ』『元気出せ』といった一言が自殺に直結してしまう場合すらあるのですヨ。
鬱病は単なる思考回路や思想の問題ではありません。
れっきとした病気であり、専門医の指導のもとで十分なカウンセリング、そして、服薬によって治療すべきものです。
最もよい方法は、信頼できる精神科医に全てを委ねることです。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

専門的な意見、ありがとうございます。
ただ、鬱病と言う単語はあまり適切ではなかったかもしれません。
彼が自分のことをを鬱病だと主張するから私もそう思ったのですか、なんだか少し違和感があるように思えてきました。

お礼日時:2001/08/06 21:21

深刻な状況ではないと仮定してお答えします。


大量殺人を準備していたら最寄の交番まで知らせてください、病気だったら医者に任せましょう。
それ以外の場合は、説得するのは難しいですが、ほっておくのもかわいそうです、積極的に説得しようとするよりあなた自身が生きがいを持って明るく生きている事が、日常の生活の中で、問題の彼に影響を与えることに期待しましょう。彼から相談されたら説得するより話を聞いていろいろ質問するほうが有効かもしれません、あなたと話すことで生きる楽しみを見つけるかもしれません。あなたは自分と違う意見が聞けて、幸せと思えると、よろしいのでは。
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この回答へのお礼

これが一番現実的な手法だと思います。
この質問のレベルは1、「暇なときに回答ください」に設定したとおり、私はこの問題をあまり深刻にとらえていないのです。なるほど説得する必要もあまりないのかもしれません。

お礼日時:2001/08/13 19:58

>どうせ私達人間が、どれだけ努力をして社会に貢献し



私が言うのもなんですが、その方は、本当に努力して社会に貢献した経験がない方だとお見受けしました。
一度、達成感や協調感、無償の汗を流す楽しさを経験したほうがいいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに労働して汗を流す喜びを知れば、また別のことに興味が向いてくるのだろうと思います。ただ、そういった行動力がある奴だったら、人生が虚しいだなんて感じないと私は思うのですが、一体どうなっているのでしょう?

お礼日時:2001/08/06 21:28

私も 無価値主義です。


残念ながら虚しいという方向に考えた事はないですが
ほっとけば良いと思います
どのような説得にも無効化にできる考え方ですから

でも 自殺をしようや 大量虐殺をしようなんて
人生に意味をもたせようみたいな感じですね
そんな事しても意味がないのに 意味がないからこそやってもいい
矛盾が生じます この世のあり方へのわるあがきみたいな感じですね 

そう考えると みんなのやっている 社会貢献や 文明発展と同じ
わるあがき 
ただ 何もせずこの世を流れておくのが嫌なんでしょ
だったら 自分がしたい気持ちいいと思える事をすればいい
ってな感じですかね 言うとしたら

それとも これから素っ裸で 東京を練り歩き 東京タワーで叫んでもいい
意味なんてないならできるはず 出来ないと言うのが答え
やりたくないと言う感情が答え みたいな
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この回答へのお礼

確かにそうですね。
話し合うことですら無価値だといわれたら、もう進展しませんから。
だけど「虚しい」と感じるということは、かつては何らかの価値を信じていたと言う事だろうか?信じていたものに裏切られたから、「虚しい」と感じたのか
それとも自分の価値を他人が賞賛してくれなかったから「虚しい」と感じたのか、あるいは自分の望みがかなわない事に対するいらだちからだろうか?
ということは何か原因のある感情なのだろうか?
まあよくわかりません。

お礼日時:2001/08/10 01:30

実は何千年も前に同じような課題で悩み苦しんだ人がいました。

誰かといえば、
仏教の教祖であるお釈迦様です。

「四苦八苦」なんて言葉も現代に残っていますが、これも仏教からきています。
四苦は「生・老・病・死」です。(八苦は忘れた...)
生きるのが苦しい、年寄りになるのもイヤだ、病気はつらい、ましてや死ぬのも...
なんて、まるでvisnuさんの友人のようですね。

これらの問題に正面から取り組んで、修行の末に悟りを開いたのが仏教の始まり
なんですが、まぁ仏教の経典なんて読んでも難しいだけですので、まずは
手塚治虫先生の「ブッダ」あたりから始めましょう。

手塚治虫先生の「ブッダ」はもちろん漫画ですしフィクションも相当入っていま
すが、それでも随所に人生のヒントや生の希望が散りばめられています。
先ずは一読を!
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空海は10歳のとき自殺未遂してますね。


松ノ木にひっかっかって命があったのでこの世にご用があるのだろうと生きることにした。最期は不治の病にかかって食を絶って死にました。
鬱病は結構頭が良いのかも。
昆虫などは食べて生殖して死んで・・生きがいなど必要ないように見えます。
人間も生きがいを必要としないのが原点で、ただ退屈凌ぎに生きがいなんて言葉を作ったと考えれば、お知り合いに人生の意義を持たせようと考えなくて良いのではないでしょうか。その方は空海のように哲学者になる人なんだから「うん、そこまで考えたか!次はどうなるのかな」と言ってあげてたら?
なお、殺人は(本来は自殺も)犯罪です。命が人工的に創られず神(?)の領域にあることを考えてみれば、禅の考案の「どこから来てどこに帰るのか」といった、内面的解決に向かうと思うのですが・・
仏教ではこの世のことは来世に持ち越します。それだけでも教えて上げたい気になりますね。
>生きている事が苦しみの連続なら、むしろ自ら命を絶ったほうが幸せではないでしょうか?
・・死んだら終わりではなく、その続きは来世に持ち越すだけですよ。
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鬱・・・。

そう書いてあって少し変に思いました。大変親しい友人に,鬱病に悩まされている方が一人いらっしゃいます。いろいろ理由があって治療は受けずじまいなのですが,今回お教えいただいた知り合いの方とは,何ともタイプが違っているようですね。わたしが知っている鬱というのは,『人間が生きている価値がわからない』のではなく,『自分が生きている価値が判らない,自分の存在に罪を感じる』といったものです。人間そのものが,虚無の対象になっているというのは,なかなか,本心ではないような気がしてなりません。鬱病ではないのか,もしくは,その発言は本当の心に気付いて頂きたいがゆえか,どちらかなのだと思います。そういった自分の暗い部分を,visnuさんに知って欲しかったのではないのでしょうか。そしてそれでも,visnuさんに,変わらぬ友人でいて欲しかったのではないでしょうか。visnuさんは,きっと彼に頼られているのですよ。visnuさんなら,彼の心を開く事もできるような気がします。話を聞いてあげてください。彼の存在を受け入れてあげてください。見知らぬ医者よりもずっと,visnuさんは彼の心を開く事が容易だと思います。彼そのものを認めてあげれば,彼は死んだりはしません。visnuさんが,悲しむ事になるのですから。今は強がっているだけなのだと思います。こういう形でも,彼を想っていてくれているvisnuさんは,優しい方ですね。ですが,それが帰って重荷になってしまわぬよう,お気をつけて,気長に相手をしてあげてください。そして,もし宜しければ,またこのように開かれた場で,近況や,困った事をお教えください。少しでもお役に立てれば何よりです。
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どうして「一人で死ぬのは癪」なのでしょう。


この辺からせめては如何ですか?
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寂しい話ですが何故生きているかの意味は無いような気がします、


"殺人"又は歴史に残るような偉業を成し遂げたとしても、
後の世代の目に付くときには、きっと新聞や教科書の一行程度の過去でしょう。

社会秩序から外れた意見ですが、文明社会での生活の手段や生きて行く作業は
自分以外の多数の生命や財産を守る社会人の法的秩序であって、
本来自然の営みの中では死ぬも生きるも個人の自由意思だと思うのです。

仕方無しに生きている、しかしその人が無意味だと思いながら生きている空間にも
生きていく事の楽しさを寿命の限り追及してきた先人が脈々と行なってきた
生きていく事への"技"が受け継がれていると思うのです、
"面白き事無きこの世を面白く"以前意見を頂いた方に教えて頂いた高杉晋作の
辞世の句ですが、必ずその方も人生に楽しさを探せるはずだと思うのです。

下にも意見がありましたが、情報過多になって何を楽しんでいいか
判断出来なくなっている状態ではと思います、
今は単純に自分を探す時間が必要なのではと思うのです。

自分を探すことは迷路を彷徨う事にも似ています、
その方は口ではあきらめていても、きっと出口を探していると思うのです。
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