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客側は神様でもなんでもなくて、単なる人間なのではないでしょうか?

よく、「お客様は神様」というような言葉を聞きますが、

[消費者である客]と[供給者である店側(店・店員・社員など)]は論理的には対等なのではないでしょうか?

単に、消費する側と供給する側という違いがあるだけだと思うのです。

現実には、
客側は、お金を支払う側だから偉いのだと言わんばかりにふんぞり返って偉そうにして、
店側は、接客をしてお金を支払われる側だから下手に出て、おもてなしの心という名の単なる過剰サービスをしています。

しかしながら、客側は、店側が商品・サービスを供給しなければ、それらを享受できないですし、
逆に、店側は、客側が商品・サービスを購入し、代金を支払わなければ、経営が成り立たなくなってしまうという構造上、論理的には対称的なのだと思います。

また、客側は店の商品やサービスに不満を感じると、「こんな店に二度と来ないぞ(買わないぞ)」というような脅し文句をよく言ったりしますが、客側にはその店以外にもサービス供給側を選択できる店が沢山あるように、
店側にも、客というものは数多く存在するわけですから、へりくだって何でもかんでも謝るのではなく、淡々と店側として既定の商品やサービスを供給すれば、それ以外何もしなくたって、何ら問題ないのではないでしょうか?

特にへりくだる必要はないし、外国のように、決められた商品やサービスをとりあえず供給しさえすれば、店員がお喋りしていようが、スマホをいじっていようが、お菓子を食べていようが、座って対応しようが、客側はそれ以上を求める筋合い(論理)はないし、
もし更なるサービスを求めるならば、外国のようにチップや追加料金を支払うべきでしょう。

しかしながら、現実には、論理通りの対等な関係は日本では成り立っておらず、客側の有利な状況が支配しているようです。
これは、店側にも顧客は数多くいるという前提が成り立っていないということが原因だと思います。

皆さんはどのように思いますでしょうか?
解決策、ご意見などをお聞かせ下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

精神論の問題なのだ。



実際明治初期、武士から商人に鞍替えした多くは「武士の商法」で失敗し没落した。
高慢でふんぞり返っていれば客は来なくなるのが当然である。

プロとは何であれ顧客のニーズを満たすための存在である。
プロ野球選手は「よい試合、良いプレイが見たい」という観客の要望に応えようとする。
プロ音楽家ならば聴衆にとってのよい音楽である。
マンガ家ならば一人でも多くの人に「面白い」と思ってもらえる作品。
カウンセラーならば一人でも多くの人の心の安寧。
・・・
商人ならば販売のプロである。

多種多様な顧客のニーズを把握しなければならないのに「対等だ」とか「施してやる」とかいう意識では到底目的は果たせない。
さっぱり打てないのに「野球のルールの方が間違っている」と訴える選手など、誰も見ようとは思わない。
自分を殺し心を真っ白にしないと「この人は何を求めているか」は見えてこない。
これが「お客様は神様である」の正体である。
神の御心を探るつもりで客に対さないと、客のニーズは見えてこないのである。
そしてそれは業績に密接に絡みつく。

日本人は目的と手段、主と従をすぐ取り違える民族でである。
たぶん客観視というものが苦手なのだろう。
そこで欧米流の「お客様は神様」を、売る側の精神論でなく消費者の許される行為として受け取ってしまった。
それが今跋扈しているのである。

その言葉の本場欧米では、しかるべき場所を使うときはしかるべき態度としかるべきステータスが求められる。
それに反すると社会的に、少なくともその階層から抹殺されるくらいのペナルティを受ける。
こういう面は、日本人はほとんど知らない。

質問の趣意とは少し違う。
自分の立場を主張しては、神様の意図をはき違えている消費者と同等の存在に、売る側も墜ちてしまう。
・消費者は売り手から最大のパフォーマンスを引き出そうと努める
・売り手は顧客のニーズを読み最大限それに応えるように努める
マーケットの健全な成長は、この双方の緊張関係から生まれるのである。
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この回答へのお礼

解決しました

なるほど!と思える点が多く、大変参考になりました。
視野が広がりました。
ありがとうございました!

お礼日時:2019/12/31 13:03

まあ 少なくても6:4で お客様が上の立場かなあ


そういう職業に付くなら その覚悟が必要でしょう。特に日本では
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最近じゃあ、豚をおだてても木に登らなくなったから、神様扱いするの止めようかな。

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クレーマーを出入り禁止にしたら



売り上げが上がった
みたいな話を、チラホラとネットで見掛けて


これからの時代
店側も、客を選ぶ時代に
なったんだなぁ~

とはとは
思いましたよ


(  ̄▽ ̄)にっこり

神様として
崇める商売もあれば

会員制てなてな
商売もあるからね

ぞんざいな客ってのは
確かに増えつつあるけど

丁寧に断り
出禁にする努力が
もとめられそうですね


ぞんざいな客が減ると
一般利用者って
快適に過ごせて、集客率があがるらしい
( ̄~ ̄;)ほんまかな?
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前にもまったく同じ質問がありました。



客側と店側は対等というのは、ドライで合理的な考えの欧米では、そうなります。ですが日本には特殊な事情があり、そういうわけには行きません。

その事情とは、日本は同じようなお店が周りにたくさんありすぎて過当競争になっており、料金下げ競争は限界にまで来ており、お客を競合店に取られないためにはお客に土下座くらいするつもりの低姿勢サービス合戦で接客しないと淘汰される、ということです。
日本でも地方(ど田舎)に行くと、お店はその一店しかなく競合店に行くのには車を30分ほど走らせないといけない、という所が多くあります。そういうところではお客も少ない代わりに「客側と店側は対等」という姿勢で接客しても経営は成り立ちます。

「店側にも、客というものは数多く存在するわけですから…」という考えかたが日本では通用しません。お客がたくさんいても、競合店が多くありすぎて、お客はみなそちらに行ってしまうんです。お客はお店を選べますが、お店はお客を選べないんですよ。
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日本の風土、文化です。

何も欧米に合わせる必要もないし、欧米が正しいわけでもない。

ある男が、仕入れ先に発注するときは、「この日には、必ず届けるように」などと言い、
逆に売り先のお客には「その日までには必ずお届けします」とへりくだる。
お金を払う方が偉いという文化で、一概に悪くはないと思う。

日本で1店だけ、あなたが言うように店員同士が雑談してレジ打ってたりすれば、
その店は客が来ないし潰れます。
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お客様は神様、という言葉が誤って使われているだけです。


本来的はこの言葉を使い始めた三波春夫が歌を歌うとき、お客様を神様と見立てて歌ったことから言った言葉です。
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
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うん。

オレも日本はサービス過剰だって思う。
ただし君の論理だと店側は常に一定数以上の客が入るって前提の上に
成り立ってるような気もする。
つまりサービスも商品価値の1つとするとそこを疎かにすると
商品価値が落ちる→客が減る
のは当然だよね。

で実際日本では必要以上の過剰サービスも商品価値を下げないための
一環と考えられてる訳だね。
でもそれって裏を返せば客側が求めてるからこそって側面も絶対あるよ。

>、店員がお喋りしていようが、スマホをいじっていようが、お菓子を食べていようが、座って対応しようが、客側はそれ以上を求める筋合い(論理)はないし

それで商品価値を下げない国も多いのかもだけど、現在の日本ではそれはあてはまらない。
そんな事をしたら大概の商売、一発で客が飛ぶ。それが現実でしょ。
それは上記の通り客側がそこも商品選びの要素としてしてるから。それがいわゆる常識って事になってるから。
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>客側は神様でもなんでもなくて、単なる人間なのではないでしょうか?



 当たり前です。

>論理的には対等なのではないでしょうか?

 そうですね
過剰なサービスを要求する客を選べますし、
尊大な態度のお店もお客は、遠慮しますから
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「教えて!goo」の質問者側と回答者側の関係と同じですね。

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