アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

とても抽象的なタイトルで申し訳ありません。
現在大学生です。
私は中高を通じて,理科・数学が得意ないわゆる理系の生徒でした。別に記憶することが苦手というわけではなかったのですが,単に理科・数学が嫌いではないという理由です。
 振り返ってみると,小学校中学年の時にそろばんに通わされて(でも2×2桁の掛け算で挫折)その後小6の時に公文式に通っていました。中学校では,数学の先生が好きでそのころから数学が得意になっていました。
 ところで,現在,家庭教師を数件持っています,その中で,中学校数学や高校理科(特に化学)が本当に苦手な子も教えています。いわゆる数値変えただけでアウトな生徒です。今そういった生徒に「どうやったら数学が得意になるのだろう」と四苦八苦しています。一生懸命,その問題について説明しているのですが,なかなか問題に対する考え方がわかってもらえませんし、その生徒がなぜわからないのかが正直よくわかっていません。
 そうした中,疑問を感じたことを質問させてください。

1.理系科目が得意な生徒とそうでない生徒の違いが起きる要因は一体何だと思いますか?(例、学習環境、先生、その他)

2.どうすれば理系科目が苦手→得意にできると思いますか?

(理系科目がまわりの人より得意な人に)
3.私が理系科目が得意になったのは「このおかげだ」と思うものがありますか?

非常に抽象的な質問で申し訳ありません。わからないことがあればご質問ください。

A 回答 (18件中1~10件)

2度目で失礼します、No4の者です。



>となると、パンク→不快(疲れる?)→いやだ→興味が持てない、となってしまうのかな、

そうです、そういうことです。力尽きるんだと思います。

生徒の頭がパンクしかけてくると、反応が変わります。
理解している=楽しい時は、
うなづくのが速いし、「はいはい」「あ~」「で、こうなるんだ」とか
先回りしたリアクションがあるんですが、
だんだん無口になって
「うーん、うん」「はあ」と、元気のないあいづちになってきます。
このへんは、個人差があるとは思いますが・・・。

ずいぶん経ってから気付いたんですが、
理解できていない状態の子は、「今のところが分かりませんでした」とはなかなか言いません。
「どこが分からない?」とか「何で引っかかった?」とか聞いても首をかしげるんですよね。
分からないものについて説明しろったって無理に決まっているんですよね。

例えて言うと、知らない町の中をさまよっている状態(理解できてない状態)から、
あるときふと、頭に地図を描いて全体を把握できるようになる(理解する)。
こうなると、自信を持って自分で進むことが出来ます。

理解に導くためには、教える側が、解く時に頭に描くイメージを具体的に教えるといいです。
手振り身振り、たとえ話、絵を描く、実物を示す(実験や標本)・・・
なるべくイメージしやすい言葉を使う。
「接する」「結合する」よりも、「くっつく」「手をつなぐ」「合体」とか・・・。

偉そうに書きましたが、成功率は5割といった感じです。なので役立たないかもしれません。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

再びありがとうございます。
私は「パンク」という考えが今までになく、非常に興味を持っていたテーマ(大げさ?)だったので、重ねてのアドバイスにうれしい限りです。

パンクの症状(?)を見させていただきましたが、思い当たるふしがあります。本当にわかっていない生徒は確かに「何がわからないかがわからない」といったオーラがなんとなく漂ってきますね。

「具体的なイメージ」はわたしもある教え方についての本を見て以来意識するようになりました。


偉そうに書きましたが、成功率は5割といった感じです。なので役立たないかもしれません。
>実は最後の文章、すごい興味があります。私もこのやり方で全員が成功するとは考えていません。もしまた見ていただいたらでよいのですが、
その残りの5割の原因は先ほど多くの方がいっていた「好奇心がない=勉強する気がない生徒」が全てだと思いますか?私の意見としては「それが一番の原因だと考えるが全てではない気もします。」

とても参考になりました。

お礼日時:2005/01/01 21:43

でも今改めて教える現場の1つに立ち会った際に、それでは困ります。

やはり最低限の知識をつけさせなければという思いが強いです。(とても自己中心的な考えですが)
>>>ここで、学習の目的のすり替えが、始まってますよね。本来、現代社会を生きる糧として、コンビ二でのおつり、携帯でのメール、電卓の使い方、自転車の乗り方。。と、学習するはずが、テストの点、偏差値、大学入学って変わっていますし、家庭教師の評価=確かな学力、つまり辞書が引けたり、ネットで検索できたりという能力より、就職してからわずか2年ほどしか、効果の無い、学歴に執着しているのですね。学力が学歴にすりかわっているのです。知識は不要なんです。知恵さえあればね。

その辺が、誤魔化されています。
すでに、知識なら、インターネットで充分手にはいりますから、ネットをうまく使う知恵が、あれば良いのです。

知識や偏差値や、学歴に、誤魔化されてはいけないのですよ。自信が無いから、そういうものを頼る訳です。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

高校のころ授業よくサボっていました。そう考えてみると、当時は教科主義反対でした。
でも今改めて教える現場の1つに立ち会った際に、それでは困ります。やはり最低限の知識をつけさせなければという思いが強いです。
>>>確かに学習の目的がすり替わっていますね。私自身おかしいことをいってました。反省します。
私は教える側の立場「苦手な生徒でも、少しでいいからその科目(学問)が持つおもしろさ(前の人がいうアドレナリン)を体験させてあげたい。そのためには最低限の知識を・・・。もちろんその後いらないと考えるのであればそれでもいい」という考えでいます(いや、そうこじつけているだけだとも思いますが、)。

確かに学歴と学力は異なりますね。

知識は不要なんです。知恵さえあればね。
>>>確かにそう思います。でも上の考えを体験してもらうには最低限の知識がつきまとう気もします。しかし、これと知恵はまったくの別物ですよね。

遅れましたがアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2005/01/01 22:55

またまた、登場で申し訳ありませんが、一時、ドルと円の外貨為替に、執着したことが、ありました。


コンピューターで、日本、米国、ヨーロッパの各為替市場と結んで、毎秒変わっていく、ドルの価格を、統計的手法で、計算して、未来を当てるゲームです。実際に参加すれば、トレイダーですから、儲かるか、損するかの世界ですけど、実際、数学統計で、予知できるか?
答えは、×でした。要因が多すぎて難しいのです。つまり、基準としている自分の円とかドルとかですら、相手からみれば、基準じゃないし。。。。

そこで、理解したのは、日本人は、ユーロもドルも、円で置き換え理解するけど、外人は、逆だ。と、言うこと。

オイルマネーのように、日本に現物が着くまでに、タンカーなどで、時間のかかるものは、儲かるということ。で、儲かるものには、後から参入できないことなどです。

言いたいことは、生きていくのに、必要性を感じるかですね。パソコンだって、こうやって質問できて回答が得られると,やってみようと思うのですが。。。
ゲームにしても。おもしろければね。やるんじゃないの。

正月で、暇なので、投稿してるけど、あと2日なんだね。
お休みは。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たびたび貴重な時間を割いていただきアドバイスすみません。感謝の気持ちでいっぱいです。
要は本人にとっての「必要性」の問題。
私にとってわかりやすい具体例でした。
参考にさせていただきます。

非常に申し訳ないのですが、これからしばらくゆっくりお返事する時間がないので、この辺でいったん締め切ろうと思います。

私自身将来、教えることを職業で希望しているのですが、今回の家庭教師だけにとどまらず、非常に考えること、考え直さなければいけないことがたくさんありました。とても多くの有益な回答、アドバイスをありがとうございます。ポイントは個人的に新鮮だと思った意見に限らせてください。
また、これを読み返し整理して、わからないことがあれば、もっと具体的な質問をしようと考えています。ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/01 23:46

#14です。


すみません、勝手に追記します。

私は学生時代通して数学がとっても苦手でしたが、頭を使って問題を解いた時の
爽快さは、よく知ってるんですよ。こんな私でも、数学の問題と格闘して、アドレナリンを
たっぷりと出した事が何度かあるわけです。
この点について疑問をもたれているご様子だったので、勝手にレスです。

14に追記なのですが、子供の頃こんな事を思ってたのを思い出しました。

例えば国語の問題は、明確な答えなんてどこにもない。まあ、模範解答と
されるものは用意されているけれども、そして簡単に導き出せるものも多いけれども、
少なくとも理数系の科目のように、決まった答えはない。
自分の創意工夫の余地や、妄想する喜びをフンダンに感じるのです。

ところが数学ときたら、誰がどう計算したって、ある問題の答えは絶対的に決まっています。
それを改めて自分がなぞる作業は、つまらないと感じたんですね。
これのどこにやる意味があるのか、面白みがあるのか、と。

ま、算数ではなくて、数学という学問の面白さに触れる前に、
私は挫折した訳です。(涙)

しかし哲学は大変好きなんですね。
大学で初めて自然科学という枠で学問というものを考えた時、
新鮮な後悔のような、不思議な気持ちがしたものでした。

ちなみにこんな私が適職診断をすると、どの会社のものでも”芸術家”。
そんな才能がないのが痛いところです。理数系の人の方が、絶対この世は生き易い。

家庭教師をされる上で、少しでもヒントになればと思います。

それでは、よい1年を!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
NO14と合わせてお礼したいと思います。といっても以下自分の感想ですが・・・。

1.違いが起きる原因に関して
やっぱり(生徒から見た)先生のよしあしって大きいですよね。そう思います。

2.動機づけに関して、とても大事だと思います。
それに関してこう考えました。
「生徒の視点から納得できる動機付けとはなんだろうか?やはりおえらいさんが学習指導要領で言ってることなのか?あれだと他の生徒が納得しない気がするな。少なくとも自分はあまり納得しないな(要はすぐ結果をほしがる現代っ子特有病だとは思いますが)。とりあえず今度それ(目的かな)を見て考えてみようかな。でも所詮机上の空論で自分が納得できないだろうな・・・。」

3.アドレナリンが出たというのであれば、(あれがその教科についてやる気が出てくるきっかけだと考えています。)知的好奇心というものは一応体験されていると感じます。aalextさんは、つまり次のアドレナリンを得ようとはしなくなった。ということでしょうね。確かに努力しなくても周りに刺激は転がってますよね。「面倒だ」と思う気持ちもわからなくもないです。(私もめんどくさがりな性格でして・・・。)そういった例もあるのか~と思いました。

とても考えさせられました。ありがとうございました。aalextさんもよい1年をお過ごしください!

お礼日時:2005/01/01 22:28

すでに多くの方々が色々なご意見を述べているので蛇足だと思いますが、ちょっとこの頃考えていることにも重なるので少し述べさせてください。


 問題には必ず答えがあるということを疑わない素直な子というのはどの科目にも成績がよいのではないかと思います。特別成績が悪い子については何か特殊な背景がそれぞれあると思いますが。私の知っている高校時代の友人で数学や物理に好成績をとっていた友人でいわゆる文系の大学へ進学したひとは別にいわゆる理系が好きではなかったわけですがとにかく勤勉でした。彼は頭を使うことを嫌がっていませんでした。しかし最近あって話をしてもいわゆる理科的ではありません。定説がないような話には全然乗ってきません。要するに決まった正解にまでたどりつくことが最終目的になっている初等教育の段階では頭を使うことがが好きか嫌いかで理科や数学が得意かどうかが決まってしまうのではないでしょうか。
 ところが社会に出てからは正しい応えは自分で出すというより作っていかなければ成りません。この場合には頭を使うことも大切ですが、対象に対する興味の方が決定的要因になるのではないかと思います。
 私は初等教育の段階では各児童に自分がもっとも得意とする頭の使いかたのパターンに気づかせる事で頭を使うことの楽しさを教えるほうが良いと思います。舌足らずですが参考になればと思って書きました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅れて申し訳ありませんが、アドバイス拝見させていただきました。
kaitaradouさんは考えていることや、その文面を見る限り,教師、もしくはそれに近い職業の方と察します。その貴重な考えを聞かせていただいてる気がしてとてもうれしく思います。

正直、まだまだ私は未熟者でして、

問題には必ず答えがあるということを疑わない素直な子というのはどの科目にも成績がよいのではないかと思います。
>>>という考えに素直に共感できるほどの経験・技量はありませんが、この「頭を使うこと」というのが私にとってポイントな気がしてなりません。(結果だけを見てる、短絡的と思うかもしれませんが。)この「頭を使うことを好きにさせるもしくは癖をつけさせる」というのは主観的に大事だなと思いました。
 「もっとも得意とする頭の使い方を教えること」はできませんが、「頭の使い方のパターンの一例として自分の考えを教える」ということが大事だなと思います。それにより、生徒は自分ならどうなんだろう?と問題を考えたり、理解する上で無意識的に身についていくのが理想でしょうね。でもこれは具体的にどうなの?といわれると膨大な作業で挫折しそうですが。自分の頭の使い方パターンというものを紙に書いてみようかな。とも思いました。当然ものすごく(私にとって)高度なことだと思います。

たいへん貴重なアドバイスをありがとうございました。今後も参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/01/01 23:34

私は別のどなたかが書かれている


”別に解けたからナニ?”の人です。

文系の科目はかなり良いのに数学だけはビリに近いという
極端な成績の持ち主でした。(学生時代通して)

化学は高校1年途中までかなり良い成績でしたが、
ある時ふと、興味を失った瞬間があったのを
10年以上たった今でも記憶してます。それもまた、
ウン、わかった。だから何?的な感覚だったような。。。そして成績は急落。

あまり賢い選択ではありません。ハイ。
何がって、興味を失い価値を追求する理由を失ったと感じたからって、
勉強を頑張る事をやめたことです。
1の回答のひとつには、わがままな性格が関係するかもしれませんね。
あまり忍耐強くないし、我侭で甘えっ子の末っ子を地で行く子供でした。
(でも持久走は得意だった)

まぁつまり、興味をもてない事は頑張る気にならないのでやらない、
ってのがシンプル且つ正直でお馬鹿な理由だったと思います。
理解しようって気がないし、必然的に数学のできない子になっていきます。

前置き長くてすみません。
以下回答です。

1.
・甘えた性格の子供とそうでない子供。
・(得に)数学は難い科目だという刷り込みにさらされる環境。
・教師との合う、合わない
(小中学校通して数学担当の教師は全員生理的に受け付けなかった)
・興味の持たせ方が旨い大人の存在。
(甘い?w)

2.
それを学ぶと、大人になって自分にとって又は社会や地球にとって、
どんな良い事があるのか具体的に(教育テレビの番組みたいに)教える、つまり動機づけ。
誰も言わないけど、これってものすごく重要だと思う。
ただ勉強しろじゃやる気にならなくてもむしろ当然。
純粋にその教科に対する興味がわくのに任せてるのでは、大人の教育方法が無策だと思う。

きちんと動機づけできなくて、部下の生産性あげられない会社や上司、大人の会社社会でよく見る光景だなあ、と連想しました。
小学生のうちに、数学の必要性とか、大学入る前に論理学の存在とか、
ちゃんと知って勉強して、面白さ見出すまでいけなかった事が残念です。
是非家庭教師頑張ってくださいね!
    • good
    • 0

質問者の質問の、どうやったら教える側が、生徒の興味を持つ言葉かけや態度が出来るか?


という質問には、幼児の4.5歳の子の、あれなーに?
としつこく続けてくる質問に、そうね、何かしら?って、、言う風に、質問をキャッチボールして返してやることなんですね。決して、答えはOOだと断定して、質問する意欲を止めてはいけないのです。

最初に、こちらの興味を持たせたいことに、計画的に引っ張るのでなく、生徒の側の興味の発言を引き出して、それに、肉付けすると言うこと。つまり、教科主義の授業を捨てることなんですね。
偉大な科学者のほとんどは、学校の教科主義教育、つまり、何時間目は、OOという教科を勉強する。という教育には、合わなかった人(落ちこぼれ)ばかりです。

ですから、テストの点の悪い君達は、アインシュタインに成れると言ってあげることですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

非常に(私にとって)高度なアドバイスを読ませていただきました。

いわれている点に全て共感します。
確かに幼児期の影響は大きいと思います。それに失敗した生徒を家庭教師なりで受け持っていると思います。子どもができたときの参考とさせていただきます。

次に教科主義に関してですが、確かに私は理系科目が得意でしたが、高校のころ授業よくサボっていました。そう考えてみると、当時は教科主義反対でした。
でも今改めて教える現場の1つに立ち会った際に、それでは困ります。やはり最低限の知識をつけさせなければという思いが強いです。(とても自己中心的な考えですが)

アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2005/01/01 21:50

例えば数学でも可能でしょうか


>>>>数学の場合は、例えば、XとかYとかの記号を使った公式を使わずに、簡単な問題を解かせるとか。高校生に、(鶴亀算とか)

掛け算を、足し算と引き算に直せとか。

つまり、レジでお金を、数えるのに、日本人は貰ったお金から、商品代金を引いて、おつりを計算しますが、外国人は、商品を代金になおして、いくら足していったら、貰ったお金と一致するかという、足し算しか使わないのですね。
ですから、割り算は、掛け算に、掛け算は、足し算と引き算に変換できますので、割り算や掛け算って出来なくても良いんですよ。
手間を省く、道具が掛け算とか割り算なんで。

で、パソコンは、基本的に足し算のみしか出来ないというポンコツ思想が、基ですよね。つまり、HDDに一度書き込んだら二度と消せない訳です。人間が「消す」と称しているのは、上書きするという動作をしているに過ぎないのです。

で、サイン、コサイン、タンゼントとか、グラフとかは、週刊誌のパズルやクイズと同じだし。。

サインは、Sだから、求めたい角度の頂点にSと書いた辺、コサインは、C、タンゼントはTの辺を分数にすればいいとか、
歴史の年号のごろあわせみたいな冗談で、お話は、終わりなんですよ。

πなんか、今でも覚えていますよ。

これは、何桁まで、覚えられるかゲームと言うのがあって、ゲームに、勝つと、ご褒美がもらえるゲームでした。
で、3.141593653589793238・・・って今でも、覚えていますけど、勉強で、覚えろっていわれたら、絶対しないし、実際、テストでも、3.14以下を使うことはまずないです。

ですから、数学が出来たときは、おやつをあげるのが、一番です。これは、脳を使うと、糖分が不足するので、結局良いことなんですね。
本人は、ショートケーキ争奪戦に、ゲームとして参加しているのですが、巧妙に先生に操られていたのでした。。。。はっはっは。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お忙しいにもかかわらず、3度意見を寄せていただきありがとうございます。
今回のアドバイスを見させていただく限り,個人的に興味がある点が2点ほどありました。

1つは数学の件で、もう1つはゲーム感覚という点です。
まず,数学に関して思うことなのですが,
「数学の場合は、例えば、XとかYとかの記号を使った公式を使わずに、簡単な問題を解かせるとか。高校生に、(鶴亀算とか)」
について,とありますが,公式を使わずにその原理だけで問題を解かせるというのは考えさせることにつながりよいのではないかと考えました。

ここまで、読んであくまで個人的に感じたことなのですが、どうも理数が苦手な人はA(問題文のヒント)→B→C→D(答え)という思考プロセスが成り立っていないのではと考えました。つまり,Bは考えることができるのですが、そこからCを導くという発想が出てこないという生徒を多く見かけます。得意な人でも不得意な人でも,ちょっとしたヒントをあげると解けるという例が多かった気がします。そこで,公式を使わずに問題を解くという作業は根気と時間が要りますが、段階的な思考プロセスを経験させることができるいい教授法かなと考えました。

2、ゲーム感覚・・・燃えますね。僕は負けず嫌いなのでもし、先生にいわれたら性格上必死に覚えていたと思います。でも今回のいわゆる「理系的センスを磨く」こととはあまり関係ない気もしました。

長文失礼しました。

お礼日時:2005/01/01 21:32

私は数学は苦手なのですが、ときどき電車の中で日能研の広告で算数の問題があったりすると、夢中で解いたりします。

パズル感覚で、面白いと思います。こういう面白さを引き出してくれる授業なら、子供たちも夢中で臨み、成績だってあがるんじゃないでしょうか。

私の住んでいる市内に、こども科学館というのがありますが、そういうところではいろんな現象(放電とか、真空の中とか)を科学的に理解できて、へえ~面白いな!と知的好奇心を刺激されたりします。こういうきっかけで理科好きになる子もいると思います。
親がそういうところが好きでよく連れていってもらう子は、家でも親のニュートン(雑誌)を見るとか、関心をもつきっかけが多いと思います。理科系に進む確率が高そうです。

面白さに目覚め、好きになってもらえたらいいですね。それには現在の学年にとらわれず、さかのぼって学習してみるのも効果的なのではないでしょうか。なぞった記憶は長く残ると言いますし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに電車の広告で算数の問題を見たことあります。電車の中で暇だからなのか、よく考えてしまいます。さらに、ふと隣の人の会話でその問題を解いていたこともありました。
 数学にしても,理科にしても,確かにパズル感覚で解ける問題は私も楽しいと感じます。でも、パズル感覚というのは具体的にどういったものを指すのでしょうか?確かに個人的には電車の問題はパズル感覚「何かをあてはめる問題といった感じなのか?それともpuzzle=悩んでしまうといった感じなのか?個人的には、前者の方が強いと感じます。」という要素が強い気がします。それで、なるほど、と思います。でも、数学に関してはどの問題もパズル的な要素を含む気がします。それはやっぱりある程度「わかる」からなのでしょうね。

面白さに目覚め、好きになってもらえたらいいですね。それには現在の学年にとらわれず、さかのぼって学習してみるのも効果的なのではないでしょうか。
>「さかのぼる学習」とはどういったことでしょうか?理解力がなくてすみません。どなたか説明いただけないでしょうか。

考えさせられました。新年早々ありがとうございます。

お礼日時:2005/01/01 21:13

僕自身は、例えば、何でも、やって見るという感じで、理解しました。

例えば、電池のしくみ(物理)だと、アルミ缶入りオレンジジュースと、豆電球と銅線8cmくらいとストローを用意して、予め、はんだつけで、銅線を電球の真中につけておいて、短いストローにさして、おき、みんなの前で、缶ジュースを開け、銅線つきの電球をジュースに入れ、電球の外側をあるみ缶につけると、電球がつきますので、そういうのを見せてから、授業に入るとか、ですよね。

そういうマジックみたいなことは、よくやってました。自分が、中学生くらいからね。理由は、女子が喜ぶから(不純)
です。大抵、女子は、物理、化学、数学苦手ですが、マジックなら見てくれる。

***:

僕のおかげは、いたずらし放題。に、してくれた。
中学校?でしょうか。とにかく、実験室も薬品も使い放題でしたので、ピース缶の都市ガスロケットとかも作ったり、手のひらから、煙を出すとか、金属マグネシウムの発火テストとか、なんでも、いたずらは、しましたけど、
停学にも退学にも、なりませんでしたね。昔はね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなってしまいましたが,回答ありがとうございます。
読ませていただいて感じたのですが,やはり勉強をすることで知的好奇心を刺激することが大事ではないかという意見に行き着きました。
そのための手段としてはaozoraxさんのいう例もそうでしょうし,前に回答くださったみなさんもそうでしょうか、いろいろ手段はあるそうですね。
このような実験が自由にたくさんできると,いいでしょうね。少し状況は異なりますが、とても共感できます。
ありがとうございました。よい1年をお過ごしください。

お礼日時:2005/01/01 21:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A