これ何て呼びますか Part2

 こんにちは。
 哲学を学ばれた方に質問です。
 私は全くの素人です。宜しくお願い致します。


 先日読んだ哲学の入門書では、「真実を探求することは全ての人間に必要。真実を探求する者は優れている。真実を探求しない者は劣っている。」等と言った趣旨の主張がされておりました。
 しかしその入門書には、それ以上の説明が無い為、私の足りない頭では意味を理解しきれないので教えて下さい。
 
 もし、真実を探求しない側の人間等に、「なぜ全ての人間が真実を探求する必要があるのでしょうか? なぜ真実を探求しない人間は駄目なのでしょうか? 真実を探求する必要性の有無は、それぞれの価値観の相違等により異なるのではないのでしょうか?」等と反論された場合、哲学者の方は何と主張するのでしょうか?

 教えて下さい。宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

なぜ真実を探求しない人間は駄目なのでしょうか?


参考程度に
価値観が相対的であると、集団生活は不可能ですね。
仙人のように山にこもって一人で生活するのであれば
どのような価値観で生きても良いのです。
例えば、奈良の少女の事件の犯人のような価値観を
持つ人間がたくさんいるような社会では子育ては不可能ですね。また、万引きがたくさんいる社会では販売業は成立しませんね。殺人者がうようよいる社会では社会生活すらできません。これらは全て相対的価値観の1つですね。
つまり、哲学なり宗教なりが絶対価値を提示し、それにもとづいた道徳や法律といった価値観を設けないかぎり人間としての集団生活は出来ないということです。
一人一人が少しは正しい価値観について考えてみないといけないということですね。上記の例は、動物の世界では普通の価値観ですね。動物のようになるか人間として生き続けるかの問題に帰着するのですね。
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/02 19:14

私は哲学者ではありませんが、真実とは何かということについてこう考えます。

要するに首尾一貫というか、ひとつのまとまりを持っているものを真実としています。この意味で真実は無数にあると思います。真実を求める必要性とか真実を求めない者は劣っているといわれるのは首尾一貫していないものや人は信用できないということなのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/02 19:13

私は哲学者ではありませんが、真実とは何かということについてこう考えます。

要するに首尾一貫というか、ひとつのまとまりを持っているものを真実としています。この意味で真実は無数にあると思います。真実を求める必要性とか真実を求めない者は劣っていrといわれるのは首尾一貫していないものや人は信用できないということなのではないでしょうか?
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物事には相対的なものと絶対的なものがあると


思います。人が存在するのは絶対的だと言える。

しかし 人が優れているか劣っていると言うのは
相対的価値感といえると思うのです。

大体 ダメだと言って人の存在を否定するような
言い方をするのは個人的に観て哲学を語るには
劣ると考えられます。

では「真実の探求」何でしょうか?
その定義が曖昧なのだと思います。
他人一人だけの価値判断に左右されるのはどうか
と思います。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2005/01/02 19:12

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