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『すべての人間は生まれながらにしてその罪を背負う』

罪深いもの。それは生命。

人間が作り出す社会という、この世界に存在することに依って、楽は生じ苦は生じる。
いや、楽を作り出し苦を作り出す。

苦。
片足を失った猫の歩く後姿を見よ。

猫社会、に於いてこの猫は果たして苦、なのだろうか。

質問者からの補足コメント

  • これもテレビを見ていてのものです。

    3,4才ぐらいでしょうか。その映像に映った子供には両腕がないのです。二の腕までしか。
    その子は、介添えの手に守られながら、元気にそこらを動き回っているのです。
    まるで、両手のない不便さに気付いていないかのように。

    それを見ていて、質問文のような思いが現れたのです。
    その、ほんの一時の思いを文にしたものだから、その意図が、焦点が、定かでないですね。

    だから、私も思案中。トホホホホ、、、

    ※ 皆様の、私のこの時の、心理の分析を兼ねた回答、期待してしまいます。

      補足日時:2020/03/07 11:08
  • B-1・B-2の回答へ。

    この世に生み落とされた瞬間の呼吸が、あの泣き叫ぶ声。産声。
    こんな産声を上げるのは、人間だけらしい。

    これが、産み落とされることを拒む声と、聞こえぬか。

    このように聞こえさえすれば、生は苦であると理解できるでしょう。

    有り難うございました。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/03/07 12:26
  • 過去の自分の文章を見るのは、いやですね。何を云ってるんだろうとヒヤヒヤします。
    そして、恥ずかしくなって途中でやめてしまいます。
    だから、ここはパスします。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/03/08 09:52
  • 読み違っていました。
    新興宗教の勧誘なのかと。

    原罪があるからこそ信仰に目覚める、と云う事ですね。

    申し訳有りませんでした。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/03/08 14:46
  • ブラジュロンヌさん、もう閉めていいですか。

      補足日時:2020/03/08 17:42
  • 皆さんの回答は、みんな視点が違うから、いつも緊張しています。

    ご返事がほんとに難しいですね。
    ない知恵を絞ってご返事しています。

    有り難うございました。

      補足日時:2020/03/08 18:16

A 回答 (17件中1~10件)

しっかりと哲学カテとして考えますと 答え方は大きくみっつに分


かれるかと思います。


A. 聖書の『創世記』にしるされたアダムとエワのおかしたとされ
る罪をめぐって


B. ゴータマ・ブッダの説いた《思うようにならない》という《苦
(ドゥッカ)》をどう考えるか


C. その他いろいろ。たとえば:
★ (趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
苦。
片足を失った猫の歩く後姿を見よ。

猫社会、に於いてこの猫は果たして苦、なのだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





端折りすぎた回答:

A‐1. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヒトに生まれつきそなわった〔身と心から成る〕自然本性には〔心=
精神のうちの意志についての〕自由意志がある。

意志行為の自由には のぞましくないコトをおこなう自由度もがある。

この自由意志を説いたのが いわゆる原罪だ。意志が――意志も――
ふと道を曲がる(クリナメン)。道草を喰う自由度から生じている。

へそ曲がりというのが 原罪のことだ。


A‐2. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
原罪あるいは罪というもの これがそもそも ネツゾウである。

神であるなら――たとえ《無い神》であっても―― 人間のおかした
というあやまちを 罪として・しかも生涯にわたってついて来る原罪
として とがめるわけがない。

神は――《無神論における神》であっても―― 慈悲深く 愛である。





B‐1. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
四苦(生老病死)のうちの生苦が 問題だ。

生の苦とは いったい何のこっちゃ? と言わねばならないしろもの
である。

自分の得たというさとりを宣伝するために そのさとりが癒すという
苦が――特に生まれつきついて来たという生苦が―― あってもらわ
なくては困る だから 言いだしたのであろう。

無明――闇――というのは この生苦を説いたことを指すのではない
か。

ゴータマ氏は ブッダター(仏性)を説かなかったのである。




B‐2. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 人間には 生苦もあるのだ。

ゴータマ・ブッダを継ぐ者は それは《根本的な生存欲》であると言
う。

これによってわれわれは ときに――肝心な時に――あさましくなる。

★ 罪深いもの。それは生命。
☆ とこそ言わねばならない。

《この上なくとうとい知恵のさとり》を だまされたと思ってでも信
じて 得なさい。と。

そのゴータマにあっては 十二支縁起を知れば 苦は楽へと変えるこ
とができるという。これが さとりだ。

縁起を知らないことを 無明という。この真っ暗な闇が 生存欲でさ
まよう生苦のことである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

A-1・A-2への感想。

神こそ罪作り、と云えないでしょうか。

自分で作り出しておきながら「悪いのは俺ではない。お前だ」と云うこの態度。
身勝手じゃぁないですか。

そう思ったら、罪深いものそれは生命、なんて云えなくなってきた。
言い換えてみよう。

憐れむべきもの、それは人間。

お礼日時:2020/03/07 11:32

人間が作り出す社会という、この世界に存在することに依って、楽は生じ苦は生じる。


いや、楽を作り出し苦を作り出す。
 ↑
苦があるから、楽が解るのです。
苦が無く、楽だけだったら、楽だとは
解りません。
つまり、苦と楽はセットになっているのです。




苦。
片足を失った猫の歩く後姿を見よ。
猫社会、に於いてこの猫は果たして苦、なのだろうか。
 ↑
京都大学に霊長類研究所という世界的な研究所が
あります。
そこでは、DNA的に最も人間に近いチンパンジー
について研究しています。

そんで、チンパンジーですら、将来の事を考える
能力は無いそうです。
だから、絶望もありません。
どんな悲惨な状況でもケロッとしています。

だから片足猫にも絶望は無いと思われます。

あるのは、片足から来る不快だけです。
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この回答へのお礼

人間以外の生き物の苦楽は“その時だけ”と云うことですね。

人間はいつまでも、引きずりますね。

その、引きずる心が“客観”につながるのでしょうか。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/07 11:58

存在や前提条件を「罪」したり、「苦」とすることは、当事者からすれば意外なことで、罪意識や苦労は、あくまでもメタレベル=外部から俯瞰した場合の話になりますね。

条件が悪いなら悪いで、当事者は必死に生きていると思います。
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この回答へのお礼

そのような場合もある、という事ではないかと受け止めました。

当事者の必死さは、なかなか実感できないですね。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/07 12:43

№1です。

コメントをありがとうございます。

★ (補足欄のふたつめ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
B-1・B-2の回答(=№1)へ。

この世に生み落とされた瞬間の呼吸が、あの泣き叫ぶ声。産声。
こんな産声を上げるのは、人間だけらしい。

これが、産み落とされることを拒む声と、聞こえぬか。

このように聞こえさえすれば、生は苦であると理解できるでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ でも・だって まったく覚えていないもん。

生れ出る赤子の声をじっさいに聞いても:
★ 産み落とされることを拒む声と〔は〕聞こえぬ
☆ のです。

何を叫んでいるのかも分かりませんが ひょっとして よろこびの声かも
分からないぢゃないですか。


もし仮りに《産み落とされることを拒む声》と聞こえたとしても:
★ このように聞こえさえすれば、生は苦であると理解できる
☆ かどうかは やはり分かりません。

その《理解》が いつも生活の節々で思い出されるなどといったことは
わたしにはありません。

わたしだけが 例外なんでしょうか? みなさんに訊いてみたいもので
す。
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この回答へのお礼

先ずは“前提”を。

『人間だけが発する赤子の産声』
『この産声は、この世に生れ落ちる事を拒否すると云う、赤子の意思表示である』

ここから、演繹するのです。

私は馬鹿だから、この先に進むはずの理屈は、どのように展開していくのか、あるいは展開されていくのか、或いは展開してしまうのか、今は分かりません。

出来れば、ブラジュロンヌさんには、一旦ご自身の主張を足元に置いて、推論を試みて欲しいと思っています。

お礼日時:2020/03/07 17:55

№4ですが まづはコメントをありがとうございます。



このいまの問題で延ばすつもりはありませんが ひとこと。

★ (№4お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先ずは“前提”を。

『人間だけが発する赤子の産声』
『この産声は、この世に生れ落ちる事を拒否すると云う、赤子の意思
表示である』

ここから、演繹するのです。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ だって この前提ですでに 結論を決めてしまっているぢゃない
ですか。

あなたは この・この世に生まれ出るときの体験について身に覚えが
あるのですか?



たぶん・おそらく 誰かさんが 《生の苦》ということを言ったから
そのことと 赤子の産声〔の性格についての推測〕とを 結びつけた
ということではないのですか? わけもなく。



いやいや。もっと 事態ははっきりしています。

もしそうなら 生苦についてのそういう定説としてこれまでの二千有
余年のあいだにおさまっていても いいぢゃないですか。そういう話
は 聞いたことがありません。よ。


推測は自由ですが 決め手に欠ける。・・・こう思います。
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この回答へのお礼

孤独な作業。

ご協力いただけないんですね。

哲学って孤独な作業、なのでしょうか。

お礼日時:2020/03/07 18:28

回答№1の《B‐2》において《生苦とは〈根本的な生存欲〉だ》というのは


宮元啓一の説です。

検索すると 第一の候補に次があがっています。

▲ 根本的な生存欲 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/a888151d5 …

ついに、ゴータマ・ブッダは見抜いた。

「輪廻転生の原因は、業にある。業の原因は、欲望にある。欲望の原因は、
根本的な生存欲にある」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

最初に頂いた回答は、ブラジュロンヌさんの考えと、そうでない意見とを提示してくれているのだとは、思ってはいました。

宮本啓一と云う人の説、を見ましたが途中で終わってしまっているような感じでした。

結局、前後の事がどの様な意見になっているかが分からなければ、宮本恵一と云う人がどう結論したのかが分からないのではないかと、思いました。

苦の原因は生存欲にある、と云おうとしてるんですよね?
ブラジュロンヌさんは異議あり、なのでしょうが。

有り難うございました。
回答№7を、頂いたようなのでそちらへ行きます。

お礼日時:2020/03/07 23:13

参考になりましたら どうぞ。



☆☆ 【Q:無明( 煩悩 )とは 何なのでしょう?】 ~~~~~~~~~
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5170144.html?pg=1

▲ 宮元啓一:苦楽中道----ゴータマ・ブッダは何を発見したか
 (☆ このウェブサイトは いまはつながらなくなっています)

☆ そこでは 
▲ さとりを妨げる無明とは 《根本的な生存欲》だとブッダは発見した。
☆ と言います。

では 
○ さとりとは この生存欲をどうせよと言っているのでしょうか?
○ 無明としての《根本的な生存欲》とは 何であって どうせよと言うの
でしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

おやすみなさい。

また、明日。

今日は、有り難うございました。

お礼日時:2020/03/07 23:22

原罪がないと入信してくれへんのや。

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

Mokuzoさん、ふざけないでください。

猪突氏に通報しますよ。

お礼日時:2020/03/07 23:19

仏教では、生まれの業のもと、妄執を絶った人は生まれてこないとされてますから、そういう意味で、生まれてきた人はみんな罪を背負っているというキリスト教の主張と、仏教の話とかぶるところはあるのかな。


そんな罪を持って生まれてきたのなら、この世は牢獄に違いないという考えに至るなら、ギリシャにあったような、天上と地上の二つの世界、魂の自由、解放、みたいな発想につながってそうです。

こういう一連のお話の形態が人間の思考の全てを支配することは到底できないとは思いますが、こういう一連のお話の形態が苦や楽を幻のように作り出すことはあると思います。

逆に、お前は素晴らしい、玉の子だ、何の穢れもない、いい子いい子と教えて育てた子供はどんな考えを持った大人になるのでしょうか。そんな大人たちが形成する社会はどのようでしょうか。命を大切にする、やさしい社会になりそうな気もします。
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この回答へのお礼

敵、と云うものを知らない、或いは敵がいない、と云う生き物がいます。
こうした生き物を見ると、行動が穏やかです。優しい社会ですね。

人間の社会も一人一人がその人なりに、自身の好ましい方の心を活躍させて日常を送るようにすれば、いつの日か優しい社会になるように思います。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/08 10:39

キリスト教は「この世で幸せになれない。

」なんとなれば生まれる前から「原罪があるから。」そして、現世では救われない一生を送りながら、「教会の言うことを聞けば、死後に救われる」と言って善男善女をだましたのですよ。それに気づいたニーチェは、もはやそのようなまやかしは許されないと確信し、(キリスト教の言う)神は死んだ!と叫んだ。

一方、アジアでは、とくに仏教では、苦というのは原罪とは関係なくて、この世のことは思うようにならない(=苦)なのだから、我欲をすてて自然に生き、自然に死のうよと説いた。現実世界が思うようにならないのはキリスト教が支配した西洋も仏教が支配した世界も似たようなものだけれど、罪と苦ではまるで互換性がないのです。

今や、21世紀になって、人類は科学技術を存分に使いこなすようになり、人間が神になった。ホモデウス。
でも、人類すべてがホモデウスになれるわけではなくて、ビルゲイツとかブルームバーグとか、ウォーレンバフェットやジムロジャースなどが神になって、その他の人間はミツバチのように一生を送るのですから、まあ、21世紀も仏教の教える「一切皆苦」は依然として有効でござるね。
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この回答へのお礼

罪と苦の因果関係。

導く者(指導者)と導かれる者(集団)、の違いですね。
導くもの=罪、導かれるもの=苦、でしょうか。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/08 11:01

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