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昭和2年生まれの伯母は、励精商業学校卒業し、保健所に勤め、最後は一流建設会社の下請けの道路会社で定年まで勤めました。
昭和3年生まれの父親は、尋常高校小学校卒業し、1年は海軍工廠で働き、海軍特別年少年兵に志願、1年半近くで復員しました。その後、親戚の大工の手伝い、自営で電気工事してました。
昭和6年生まれの母親は、市立女学校卒業して、女学校は、お茶の授業が重要で、校舎の戦災あり、落ち着き勉強できない感じでした、毛織物工場の研究所の事務員で15年働きました。
89才の母親は、私は女学校卒業して毛織物の研究所の事務員で働いていたのが自慢です。
伯母の励精商業学校は、レベルが低い。
父親は中卒とバカにしてます。
そんなに、母親だけ頭がよかったと思えないです。
母親の過剰意識ですよね。
私は、当時の県立女学校が中学校が男女共学になった県立津高校の郡制度の津西高校卒業して、県立の看護短大卒業して
大学病院の内科に勤めました。
一番、長い学歴あり看護婦、ケアマネージャーと働き、約31年働きました。
その私でさえ、バカにしてます。
毛織物研究の事務員は補助で使い走りだと思います。

A 回答 (1件)

親族の皆さん真面目に働いてこられた家系のようです。

時代時代でそれぞれの価値観も違えば、生まれた背景も違いますので、お母さんはそれを自慢することで自分の生きる支えになっているのだ。と、いう感じでお母さんの話を認めてあげましょう。
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