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なぜ人は平等を語るのでしょう?

何か発言したり何かを実行しようとすると「それでは○○な人が可哀想だ」 「それは差別だ」 「その発言は○○な人を傷付けている」とよく聞きます。
ここで質問した際にも「その質問は○○な人を傷付けている」と言われました。最近の世の中の出来事だとオンライン授業導入に関して「ネット環境がない人が可哀想だ」とよく聞きました。少し前だとガキ使の笑ってはいけないでダウンタウンの浜田さんが肌を黒塗りにしたら「黒人差別だ」というクレームがあったと聞きました。

自分はこんなのおかしいと思います。

世の中には色んな人がいて自分と違う人がどうなのか気になるから質問したら「その人を傷付けている」なんて、そんな事をするから多様性、協調性が生まれないのだと思います。自分と違う人を知ること理解することで多様性を認められるのに、それを「傷付けている」と壁を作るようなことをするから溝が生まれ、被害者が差別だ!理解してくれない!と言い出すのだと思います。
私「Aな人ってなにがあったのですか?」
人「その質問はAな人を傷付けている!」
A「普通の人は自分の辛さを理解してくれない!」
とこのような悪循環が生まれるのです。誤った正義感を盾にAに寄り添おうとしている人を叩くことはどうなのでしょうか?

オンライン授業に関しても(この表現は不適切かもしれませんが語彙力がないのですみません)下の人に合わせていたらみんなのレベルが下がります。

肌の色だって黒人差別を匂わす行為をしたわけでもなく、ただ肌を黒塗りにしただけで差別だなんて、お笑いも狭くて堅苦しくなってしまいませんか。差別だと言っている人達は異常に気にし過ぎだと思います。

それに、平等を語る人って口だけで行動している人ってごく少数のような気がします。行動しないで口だけでただ批判する人が1番厄介です。

※色んな人の意見を聞きたいのですが、上から口調や煽りなどの話が出来ない人、自分の意見を押し付ける人の意見は聞きませんのでご了承ください

A 回答 (3件)

平等・・・・俺的には公平性と受け取りたいけど



とりあえずその概念は受け入れるのだよね? <-そこ否定されると先に進めない

で世の中には平等・公平性が絶対的に必要なものがある

一方で知ってか知らずか、公平性を振りかざして何かを強制させようとしたりする事もある
そこ分けて考えなければならない

上げられたケースで言うと

『オンライン授業導入』に関しては、経済的にネット環境を導入できない世帯が存在するのは事実
そこを無視して遮二無二進むのは、特に義務教育の段階に於いては教育の機会均等の考えからも不適切
オンライン授業導入するなら、経済的に導入出来ない子供向けの対策もセットで検討する必要がある

これが、義務教育を終えた先の段階になれば、義務教育段階よりもその公平性確保の優先度が下がるのも致し方ない
だからといって無視して良いとは言えない

浜田君のケースは、黒く塗った=差別と断定するのは行き過ぎかも知れない
だが、これはセクハラやパワハラでも言える事だが、行為を行った側ではなく受け取った側の感じ方が判断の主体
俺はその様子を見てないので、ちょっと判断出来かねる
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確かに「差別」ということに少し世間は神経質になりすぎているところがありますね。



たとえばですが、大昔「コビトプロレス」というものがありました。
これも「小人症の人への差別だ」「小人症の人を見世物にしている」という問題から、なくなってしまいました。
これで一番打撃を被ったのは、そのプロレスで稼いでいた小人症の当事者たちでした。

つい最近もありましたね。盲目のピン芸人がR1で優勝をしました。
あれって正直自虐ネタが受けたわけですが、自分自身の障害を笑いに変えているので、誰もそれを差別とは認識していないようですが、
同じ障害を持っている人にとっては、いやなネタだったでしょう。これを問題視しないのも変な感じですよね。
差別でも自虐なら問題ないというわけのわからない風潮なんていうものもあるんです。

おかまキャラで人気を博していたタレントたちも、そういう人たちに対しての差別だということで、
おじさん扱いしたりする笑いの取り方はしなくなっています。
このおかまであるという点で人気を得ていた人達も、そのことでは触れられなくなった分、消えつつあります。
これで受けて人気が出て、テレビで稼いでいた人たちにとっては逆効果というか、かえって損をさせてしまったことになります。

「ちびくろサンボ」という絵本も、黒人の子が主役だというだけで題名が差別だという扱いで最近までは、発刊されませんでしたが、その内容には全く差別など感じるところはなく、近年やり過ぎだという声も上がり、発刊されているようです。

ドラマや特撮などでも、何話かが差別だという観点で放映やソフト化禁止になっているものもあるようです。

確かに中にはあからさまに差別を助長する目的だけのようなものもあるかも知れませんけれど、全くそういう差別を意識して作ったものでないものまでも差別として封印してしまうのは、ちょっと行き過ぎた感は、いなめませんね。
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「なぜ人は平等を語るのでしょう?」:複雑で多様な問題が溢れる現実に疲れ、平等というスローガンに頼ってその2文字で簡単に済ませてしまいたいからでしょうか。


質問文には色々例が挙げられていますが3種類の別々のケースが混ざっているように見えます。ですがどれにしてもおかしいとは思います。
「一般化のワナ」とググるとすぐ出てきます。それはあらゆる問題について回るもので、私は常に意識しています。しかし物事を別々だと考えるのは、「一般化を避けるため」なのか?「区別」なのか?「逃げ」なのか?ということも意識しなくてはなりません。
いずれにせよ、どんな形であれ「より良くしたい」とは殆どの人が思っているでしょう。
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