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現代の世界の宗教はキリスト教、イスラム教などをはじめとして、ほとんどが一神教になっています。しかし、人類が宗教を取り入れ始めた最初のころは多神教だったと思います。ではどうして多神教から次第に一神教へ変わっていったのでしょうか。その理由を共に考えてください。

A 回答 (10件)

システムの効率化。

主に自然科学の進歩。
多神教って、よくわからないものをなんでも神のせいに神格化したものなので、
科学による物理現象の解明が進むと、神も統合されていき唯一神で宇宙の管理が間に合うようになるのです。
これが行われないと社会倫理の正当性が確立されない。

多様な文化がスマホに統合されるみたいなもの。
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ふたつ理由があると思います。



ひとつは、人類の文化の発展とともに多神教のような神々だけではものたりず、全宇宙、全世界、全人類を支配圏におさめるような強大なものを求めるようになっていくのでしょうね。
同様なことは仏教でもおこり、様々な仏の中のさらに上位の存在として「大毘盧遮那仏」(大日如来)のようなものが考え出されていきます。

ふたつめは、キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教に端を発しています。ユダヤ教は、厳しい自然の中で誕生した宗教ですから、神も厳しいものだったのでしょう。そのユダヤ教を祖とするキリスト教やイスラム教が世界を制覇しているからもあるでしょう。

宗教がわかってない人はこの4原則を知らない
https://toyokeizai.net/articles/-/334588
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生命が満ちあふれる世界では、


魂などの存在をあちこちに感じますので
多神教になります。

反対に、砂漠など、生命が乏しいと
多神教にはなりにくく、一神教に
なりがちです。

砂漠の民、ユダヤ教は一神教です。
そのユダヤ教からキリスト教とイスラム教が
発生しました。

一神教は狭義を明確に出来ますので
布教しやすく、世界宗教になる基礎が
あります。

反面、多神教は民間の習俗的な意識から
自然発生的に生まれてきた自然宗教なので
教義など作成しにくく、結果布教も難しく
ローカル宗教に終始することになります。

中国の道教、日本の神道、どちらも多神教ですが
これだけの大国の宗教でありながら
それぞれの地域を越えて広がっていません。
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多神教は雑多で柔軟


一神教は排他的で強引だから
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弱肉強食が自然だからです


宗教は権力者の道具
権力者は独裁が原則なのですから、利用する神も一つでいいのです
武力や経済力に勝る独裁者が利用する神が、他の神を駆逐していくのは当然の流れ
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人類は、人知の及ばない、超自然現象にたいする恐れや感謝から


その地域の象徴的存在を、神と崇めました
又、地域社会の人心の統一のためにも、統一した象徴が自然と求められたのです
そのため、地域により様々な神が出現し、自然と多神教となったのです
その神が、山だったり、聖なる川だったり、森、岩、木、等、多種多様でした

人類の宗教的行為は中期旧石器時代5~30万年前)の遺跡から想定されています
当初は、歌、踊り、儀式等だったと想像されますが
古代エジプト、メソポタミアでも、宗教史からはじまるのです

太古の人類は 
人を敬う事も親を尊敬することもなく
禽獣と同じように 本能で生活していました
 そして多神教の時代が訪れ 祭紀や呪術等により
生死に対する敬虔な思いが、道徳心が育まれてきました

 そのうち 祭紀や呪術 占いや霊 自然神等の
浅い、その地域限定の宗教から、人間的価値や創造 仁愛や慈悲等
広く人間の問題を解明しようとした 一神教や
高度な宗教哲学が生まれました

政治上の権力と対決する所から生まれたり
呪術の宗教よりも高次元の人間的価値や創造をめざした宗教や
実践する信者の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった宗教等も生まれました

そして 人間とは 自分とは 存在とは 生死とは
価値とは そして 「何のために」等々
賢人 聖人 哲人 宗教家 歴史学者 詩人 文学者 芸術家が 
生涯をかけて追い求めるようになりました
政治経済道徳芸術、すべてが宗教から始まったのです
しかし、此の人間究極の課題は、今だ解決されてい無いように思いますが・・・

続きもあるよ・・・参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html
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共に考えるも何も、答えは一応出ています。

それは「政治的権力が強力に権力を集中させる必要があったから」です。

なぜ、政治権力を強力に集中させる必要があったのか、4世紀から10世紀にかけて地球全体が寒冷化して食糧事情が厳しくなったからです。

人類は紀元前から古代文明といえる繁栄を得ていました。この時代は比較的小規模の都市国家が多く、各国家ごとに崇拝する神が違い、民族全体としては多神教と言える状態でした。(たとえば日本の田舎にいくと、村落ごとに神社があり、各神社の神さまが違うようなものです)

ところが4世紀になると地球全体が寒冷化し始め10世紀までそれが続きます。なので少なくなった食料を争って各民族が生き残る必要が生じ、そのために「神を統一して、その神の権威を借りた強力な指導者が必要になった」のです。

特にローマに関しては、ゲルマン民族の大移動でかなり急速に世情が悪化していったようで、キリスト教の権力化は奇妙なほどこの流れに一致しています。またローマの東西分裂はそれに先立って3世紀後半に行われていますが、これはローマの半とのうち、比較的暖かくまだ危機感の薄い東側(地中海東岸)と元々緯度が高く寒冷化が始まっていた西側(今のフランスやドイツなどを含むヨーロッパ)との違いが分裂を呼んだのです。

イスラム教はヨーロッパがキリスト教により権力集中したことから遅れて7世紀に始まります。この頃になると暖かい中近東付近でも寒冷化の影響が大きくなってきたからです。

インドも4世紀に入るとヒンドゥー教が成立します。特に気候の寒冷化の影響が強い北インドでは、それまでの各地の神々や仏教などの教えを総括し、カースト制などの序列化を含めて一元化した管理をしたグプタ朝が成立したのです。インドは多神教と言われますが、すべての神々は人間社会のカースト同様に序列化されていて、頂点の神=人間の王権になっているわけです。

隋や唐という漢民族の統一王朝ができたのも同じ理由ですが、中国は始皇帝によって「宗教に寄らない絶対権力王朝」が可能だったので、一神教にはなりませんでした。

日本も同じで4世紀から急速に天皇を中心とした統一国家に返信していきます。この時天皇は「各豪族たちの神々すべてを天皇は尊重する」というやり方をしたので、各豪族は朝廷に服し貴族として扱われるようになります。その代り天皇の権威として「日本の神々すべてに祈りをささげることができるのは天皇だけ」としたのです。

日本は4世紀から6世紀にかけて「天皇の絶対権力化」に成功したため「天皇が祈る日本の神々と仏」という形ができ、多神教が維持された、ということになります。

ヨーロッパや中近東が一神教になったのは、地中海世界であったローマや中近東世界にユダヤ教があったからです。ユダヤ教は紀元前12世紀から一神教で絶対王権の仕組みを作り上げていて、それをローマやアラブ世界が真似したので一神教になったわけです。だから、一神教の神はユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神です。

そのような参考事例を持たない、アジア各国はインドのヒンドゥー教や中国皇帝、または日本の天皇のように別の方法で絶対権力を作り上げたのです。
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多神教的よりどころの内部でも


統一の秩序をキープするための優先順位を明確にする必要性に迫られ
一神教的な頂点をコアにした体系が構築されていく。
ということだと思います。

そして今
それぞれの文化圏のそうしたよりどころを
いかに尊重しあって協調していくことができるか
という時代なんだろうと思います。
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暇を持て余しているのは私だけではなく、大勢いて、こういう時間つぶしも盛んなのだなぁ と、納得してしまいました。



ちょっとコメントしてみます。
⑧ 「統一の秩序をキープするための優先順位を明確にする必要性に迫られる」事情や適応範囲の考察が不足しているように感じます。
  多くの人は、社会生活でも、家庭生活でも、勉学や仕事でも、行き当たりバッタリ、適当ということが多く、さほど優先順位を明確にした秩序体系をもっていることはないと思います。 そもそも、信仰や宗教活動そのものへの傾斜や力点の置き方も、さほど上位にはなってないで、自身と他の人物の相対的優劣・上下の方に気が向いていることが多いと思います。 企業内、政治家同士、スポーツ演芸に限らず、宗教団体の内部でもそうでしょう。多神教・一神教を考える視点としては、物足りません。
⑦ 宗教とは別の方法で絶対権力を作り上げる例が散見されるのであれば、寒冷化や食糧事情、民族の移動や民族間の争いの場合に、宗教で多神教・一神教の相対的有効さをみるのはおかしいでしょう。 日本でも江戸時代に耶蘇教を排除してそれなりの権力機構を維持しました。メロヴィング朝のような改宗でやる方法だって採れたのであれば、絶対権力の強化維持との親和性を提示するのは、根拠薄弱だと思います。
⑥ ~~問題を解明しよう高度な宗教哲学が生まれ、高次元の人間的価値や創造をめざした宗教や実践する信者の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった宗教等も生まれということはあったのかもしれませんが、そのような方向に進むのは人口の中でどんどんと少数化します。仏教でも仏教哲学に向かうのは少数ですし、仏教哲学よりも民衆救済へと向かったのも少数です。民衆の方にしてみると、高度な宗教的学は無用ですし、多神教でも一神教でも関係ないです。中世ヨーロッパでもイコンを求める動きが盛んで、聖地巡礼も増えました。こういう民衆の動向はどこでも同じで、一神教とは関係ないです。 そのあたりに拝礼できるものがたくさんある方が、こうした民衆にとっては価値があります。 
⑤ 「武力や経済力に勝る独裁者が利用する神が、他の神を駆逐していくのは当然の流れ」とは言えるかもしれませんが、「武力や経済力に勝る独裁者が利用する神が一神教である必要性?」はないです。 事実関係は不明ですが、卑弥呼でも、アポロン神殿の巫女でも、神が1つであるという必要性はないでしょう。中国の「天」でも天の一神教などは必要としません。人民の声、国民の願い、我が国の繁栄と安全などと言ったって、独裁権力の強化はできます。
④ 「多神教は雑多で柔軟 一神教は排他的で強引だから」 どこから導き出したのでしょう。 意味不明、根拠不明のセリフです。
③ 「一神教は教義を明確に出来ますので布教しやすく、世界宗教になる基礎があり」、「多神教は民間の習俗的な意識から自然発生的に生まれてきた自然宗教なので
教義など作成しにくく、結果布教も難しくローカル宗教に終始する」可能性があるというのは、説としては分かる気がします。 しかし、教義がわかりやすい、伝えやすいからといっても、それを多くの人が受容するとは言えないでしょう。 民間の習俗的な意識から自然発生的に生まれてきたものを廃して、明確な教義に立脚し直すということは、むしろ不自然でしょう。 物理化学でシンプルな原理を教えてくれても、生活の中では、多くの現象に因果応報とか自然循環のような生まれてから大人になるまでに得た理解のフレームの方が優性に効きます。 教義が明確で文章化できるものであるかどうかは、宗教がメジャーになる上でさほど重要なことではないでしょう。 教義の明快さが重要ならば、教祖や指導者の重要性は落ちて、教義の箇条書きのようなものがメジャーになるはずですが、そうはなっていません。
② 「多神教のような神々だけではものたりず、全宇宙、全世界、全人類を支配圏におさめるような強大なものを求めるようになっていく」人がいるとしても、ごく少数です。多くの人は、宇宙や前世会、全人類などあまり気にしません。「大毘盧遮那」のようなものが考え出しても大毘盧遮那を重視する人よりも、僧や密儀や祭祀をありがたがる人の方が圧倒的に多いです。多くの人は大毘盧遮那なんてものはどうだっていいのです。 「キリスト教やイスラム教が世界を制覇しているから」はあると思います。強いもの、優勢なもの、その方が都合が良いものに付いていくというのは、普遍的にみられる傾向です。 ムスリムの増加は、商売に都合が良いというのがかなりあったという説明を聞いたことがあります。 宗教革命や英国、米国などの歴史をみても、宗教の教義や性格でみるよりは、経済社会生活上の有利不利ということが強く働いていることが分かります。 一神教・多神教だけでなく、キリスト教諸教派の分派の動きをみても、教義の違いの内容よりは、勢力争いであったことが分かります。 どれが優性、多数派になっていくのかは、教義や信仰の深さの問題ではないです。
① 「多神教って、よくわからないものをなんでも神のせいに神格化したものなので、科学による物理現象の解明が進むと、神も統合されていき唯一神で宇宙の管理が間に合うようになるのです。これが行われないと社会倫理の正当性が確立されない」 物理現象の解明が進むことと神の統合が進むことと、関係があるとは思えないし、論理的整合性のある意見ではないです。 社会倫理の正当性が確立に、多神教であるか、神概念がどうであるかには関係ないです。

さて、
> 人類が宗教を取り入れ始めた最初のころは多神教だったと思います

どうでしょうか?   「宗教を取り入れ始めた」というのがなんだかよく分かりません。  豊作、豊漁、無事、勝利、病からの回復などを願うのが宗教を取り入れることになるのでしょうか。 そのために儀式を行うようになるのが宗教を取り入れることになるのでしょうか。 鬨の声を上げる、声援する、励ますなどが宗教を取り入ることになるのでしょうか。 誕生、通過儀礼、成人、婚姻、葬儀などの儀式を行うようになるのが宗教を取り入れることになるのでしょうか。 別に、多神教とかとは関係なさそうに思います。

多神教という名前は、どのような状態を認定したときに使うのかを考えると、「多神教」という実態はないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

> どうして次第に一神教へ変わっていったのでしょうか。

エジプトにヒクソスが作った王朝があります。ヒクソスは、自分たちの神を選んだらしいです。 ちょっと意味は微妙になりますが、氏族で氏神を祀ったりというのは、結構、どこでもあるようなことです。 たぶん、世界各地で、古代も、中世も、現代でも、自分たちの神を選び祭り、その庇護や助力を得て、自分らの安全や繁栄を期するというようなことはあったし、あるのだと思います。 モーゼが率いていた集団も自分たちの神を信じてました。 いや信じようとして、背信しないこと、服従することで、安全と繁栄を獲得しようとして、契約してました。 ムハンマドも、自分を選んで啓示を与えてくれた神に帰依するによって自分の存在が保証されると感じて自分を律するようになったらしいです。 そうすると、自分のバックになってくれる絶対者が多数いるのは、コントロール上難しく、「庇護者、指示者、絶対者は唯一一人」の方が親和的です。 祈願ならば対象・願い先はたくさんあってもイイけれど、自分に指示してくる者は一人がイイ。 
その特定者の指示で自分の行動全般に近い多数のことを自分でコントロールする人や集団は、自分らの気の向くまま・欲望のままに暮らすことが多い人や集団よりも、結果的に事業などで成功する確率が高くなり、集団としてみれば、経済社会での成功の確率も高くなり、集団としての勢力を高め、優性になっていく。 その結果、一神教(特定の神の指示で生活全般を律することを求める宗教)が、社会で優勢になる。  そのような理解はできるのではないでしょうか。

ただし、資本主義の黎明期、成長期には、そうした一神教が優勢であっても、工業化社会、産業社会、情報社会、AIの活用、システムによる運用などが進展してしまうと、個人や集団が自堕落であるかコントロールが利くものであるのかの重要性は落ちていきます。 そうなってくれば、そもそも信仰や宗教が社会的地位や勢力関係を決める重要度は低下しますから、一神教であれ、カルト的なのや、背後霊、至高神などと言っても、信者の獲得には低いところで限界が来てしまうでしょう。
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太古の時代から八百万、偶像崇拝、数え切れないほどの民族が消滅している、一神教お教えてくれたのはユダヤ人、先祖代々のユダヤ教、神の教えに反する教理が蔓延、イエスキリスト神ご自身が生ける神となって愛を説かれた、ギリシャ神話では伝説偶像がいっぱいある、弟子たちもギリシャを訪れた時偶像をたくさん見ている、祭壇だけの名もない神も祭ってある、この神は保険、何か悪いことが起こった時、偶像が守ってくれなかった、名もない神様忘れていました失礼しましたと祈る、名もない神様をイエスキリストにすり替えてキリスト教の信者を増やした、ギリシャはキリスト教国、国旗は、十字架、めでたしめでたし。

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