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なぜ日本は多神教なんですか?

A 回答 (8件)

自分が物心ついて世界を見回した時、神様っていっぱい居ると思う方が自然だと思いますが、違いますか。

いっぱい居ると思えたのに実はそうでなくって、たった一柱の神しかいないのだと言う理屈を考え出すには、余程の込み入った理屈が必要だと思うのですが、どうでしょうか。

だから、自明でない質問は「なぜ一神教を唱えている民族がいるのですか」ではないでしょうか。
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もともと宗教は多神教です。


一神教はより強い救いを求める人たちが見いだしたものです。
では多神教はどのようなものか。
ほぼ自然発生的に生まれるものです。
例えば太陽神というのは世界どこいってもあります。太陽はたくさんの恵みをもたらしてくれるので尊い存在です。太陽神を奉というよりは、太陽から発せられるパワーを奉っているというイメージです。
太陽だけではなく私たちは海や風、草花全てに生かされています。
日本はゴリゴリの多神教です。神話ではイザナギとイザナミどんどん子供を産み増やしていきます。日本中神様でごった返しています。もはや身の回りのもの全てが神さまです。だから自分を含めた全てを尊び生きましょうという教えです。
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日本民族の信仰心は無いに等しく八百万が神、ずーっと無知のまま。

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日本はなぜ多神教化というと


・古代の多神教の時代に、日本に居る豪族たちが合併して日本という統一国家を作ったから
・その統一国家のまま、異国に征服されることもなく、内乱で政治体制が変わることも無く、現代まで生き残ったから
です。

他の方もかかれていますが、2000年ぐらい前までは世界中どこでも多神教でした。ギリシャ神話に太陽神・美の女神・海神などが出てくるように、いろんな神様が居るのが普通だったのです。ただし、ユダヤ人だけは3500年以上前から一神教でしたけどね。

ただ多神教というのは「一つの民族が色々な神を信じている」ということではないのです。その地域に様々な伝承と神々がいて「その中のどれかを自分の部族の神にして崇める」というのが一般的でした。

ギリシャなんかは、一口に「ギリシャ」といいますが、当時は城壁国家=ポリスで、そのポリスごとに重要な神様は異なっていました。もちろんギリシャ人はギリシャ神話の様々な神々を敬いましたが、自分のポリスで重要な神は異なっていたのです。

そして当時の戦争は「部族ごとの戦争」であって、同じギリシャ系民族でも争うことがありました。この争いに負けると、最悪は部族全員抹殺、よくても全員奴隷に売ってしまうようなことになり、そうなると「神さまを敬う民が居なくなってしまう」ということになります。

実はここがとても重要で古代では「その神を敬う部族民が居なくなるということは、その部族が滅んだということ」だったのです。

で、日本に戻ります。
日本も魏志倭人伝に書かれているように、3・4世紀辺りは豪族(部族)ごとに相当に争っていたようです。当然ですが、豪族ごとに祀っている神は違い、負ければその神も人々も滅んだ、のです。

しかし5世紀ごろになると日本に「大和朝廷」という大きな国家が成立していきます。当然ですが、大和朝廷(つまり天皇家)はいろいろな豪族たちを臣下にした征服王朝だったわけです。

では、当時の天皇家が武力で多くの豪族を滅ぼしていったのかというとそうでもないようです。ある約束をして、臣下に収めて行ったようなのです。

その約束とは「あなたの神も私の神と同じように私は敬います。私がみんなの神様たちを一緒に祀ります」と天皇が各豪族に申し出て、その代り豪族たちは配下に収まっていったのです。

上記の「神を敬う民が居なくなればその部族は滅ぶ」という視点から見れば「天皇が部下の豪族たちの神々を祈り続けるなら、その民族は天皇家が滅びない限り存続し続ける」ということになります。そしてもう一つ重要なのは、天皇を頂点にして「天皇が祈ってくれる神々の部族はみんな平等」ということにもなったわけです。

この約束によって、成立したのが「統一国家日本=大和朝廷」なのです。ですから、各地の神々はそのまま、その土地でくらす人々の信仰、それも争いのない平和な信仰によって生き続けることになったわけです。

これが「古代に豪族たちが合併して、統一国家日本を作った」ということです。

そして、この約束(天皇が各地の神様たちを一緒に祈る)というのは現在でも生きています。天皇が行う宮中祭祀がそれで、だから天皇は「日本の祭祀長であり現人神」といわれたわけです。

時代が下って、武士の時代になっても、幕末から明治になっても、日本国民のほうもこの約束を忘れていませんでした。特に戦国時代「天下取り」が「京に上り、天皇から勅許をもらうこと」だったのは印象的です。

天皇から「幕府を開くことを許す」というお墨付きをもらえれば、日本全国の人々が納得して従う、というのが「天下取り」の本質です。これは古代の約束がまだ生きていて「天皇が誰かに政治を任せるのなら、天皇が任せた人に従う」という意識があったからです。

つまりこの当時も「天皇が各地の神様たちを一緒に祈ってくれている」ということが意識されていて、約束を果たしている天皇の言うことは聞く、ということだったといえます。もし、全国の人々が「今さら天皇の言うことなんか聞けるか!」となれば、天皇家は滅び、日本中の神々への祭祀もなくなってしまうわけで、それは「自分たちの部族が亡ぶ」事を意味していたといえるからです。

そういう関係が現在まで続いているわけで、幸いなことに日本民族(日本に居る神々を祀る天皇とその配下の部族民)と争って勝った異民族はいなかったので、ずっと古代からの約束が続いてきたのです。

だから「日本の神々は天皇家と共に現代まで生き残っている」わけで、日本人の心の中には「自分の神だけでなく、隣の村や町の神様も敬う気持ち」をもっているわけです。

それがある意味カオスな状態をつくりあげ、仏教も取り入れていますし、キリスト様も認めてしまうことにつながっています。
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はじめは、どこでも多神教だった


のです。

欧米文化発祥のギリシアも多神教
でした。

そこに、たまたまキリストという
カリスマを持った天才が登場しました。

キリスト教はユダヤ教が元になった
宗教です。

そのユダヤ教は一神教です。

だからキリスト教も一神教になっただけです。

一神教は、教義、経典があり、体系がある
ので、布教しやすいのです。

かくて、キリスト教は世界に広まったのです。

キリスト教から分派した、イスラム教も
一神教で、布教しやすく、広まりました。
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アブラハムの宗教と呼ばれる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ文化的背景を持っています。


で、それ以外の宗教や神話はほとんどが多神教的側面を持っています。日本だけでなく、ギリシャ、ローマ、ゲルマン、北欧の神話も元々は多神教でした。インドやバビロニアの神話も多神教です。

ある意味、一神教の方が圧倒的に少数派だったのです。
アステカやマヤ、インカなど一部の太陽信仰は一神教的側面があったかもしれません。
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No.1の方の補足になりますが、日本は源流が中国やインドであり、あちらは多神教です。


しかも他の宗教を吸収する文化もあります。
日本はその両方の要素があり、さらに日本流にアレンジもしています。
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自然が穏やかで豊かな地域では、山、川、海、滝、動物、樹木


などに神を見出しあがめるようになって、多神教になりやすいです
逆に中近東のように自然が過酷な地域では、自然は敵であり
あがめる気にはならず、すべてを強い力で支配する唯一絶対神を
あがめる一神教になりがちです
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