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一神教と多神教が世の中にはあると思います。ただその違いがよく分かりません。自分のリサーチだと

一神教:絶対的な神がいて、その神が人々に語りかける。そして神の創った戒律を守らなければ罰せられる(アダムとイブに神が罰を与えたように)

多神教:元々神という者は人々の心の中に存在するものである。人々が災害などを恐れて自然を奉るようになった。そこから生まれたのが多神教である。

でも正直これが正しい解釈なのか分かりません。そしてさらにこの一神教と多神教を聖書の中の話と掛け合わせて説明をしなければいけません。こうなってくるともうどうしたらいいのか分からなくなってしまいました。どなたか助けて下さい。お願いします。

A 回答 (3件)

キリスト教は一神教です


神がイエスをこの世に送った。
神がイエスが地上から離れその間聖霊が私たちを守護しそして心に語りかける。

アダムとイブの与えたのは罪ではありません。なぜなら その後神はその子孫を守護し導いていますからね。試練を与えたと言うのが正しいのかな?

すべてが神が創った 木も石も水も食べ物も そして木や石を神として祭るのは偶像崇拝と私たちは呼びます。
キリスト教では石を神として祭ってもその石は僕たちを守らないし
そして僕たちの祈りを聞かないというのがキリスト教の持つ考え方です。

そしてキリスト教の神様はどんな悪いことをしても悔い改めもうしませんと言うなら罰しません。愛の神様ですね
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ヒンズゥー教なんかは、典型的な多神教ですね。

自然崇拝から、自然に神が宿ると考え、それが多くの神を生み出しています。
聖書の中の一節に、神はこの世で唯一の神である、という記述が最初のほうにあったと思いますが、それがキリスト教が一神教だという証になります。十戒のなかに、あなたは私以外のなにものも、神としてはならない、という項目があったと思いますが、それがエホバを説明する時に、唯一の妬む神であるから、という記述があるからです。
十二使徒のパウロが最初は異教徒だったのですが、盲目になり、改宗した事によって目が見えるようになる話がありますが、そこを絡めたらどうでしょうか。その後、パウロは異教徒への布教活動に力を入れて行きます。パウロの前宗教が何だったか、もし多神教なら、イスラエルの宗教地図を説明しながら、キリスト教の布教活動をする以前は、多神教が多い地であったが、改宗が進み、と説明できると思います。
キリスト教の中でも、ギリシャ正教は、また別だったと思いますが、一応ギリシャ神話のようにヨーロッパは最初は多神教の地だったと思っていいと思います。
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こんにちは。


一神教と多神教の区別については、おおむね同意見ですが、最終目的は恐らく不可能な内容ではないかと思います。

聖書はそもそもキリスト教やユダヤ教といった一神教の経典です。

多神教の中に一神教が存在するのは、「多神教の中の一人の神」という認識がスムースに出来るので簡単なのですが、その反対はまず不可能であろうと思われます。

従って聖書を用いて多神教を解説するのは無理でしょう。
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