幼稚園時代「何組」でしたか?

ふと 思いました。


元より、

法を 知らず、
恒久的な 正しさの、
存在を 否定し、
多数迎合の 愚かさを、
知るもの、
ですが。


こうした方は、

何を 基準に、
行動を、
判断、選択、
しているのでしょうか?


抑も、

常識も 間違えだらけで。


しかも、

「正しい、」も 朧気なら、
基準に 何を、
置いているのか、
さっぱり 分かりません。


如何でしょう、

何を 基準に、
行動して いるのですか?

A 回答 (6件)

「流転しても、正しくあり続けられませんよね?」=その通りです。


だから人間であれば流転している最中には必ず人との関係性を持ち続けます。その中で、関係性の中で、己の中で、「正しさを身に着けていく」のだと思います。
中には正しさを身に着けられない人もいるでしょう。でも、それでもその人でも流転し続けるのです。流転のなかで悪に染まる人も中にはいるでしょう。
悪とは何だと思いますか? 規律に、基準、、、、に違反した人ですか?
その基準を作ったのは誰ですか?
基準を作ったのも人間です。悪法でも「法は法」です。
流転の中で、すべての人が正しい方向を向いて行動することは不可能です。なぜなら
己、個々のなかに基準があるからです。
だから、みんな平等に、肩を並べ、笑いあい、頼りあえる、、、このような世界はあり得ません。
有史以来、人類は幾度となく争いを繰り返してきました。今後もそのようになると思います。が
それを「是」とするのも「非」とするのも、「自分」です。その判断基準を磨いていくのも、又、「自分」だと思います。
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この回答へのお礼

うーん・・・

ご投稿に 気付くのが、
遅れ、
申し訳 ありません。


所で、

前項で、
〉「万物は流転している」〈割愛〉「校正し続ける」こ…
と 申されました。



此処で、

「校正とは、」に 触れますが、
https://kotobank.jp/word/校正-62415
より、

キャリブレーション。検定また補正ともいう。測定器の目盛りを,正しい基準量と比較して補正値を知ること。〈割愛〉

印刷工程の途中で,校正刷りと原稿を照合し,文字の誤り,不備,不正確,不統一,不手ぎわ,レイアウトの違いなどを正す仕事。〈割愛〉

と ありますが。


大筋では、

計器に対してでも、
印刷に対してでも。


何方にしろ、

「正しさや、適正さを、
保つ、」と いう意味と、
取って いいかと、
思っています。


しかしながら、

「流転では 正しさを、
保てる 訳では、
無いのでは?、」

との 旨の、
問い掛けに対し。


〉「流転しても、正しくあり続けられませんよね?」=その通りです。

と 答えられました。


更に、

其れ以降の 文面に、
よっても、

「流転では 正しさに、
行き着けない、」


詰まりは、

「校正基準を 持ち得す、
校正は 自らに、
課し得ない、」

と、
申されて いるように、
見受けます。


此は、

矛盾所か 言葉遊びレベルですよね?
不快です、
強い 遺憾を、
述べます。


何ともはや、

私を 使って、
遊んでいるのですか?

敬意を 配する、
気が 失せました。


もう一点、

何だか ぼやけた事を、
連綿と 申されて、
いますが。


数学的知識さえあれば、

ノイズ混じりな中から
適正値を 導ける、

そうした事は、
周知の 事実。


貴方が、

ノイズに 翻弄され、
囚われ 抜け出せなかろうが。


無関係に、

目端の 利くものは、
いて、

知識から 其の源泉足る、
知恵を、

知恵から 矛盾を、
割り出し 道理を、

道理の 連綿から、
悟りを、

悟りの 連綿から、
自ずを、

各々 悟り、

幾つもの 開眼に、
辿り着けるのですよ。


なにを、

無用に 諦めた、
故の 果ての、
間違いを 書き垂れているのですか?


失礼ながら、

「知ったかぶり、」と しか、
思えませんよ?

改められては 如何ですか?

お礼日時:2020/07/22 10:47

「其の性なのですか?」=そうです。

その性です。その性になったのも、その性にしたのも、自分です。知っていたか、知らなかったかは関係ありません。
「どうやって 校正し続け得るのですか?」=人は1人では生きていけません。そもそも人は人から生まれた瞬間から人と人との関係性を一生持ち続けていきます。この世の万物はすべて関係性の中で生きています。一見、生命がないように見える小石でも突然出来上がったものではありません。岩から削られ、石になり、小石になり、砂となり、海に堆積し蓄積され、また岩となります。万物は流転しています。「万物は流転している」このことが、あなたがおっしゃる「校正し続ける」ことにつながると思います。
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この回答へのお礼

流転しても、

正しく あり続けられませんよね?


もし、

流転に より、
正しく 構成できるなら、

もう 既に
 達と 人族は、
肩を 並べ。


対等に、

笑い合い 頼り合えるように、
なってますよね?


でも、

実際に そうは、
なっては いなく、
ないですか?

お礼日時:2020/07/13 08:20

ごめんなさい。


そうですね。

逆ですね。為政者の都合ですかね?
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この回答へのお礼

そうなのですか?

お礼日時:2020/07/13 08:08

良心。

無条件の愛。

人を殺して何が悪いの?と本気で考える様な人にはわかりませんね。

ほとんどの人は、本気で分からない人はいないですけど。
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この回答へのお礼

有難うございます。


しかし、

「恒久的な 正しさの、
 存在を 否定し、」

と 条件指定を
しております。


〉無条件の愛

とは、
条件指定に 反しませんか?

お礼日時:2020/07/12 23:09

昔から謂われてますが


「氏より育ち」
血筋、家庭環境、教育、歴史、読書、宗教、趣味、数え上げればきりありませんが自己を創ることです。
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この回答へのお礼

有難うございます。


「育ち、」とは、

未成任期ですか?


其れとも、

其れ迄の 過去ですか?


経験則では、

正しさの 肯定も、
無き 内は、

経験内だけでは 矛盾無き、
齟齬を、

論理的に 自身内からの、
排除が、

不可なのでは ないのですか?

お礼日時:2020/07/12 23:20

「自分」でしょうね。

自分の考えが判断基準だと思いますよ。いままで育ってきた環境や処遇などで「いくつの時の場合でもその瞬間の判断基準」はあるはずです。
よって「常識」も「行動」も「考え」も判断基準は「自分」だと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。


では、

違法を 平気で、
其れと 知らすが、
犯し、

其れと 知ってか、
不当に 他者を、
貪るのも、

平気で 倫理を、
侵すのも、

其の性なのですか?


抑も、

正しさも、法も、倫理も、
他の 何も、
知らず、認めず。


どうやって、

己が、
正しさを、論理を、

どうやって 校正し続け得るのですか?

お礼日時:2020/07/12 23:27

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