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青少年のような問いかけですが。
何故生きるのか。
人生とは、暗闇の森から淡い光を見出すような連続が人生である。
光がもう届かなくとも、人生は続く。
鬱屈した私の精神は、暴虐さを露にするだけの身体的能力も最早望めない。
私を此の世に導き、私を驚愕させ、混迷させ、死に対する憧憬を思うようにさせられたのは、社会である。
何故、社会は闘争的で、混乱を招くような事件ばかりを起こすのか。
人生はカオスだからなのか。
私は深いため息をし、此の世に生を受けたことを深く恨む。
私は贅沢な人間だ。
私ほど、傲慢な人間も珍しかろう・・・・。
私は闘争は好まない。
只、安寧の内に人生の幕を閉じるのを望むが、社会というのは、そもそも、暴虐である。
だから、安寧の内に、私の人生が幕を閉じるということは、先ず、考えられない。
社会は闘争であり、強奪そのものであり、此の世の光は嘘である。
此の世の光というものは、抑々が誰にとっても屈折して映っているものである。
男女の求愛がある限り、此の世は闘争だ。
男女愛の愚行さは、世界を滅ぼす。
No.24ベストアンサー
- 回答日時:
ちょいと長いうえに
学校の授業のような内容の動画なんですけどね
意識や心!
なるのものの考え方を
根底からくつがえす仮説
質問者さんの捉えられてる
社会や意識、心などなど
この仮説を通して考えてみると
楽になるかも知れないですよ
No.23
- 回答日時:
「私の心が深い闇であるのであれば、他者の心も又、深い闇であると推測できる」とのコメントはまさに質問者さんを「象徴」しているコメントですね。
因みに私は共感性がないので他人の気持ちが理解出来ませんでした。
しかしながらそれでは他人とのコミニュケーションを取る上で「困る事」があったので他人の気持ちを理解する為にあえて「他人の心に土足で入る」ようにしていた時期が有りました。
そうしたおかげで「他人の心の有様」を体感出来ました。
その経験から言えることは「心に闇を抱えている人」もいれば「闇らしい闇を抱えていない人」もいたという事です。
No.22
- 回答日時:
人とは、信じたり
疑ったりする
生き物だけど
信じても、疑っても
他人は存在してるもんね
人は争いを好まない生き物だけど
争わないと、生きていけない生き物なのかも?
好戦的とか自衛手段とかって
意味ではなくて
極論すれば
人がこの世に生を受けたのは
現実社会で争うために
なにと争うのかは
個人の経験や価値観にまかされてるけど
争わないって考え方も
ある意味
現実では争ってることになるもんね
No.21
- 回答日時:
質問者さんのご返答で記されてる見方・捉え方・考え方をすればその返答はある意味正しいと言えるでしょう。
ですがそれはその見方・捉え方・考え方によるからであってそれとは違う見方・捉え方・考え方ならば質問者さんのだされたその答えが必ずも正しいと言えなくなります。
正直、私の心は深淵なる闇です。
何故、人生が暗がりの中から、一筋の光を見出す作業の連続となりうるのか。
抑々、私の心が深い闇であるのであれば、他者の心も又、深い闇であると推測できるからです。
闇は底深く、何処までも堕ちて行くものです。
人生が有限であるのは、自分の正体は一生、人間は掴み取ることはできないからです。
闇から生まれ、死して、闇に帰る。
私は私の心を掴み取れないので、私自身が私のことを熟知している訳ではないのです。
ただ、状況判断は出来ますが、相対的な判断で有って、絶対的な判断というものは、そもそも存在しないのですね。
No.20
- 回答日時:
変化に餓えてるのは
飽食の現代だけじゃないかな?
過去に行けないから
立証は不可能だけど
人類の歴史って
飢えとの戦いだと、個人的には
思ってるよ
餓えてると
変化より
安定や安らぎをもとめそうで
餓えてない人が
変化や争いを好むのも
歴史の事実だと
個人的には思ってますよ
歴史は連続的です。
歴史観にとらわれ過ぎて、私はヒトを信じられなくなっているのかもしれませんね。
本来、ヒトは、和平的で争いを好む生命体ではないのかもしれませんが、時間は連続しているので、立場というものは、平等にはなり得なくとも、報酬は可能な限り、平等にした方が無闇な争いは避けられるものではないか、と、期待したいですが、法がないです。
No.15
- 回答日時:
人は徹底的な絶望の中で生きることは難しい。
上記は必ずしも正しいとは言えません。と言うのも人には「感覚が麻痺」したり「正常性バイアス」がかかったり「現実逃避」するなどで本来ならば「絶望感」に苛まれる状況であっても「絶望感」を感じなくなる場合があるからです。
抑々が思考の原動力になっているのが、不安力だからである。
についでに言うと人が不安感に苛まれた場合「思考停止状態」に陥る場合があります。
よって不安力が思考の原動力になるとは言い難いです。
人には「飽きる」と言う感覚があり「飽きる」と言う感覚が生じた場合それに耐えられなくなる場合があります。
その場合現状を打破しようとする心理が生じるのです
現状を打破しようとするとき人は思考するのです
よって思考の原動力は不安よりむしろ「飽き」となります
変えられないようのない、未来(死という意味ではないです。)がほぼ確定している場合、(その未来は暗澹たる未来図)自力で変えようがない場合、人は不安になり、厭世観が増しませんか。
自分の努力に依って、暗い未来を変えられないのであれば、自暴自棄になる人はでます。抑々、競争社会とは、勝者と敗者を生む訳ですが、敗者から復活しようにもないほど、敗れた場合、人はそれでも、希望の光を見出すことが出来るでしょうか。
社会と孤絶し、孤立化が深まると、鬱屈した心は不安が増し、人生を考えるものではないでしょうか。
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「運命」とは、イチジクのような甘美さと、薔薇の棘のような残酷さを備えた、諸刃の剣である。
抑々考えるという作業は、「不安」だからではないのか。
不安は、精神を暴走させ、安寧の心境から遠ざける。
闘争社会は波乱含みの社会で、闘争のない社会は、堕落を生むだけだ。
人間は生きている限り、勝利に拘泥しなければならない。多くの敗者を生んでも堕落した社会よりはマシだ。
堕落の中でも性堕落の社会は、見るに耐えかねる。
人間は生まれたら覚悟しなければならない。
馬脚が壊れるまで走り続けるのである。社会論
馬脚が壊れたら、病院送りだ。やはり、社会論
抑々、人間とは、考えることは、悲惨なのである。キリスト教的な解釈です。
自らの意思で、原状回復、又は、未来志向へと頭脳が舞い上がりにくいことは、最早、人生は苦しみの集大成となったことと同意である。
人生の意味を考えても、人には人生の意味は分からないのである。
そうであるならば、
人生の意味を考えることを中断して、
自らの人生を愛するよう努めた方が遥かに賢明である。
真っ当に生きたいのであれば、律法を遵守することである。
法に依って裁かれたくないのであれば、違法行為は慎むべき行為である。
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食欲も、一時的
睡眠欲も、一時的
排泄欲も、一時的
性欲も、一時的
詰り、満足という言葉があるが、満足できない生命体がヒトだからである。
人の人生は変化に富んでいないと充足感が得られなくなり、飽きてくる。
食欲を巡っては、多種多様なメニュー。
睡眠欲を巡っては、異なった夢。
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性欲は、相手をとっかえひっかえしたい。
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そのことを人は傲慢だと非難する者もいるが、強者、弱者を問わず、ヒトは傲慢である。