性格悪い人が優勝

青少年のような問いかけですが。

何故生きるのか。

人生とは、暗闇の森から淡い光を見出すような連続が人生である。

光がもう届かなくとも、人生は続く。

鬱屈した私の精神は、暴虐さを露にするだけの身体的能力も最早望めない。

私を此の世に導き、私を驚愕させ、混迷させ、死に対する憧憬を思うようにさせられたのは、社会である。


何故、社会は闘争的で、混乱を招くような事件ばかりを起こすのか。

人生はカオスだからなのか。

私は深いため息をし、此の世に生を受けたことを深く恨む。

私は贅沢な人間だ。

私ほど、傲慢な人間も珍しかろう・・・・。

私は闘争は好まない。

只、安寧の内に人生の幕を閉じるのを望むが、社会というのは、そもそも、暴虐である。

だから、安寧の内に、私の人生が幕を閉じるということは、先ず、考えられない。

社会は闘争であり、強奪そのものであり、此の世の光は嘘である。

此の世の光というものは、抑々が誰にとっても屈折して映っているものである。

男女の求愛がある限り、此の世は闘争だ。

男女愛の愚行さは、世界を滅ぼす。

質問者からの補足コメント

  • 「運命」とは、イチジクのような甘美さと、薔薇の棘のような残酷さを備えた、諸刃の剣である。

      補足日時:2020/07/19 22:05
  • 抑々考えるという作業は、「不安」だからではないのか。

    不安は、精神を暴走させ、安寧の心境から遠ざける。

    闘争社会は波乱含みの社会で、闘争のない社会は、堕落を生むだけだ。

    人間は生きている限り、勝利に拘泥しなければならない。多くの敗者を生んでも堕落した社会よりはマシだ。

    堕落の中でも性堕落の社会は、見るに耐えかねる。

      補足日時:2020/07/19 22:16
  • 人間は生まれたら覚悟しなければならない。

    馬脚が壊れるまで走り続けるのである。社会論

    馬脚が壊れたら、病院送りだ。やはり、社会論

    抑々、人間とは、考えることは、悲惨なのである。キリスト教的な解釈です。

    自らの意思で、原状回復、又は、未来志向へと頭脳が舞い上がりにくいことは、最早、人生は苦しみの集大成となったことと同意である。

      補足日時:2020/07/19 22:32
  • 人生の意味を考えても、人には人生の意味は分からないのである。

    そうであるならば、

    人生の意味を考えることを中断して、

    自らの人生を愛するよう努めた方が遥かに賢明である。

      補足日時:2020/07/23 23:14
  • 真っ当に生きたいのであれば、律法を遵守することである。

    法に依って裁かれたくないのであれば、違法行為は慎むべき行為である。

      補足日時:2020/07/23 23:17
  • ヒトが満足感を得られないのは、

    食欲も、一時的
    睡眠欲も、一時的
    排泄欲も、一時的
    性欲も、一時的

    詰り、満足という言葉があるが、満足できない生命体がヒトだからである。

      補足日時:2020/07/24 01:53
  • 人の人生は変化に富んでいないと充足感が得られなくなり、飽きてくる。

    食欲を巡っては、多種多様なメニュー。
    睡眠欲を巡っては、異なった夢。
    排泄欲を巡っては、便は、体調に依って、軟便だったり、硬便だったりする。
    性欲は、相手をとっかえひっかえしたい。

    人生は変化に富んでいないと、精神的に、不調気味になる。

    人の一生に、充足感は有り得ず、絶えず、飢えているのである。

    そのことを人は傲慢だと非難する者もいるが、強者、弱者を問わず、ヒトは傲慢である。

      補足日時:2020/07/24 02:17

A 回答 (24件中21~24件)

生きるためです。



このことに気づいたのは60歳を過ぎて、息子の闘病時の飢餓状態を経験したからです。
私は飢餓状態を経験した記憶はありませんが、この状態になると頭の中は食べることだけに占有されて他の高次の思考回路はシャットされてしまうようにできており、このことに気づいた時に、えらそうなことを言ってる連中がとてつもなくちっぽけな存在に感じました。

人が生きるためにいきていることに気づくと、ものの味方が一変しますが、それがまた新たな気づきにつながります。それは、つぎのようなことです。

ヒトが生きるために生きる仕組みはとても巧妙だと思います。
まずは、常に環境に適応して最小エネルギーで生きようとする仕組みがあります。要するに人は常に楽して生きようとします。
しかし、この仕組みだけだと環境負荷が小さくなるにつれて負のスパイラルに陥って、死期が早まります。
この良い例が老齢化による糖尿病発症時のカロリー制限です。

もう一つの仕組みが宗教や哲学などの大元となる「生きる目的」です。
生きる目的は一人一人違うだけでなく、同じ人であっても年齢によって変化していますが、これは負のスパイラルに陥ることを防ぐために存在していて、これが人を成長させ体力を維持する原動力になっています。

若い時に、人はなんのために生きるのか考えたことはありませんが、以上が年をとってたどりついた結論です。
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この回答へのお礼

生を積極的に捉えるためには、「楽しさ」が必要です。

お礼日時:2020/07/20 19:04

★★ (趣旨説明欄) 社会は闘争であり、強奪そのものであり、


此の世の光は嘘である。

☆ いさかひや たたかひは アマアガリ・シンドロームという
性癖から起こります。マウンティング指向と言いかえることが出
来ます。


アマアガリと言うからには その人は あたかも社会にあって一
階にいてはツマランと言って 雲の上のやしろとも言うべき第二
階をつくりそこに棲むようになった場合を言います。お山の大将
型と言えます。

(これが 国家というものです。家と言うからには二階建て構造
です。)


そのシンドロームというのは 一階にいる人びとにもそのクセを
見倣うばあいが出て 相手と向き合うときに あたかもまなざし
を上からそそぐという《努力》をするようになる状態です。

アマテラス予備軍症候群とも呼びます。

つねに不平不満をかこち愚痴をこぼし ちょっと地位の高い役職
につけば ガミガミ役になってゆきます。





ふつうに――なぜか つねに――水平指向にある人間は そこで
あたかも社会の免疫細胞としてはたらくかのように 自発的にそ
のガミガミ・ヰルスを受け留めて アース役になる心を持ち合わ
せています。

ゴミ清浄化かつ再生工場であるかのごとく。


このアース役が――いと高きところのでなくとも――:
★ 此の世の光
☆ です。

それが:
★ 嘘です。
☆ というのは 受け身のちからというのが ふつうに自然に 
よわいものであるからです。




★ 此の世の光というものは、抑々が誰にとっても屈折して映っ
ているものである。

☆ かなしいかな 或るいはむしろ むべなるかな このアース
役のチカラは よわいときにこそ つよい。と言われています。

悪貨が良貨を駆逐するというのが 世のならはしだということに
なっています。





この情況に向き合うとき 勝つためには 《なにもしないたたか
ひ》を推し進めます。

クリスマスツリーのようにかざりをつけるのでは必ずしもなくて 
あたかも樅の木本体だけで存在するかのように生きます。


シンドロームとして着飾ったいろんなデコレーションに対して
同じような種類のカザリで対抗しても あまり効きません。

そのとき味わう:
★ 不安は、精神を暴走させ、安寧の心境から遠ざける。
☆ 免疫細胞の過剰な反応に似てしまいます。


★ 自らの意思で、原状回復、又は、未来志向へと頭脳が舞い上
がりにくいことは、最早、人生は苦しみの集大成となったことと
同意である。
☆ どうか 奥の手は何もないという奥の手を つかってみてく
ださい。
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この回答へのお礼

吉本隆明氏の「共同幻想論」が有名です。

お礼日時:2020/07/20 19:03

一言一句、一挙手一投足 全てが未来に向かって影響を与えていきます



自分に出来ることで 人の役に立つことがあればいいですねえ。
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この回答へのお礼

金融資本主義社会に、忘己利他の精神は生かせにくいであろう。


損得勘定を抜きに他者に奉仕する姿勢は金融資本主義社会では失われてしまう社会の到来と相違ないのではないだろうか。

お礼日時:2020/07/19 22:18

>>何故生きるのか。



「霊の書/アラン・カーディク」より
地上誕生の目的
完全に到達する手段として、神の課し給うた必要な体験である。ある霊にとっては罪亡ぼしの意味をもち、またある霊には、これをもって使命を果たすことになる。
完全を達成するためにいろいろ経験することは大変有用なことである。
・・・中略・・・
かくて、彼は1つの歯車のごとく、自己の役割をもって貢献し、他方では自分自身の進歩向上をも達成するのである。

簡単にいえば、霊(魂)が進歩・発展するために「あの世」から「この世」に海外留学としてやってきているって感じです。
自殺などで「あの世」に勝手に留学を中断して戻ると、この世で米国の大学にせっかく留学したのに、中退して戻ってきて、両親に怒られるみたいに神に叱られる。
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この回答へのお礼

人生は只管、苦悩の連続でしかない。

神が人を愛しているのであれば、何故に苦悩という暗闇を提示なされたのか。

私は人生が狂おしい。

狂おしいから、自らを鼓舞するしか、手段を持ち合わせていない。

人の世の法ではなく、神の法とはなんと、人を悩まさせ、苦悩させ、落胆させ、絶望の淵に私を絶たせるのであろうか。

私はもう若くない。

神は私の安らかな安眠さえ、妨げる、「法」を私に課したのだ。

何故ですか。

神よ!

不安は増幅させ、現世を何度も繰り返すのではないか、と私を慄かせる・・・・・。

お礼日時:2020/07/19 21:50

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