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青少年のような問いかけですが。
何故生きるのか。
人生とは、暗闇の森から淡い光を見出すような連続が人生である。
光がもう届かなくとも、人生は続く。
鬱屈した私の精神は、暴虐さを露にするだけの身体的能力も最早望めない。
私を此の世に導き、私を驚愕させ、混迷させ、死に対する憧憬を思うようにさせられたのは、社会である。
何故、社会は闘争的で、混乱を招くような事件ばかりを起こすのか。
人生はカオスだからなのか。
私は深いため息をし、此の世に生を受けたことを深く恨む。
私は贅沢な人間だ。
私ほど、傲慢な人間も珍しかろう・・・・。
私は闘争は好まない。
只、安寧の内に人生の幕を閉じるのを望むが、社会というのは、そもそも、暴虐である。
だから、安寧の内に、私の人生が幕を閉じるということは、先ず、考えられない。
社会は闘争であり、強奪そのものであり、此の世の光は嘘である。
此の世の光というものは、抑々が誰にとっても屈折して映っているものである。
男女の求愛がある限り、此の世は闘争だ。
男女愛の愚行さは、世界を滅ぼす。
No.14
- 回答日時:
存在理由は、有事には、戦争賛同。
存在理由は、平時では、平和賛同。
上記はある意味正しいでしょう。
集団に属するには集団の向かう方向に同調する必要があるからです
因みに集団が向かう方向に同調しようとするその心理のことを「集団心理」と言います。
それはそれとして
集団から外れた者であって孤独に耐えれる者が集団に属さなければならない理由がないのならば集団に従う理由がありません。
集団に従う理由がないのなら集団に同調しなければならない理由も無いのです。これが「集団心理」に陥らないその理由です。
そのような者は上記の質問者さんのご返答には必ずしも当てはまらなくなります。
更に言えば集団内に存在するその理由が不要となるので結果として「存在理由」や「生きる理由」を問うその理由が不要となります。
私は精神的には「人の輪」即ち「人の集団」から外れていてます。孤独に慣れています。
精神的に集団に戻ろうとしても体それを拒絶しているので戻れません。
結果として私には「存在理由」や「生きる理由」を問うその理由がありません。
だからこそ私は特に「生存理由」や「生きる理由」を問うてはいません。
No.13
- 回答日時:
人は何故生きる理由を問うのか? 生きるとは「生存」する事であり故に「存在」に通じます。
よって「生きる理由を問う」とは「存在する理由を問う」に通じるとなります。
では何故人は存在する理由を問うのか?
ここから先は私個人の考えです。
人は集団で活きることを選んだ生き物であるからこそ集団内で存在する理由が必要となります。
逆に言えば集団内で存在する理由がない者はその集団から追い出されてしまいかねないのです。
集団から追い出されるとは孤独になるという事です。
集団で活きることを選んだヒトという生き物にとって孤独になるのは耐え難いことなのです
故にヒトは集団内で存在する理由を探そうとするのです。
これが人が存在する理由を問うその理由です。
存在する理由を問うことは生きる理由を問うことに通じる事から
人が生きる理由を問うその理由は人が人の集団内で存在する理由が必要だからでしょう。
No.12
- 回答日時:
過去を振り返ってみると私には「満足感に浸った」記憶がありません。
ですが「満足感に浸った事が無い事」に対して不満感を抱いた記憶もありません。私が「生に対して特に執着していはおらず死に対して特に拒絶感が無い」のは多分に生まれ持った「気質」だからでしょう。
それと幼い頃に聞いた「ケセラセラ」と言葉が「パズルにピース」が収まった如くに私の心に「ぴたっとハマった」からだと思います。
因みに「ケセラセラ」という言葉が私の心に「ぴたっとハマった」のは幼い頃の私は瑣末でどうでもいいような事を気にしずきるところがあってそれに対してそれは「いいことでは無い」と本能的に感じてその癖をどうにかしないといけないと感じていたとき「ケセラセラ」と言う言葉がその癖を治してくれそうに感じからです
「ケセラセラ」とは「なるようになる」との意味です
加えて「ザ・ブルーハーツ」の曲である「少年の詩」の歌詞の中に「どうにもならない事なんてどうにでもなっていい事」と言う一文があるのですがその一文も私の心に深く刺さりました。
と言うのも私は「どうにでもならないような状況」に置かれたとき「どうにかしようとする」癖があってそうすると大抵失敗していたのです。
そんなときに上記の一文を聞いて「どうにもならないような状況」に落ちいたときには「どうにかしようと藻掻く」よりもそれを受け入れ流れに身を任せたほうが私にとっていいと気がついたのです。
ですから「死ぬときがきたらそれを受け入れて死ねばいい」と考えるようになリました。
宗教観、哲学を志す意識の主はネガティブシンキングを追求し続けることだと思えます。
鬱屈していなければ、人は生きる理由を問うでしょうか。
そもそも、宗教者、哲学者とは、お根暗なんだと思えます。
No.10
- 回答日時:
何のために生きているのか?何のために働いているのか?
難しい問題ですね。
お金のため…、食べていくため…、家族を養うため…
どの回答もしっくり来ませんよね?
恐らく、答えてる本人も心の片隅でそれを分かっているはずです。
「これら全て、大して意味も価値もないものだということにね。」
でもそれを認めたくないから、奥底にある虚無から目をそらしたいから、あえて自分に,価値あるものだ,と言い聞かせている。
そして死ぬ前になってやっと気づく。
「今までやってきたこと全てが、現実から目を背けてきた行為だったということに。」
面白い話がありまして、医者から余命宣告を受けた患者の中には、突然自伝を書き出したり、カメラに自分の生前の姿を残したりしだす人が多くいるみたいですね。
心の奥底ではみんな分かってるんですね…いつか、この世から自分という存在が跡形も無くなってしまうということを…
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