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沖縄戦について質問です。

私の大叔父が沖縄戦で戦死(独立臼砲第一連隊)したのですが、沖縄県民の多くが現地で招集されたらしいのです。少年兵から初老の男性までいたと思われます。
おそらく、県民を招集しても小銃1本も持っていない、悪い言い方をすれば戦力にならない人たちを日本軍はなぜ招集したのでしょうか?

A 回答 (5件)

飛行場や塹壕などの陣地構築や通信・連絡要員など、後方勤務に就かせるため。


土地勘がある者はゲリラ戦や遊撃隊の進路活用なども行いました。
ただし、戦闘による正規兵の損耗などで戦車への肉薄攻撃なども行いました。

戦闘員としての招集は兵役法にある防衛招集が根拠で、17~45歳の男性は
戦時または事変に際して防衛上必要ある場合に在郷軍人および国民兵役の
下士官・兵(予備役や補充兵役を終えた者)を根拠に召集されました。
本来は台湾に抽出された第9師団の穴埋めの性格でしたが、
結局は穴埋めの補充が無かったのでそのまま戦闘に参加しました。
詳しくは防衛隊で調べてみてください。

少年兵は14~17歳の鉄血勤皇隊で、こちらも防衛招集が根拠ですが
17歳未満は志願が原則ですが、学校単位で強制される例が多く
戦後の一時期は法的な瑕疵があるとの理由で防衛招集とは認められず
軍籍が無い状態でした。(その後は政治的配慮で軍人として扱っています)
こちらは防衛隊より有名ですが、損耗は防衛隊の方が多くなっています。

その他にも有名なひめゆり部隊をはじめとする女子の志願(の体裁が取られた)や
伊江島での戦闘のように自主的に竹やりで戦闘に参加した例などもあります。
海軍部隊の指揮官だった太田実は「沖縄県民斯く戦へり」で有名な決別電報で
「私(本職)が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に応募した」
と語ったくらいなので、当時の沖縄住民の意識も反映していたのかもしれません。
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戦闘員もいたとは思いますが「軍属」も多数徴発されました。


輸送や整備、一般事務など軍を支える後方支援業務には「軍属」と呼ばれる非軍人が多数参加していました。
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実態はそうであっても


〇〇隊 総勢千名
××隊 総勢二千名
という報告を上に上げれば『よくやった』と褒めて貰えるからね

あと戦力にならずとも弾よけとしてや、敵の弾薬消耗を進められるし
結局一億玉砕なのだから、戦士として死ねるなら本望だろう?ということ
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年齢なんかにかかわらず、一人でも多く戦争に駆り出したかったのだから仕方がないでしょう。

 本土でも、女性に竹やりを持たせて、上陸してくる連合軍兵士を突き刺す練習をさせていたくらいです。
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「弾除け」です



それ以外にも
本当は民間人だけが入るはずの地下壕に 日本兵が勝手に入ってきて
赤ちゃんの泣き声がうるさいと言う理中で
乳飲み子の赤ちゃんをそこで殺したりなどの事例が無数にあります
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