
No.4
- 回答日時:
戦争終盤になると、米軍パイロットは格闘戦を禁止されてますから、実戦的な比較は難しいです。
日本側の零戦二一型の編隊が、あまりに飛び方がシロウトなので、F6Fで格闘戦を挑んだら、中に混じってたベテランに相当数食われた、という空戦もあったようではありますが。運用的には、秋月型に守られた信濃に紫電改乗っけて、機動的な防空態勢を構築するって構想が、一番マシに思えますが、潜水艦ウヨウヨで実現不可能なのが難点・・・。
この回答への補足
紫電改の艦上型について信濃が沈められて既に空母が無かったってあるけど、飛龍の改良型の雲龍が昭和20年にありましたよね。
何で使わなかったんだろ
No.3
- 回答日時:
うろ覚えですが、戦後に米軍が捕獲した日本軍の全ての戦闘機を品質の高い燃料を使ってテストした結果、四式戦闘機(疾風)が日本軍の最高の戦闘機だと書いた本がありました。
格闘戦(ドックファイト)では、P51に勝ると書いてたかな???
本の名前は忘れてしまいました。
ですので日本軍最強の戦闘機は、四式戦闘機(疾風)でしょう。
ご参考まで
No.2
- 回答日時:
>四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?
スペック上の比較でしょうか? 実戦での評価でしょうか? いずれにしても三機種とも設計上の性能を発揮できたかどうか、という点では残念ながら不本意なものに終わったのが実相のようです。
四式戦については、こういう記述があります。
>新鋭機と取っておきの精鋭というので、、われわれとしても大いに期待したものです。ところが、この期待の四式戦に重大な欠陥があったのです。エンジンが悪いんですね。エンジンを全開にすると、こわれてしまうと言うんです。四枚プロペラで、星型の一千六百馬力のエンジン、正面から見ると小さくて、空気抵抗が小さいからほんとうは非常にいい戦闘機なんですが ~ エンジンの質が落ちているから一千四百馬力ぐらいしか出しちゃいかんという使用制限が内地から来ました。この二百馬力は大変な差ですよ。それなら最初から千四百馬力の飛行機の方がよほど使いやすいんです。まあ、そんな上品な飛行機ですからね、ちょっと間違うと故障するんです。それに ~ 車輪がすぐパンクするといったことも手伝って結局稼働率は四、五十パーセントぐらいではなかったかと思います。 (当時フィリピン 第4航空軍参謀佐藤勝雄中佐の回想。『昭和史の天皇』読売新聞社 所収
次に紫電二一型(紫電改)について
>部隊に配属された機体は最初のころは非常に調子がよく、西日本方面の防衛戦では大いに敵機を悩まし、本機に対する期待が大いに高まった。 ~ しかし量産が進むと「誉」発動機の不調から故障が続発し、機によって性能に相当なむらが出るなど活動はいきおい制限されていった。 (『航空ファン別冊 日本海軍機写真集』文林堂
さらにフィリピンにおける紫電の稼働率は20%以下であったそうです。
五式戦(キ100)はどうかというと、
>実戦を経験した操縦者が「キ100」の扱いやすさ、運動性能を認めながらも速度面では著しく劣るとの声を残しているように「キ100」は陸軍の期待を集めながらもその実態は限定された状況でのみ活躍可能な戦闘機でしかなかった。高く評価された信頼性もあくまで不調の「三式戦」と比較したうえでのことで、実際には水メタノール噴射装置付きの「ハ112II」の整備には微妙な部分が多くあったし、新発動機につきまとう部品不足、技術情報不足などもあって抜群の信頼性を誇ったわけではなかった。 (古峰文三~文章 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ 61 三式戦飛燕・五式戦』 学習研究社 所収
旧軍の飛行機は機体、武装、通信機、燃料のすべてに脆弱さがあり、とくにエンジンに致命的な欠陥がありました。至る所から油が漏れるのです。原因は鋳型加工とパッキンそれからハンダという極基礎的なもので、整備員が締めても締めても漏れました。整備員を撮った写真を観れば判りますが、いちように服は油で真っ黒です。(たとえば『丸メカニック 三式戦飛燕&五式戦』41ページ)。従って飛行中のエンジントラブルで不時着殉職する犠牲が多かったのでした。中国で四式戦に搭乗していた元飛行戦隊中隊長は、とにかく上昇力を得るために不要な計器、防弾板、落下傘、無線機を外し、ようやく米機と対戦できたと語っておられましたから三機種のうちどれが『最強』であったにせよ、第二次大戦中の最強戦闘機P-51には遠く及ばないといわざるを得ません。
No.1
- 回答日時:
最強は四式戦闘機です。
戦争末期東南アジアでイギリス軍の爆撃機や戦闘機をバタバタと撃墜していました。
五式戦闘機は出てくるのが遅かったですね。
早く空冷エンジンに交換していればもっと活躍したと思います。
紫電改は撃墜されすぎです。
帝国海軍が初めて搭乗員の命を守る(海軍は搭乗員は消耗品と言っていました)と言う考えの下に製造されました。
でも防弾がいまいちのようで、松山の343航空隊も終戦を待たずに幹部クラスが戦死して名前だけのようでしたから。
この回答への補足
四式戦の故障率はどうですか?
まんが「太平洋日米航空戦記」の小林たけし 「2千馬力の野郎ども」で西安飛行場攻撃に行く3機のうち、1機が故障で途中で帰還してますが。
評判の高い初期でこんなに故障するなんて・・・
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