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零戦は最初の方は白かったのに、五十二型あたりから緑色になりましたが何故でしょうか?

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A 回答 (5件)

他の回答者の方々が書かれているように、五十二型以前の機体にも濃緑色で塗装された機体はあります。

太平洋戦争開始時は銀あるいは灰白色の機体がほとんどでしたが、中期以降濃緑色で塗装される機体が増えました。

これは米軍機が、対零戦の戦闘方法を変えたことによります。零戦は徹底的な機体の軽量化により、航続距離の延長と低空での運動性能の向上を図った戦闘機でした。それに対して米軍機は機体が重かったため旋回能力が低く、格闘戦には向いていませんでした。しかし高出力のエンジンを積んでいたため、直線での高速性では優っていました。

米軍は昭和17年にアクタン島に不時着した無傷の零戦を入手し、零戦の運動性能の高さと防弾能力の欠如を知りました。その後零戦とのドッグファイトを避け、上空からスピードを付けて急降下しつつ銃射し離脱する、いわゆる一撃離脱戦法に切り替えました。

それに対して、エンジンの出力に劣る零戦は、有効な対抗策を採ることができませんでした。零戦の濃緑色塗装が機体上半分のみに限られていることに気付かれましたか?これは上空を飛ぶ敵の機から発見されにくくするため、機体に迷彩を施して、少しでも帰還率を上げようと図ったからなのです。
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初期の色は飴色(仕様書上の名称です)と言います。

これはアルミにニスを塗っただけのものでした。この状態で昭和17年中期まで使われます。二二型(ににがたと読む)あたりから緑色明細が施されるようになりました。原因としては、敵機が上から襲う確率が高くなったため、上空から見た時、海と交じるようにするためです。五二型(五十二でありません。機体デザイン5、エンジン形式2という意味でゴニガタと読みます)以降は全てその塗装になりました。
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零戦に限らず、海軍機は開戦直前までは明灰色主体の塗装でしたが、開戦後、塗装規定が変更され順次、迷彩塗装(斑模様、べた塗り)に変更されていきました。


基本的に工場出庫時に塗装は決められていましたが、現地部隊で塗装をやり直した例もあります。
このURLのページに詳しい情報が記載されています。ご参考まで。

http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002265.html

参考URL:http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002265.html
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零戦は21型や32型から


緑色、灰色、その混合迷彩と、緑と黄土色の迷彩など
いくつものパターンがあります。

基本的に塗装は、現地でやっていいので
所属隊やパイロットによっていろいろ違います。
塗料がなかったりすることもあるので
交換部品の部分だけ色が違うとか、
そういうこともあったようです。
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52型(五十二型ではない)ではなくても、初期型でも緑の機体はありますよ。



迷彩効果による物と思われます。
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