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零戦はすばらしい戦闘機ですが、
防御力が無いに等しいのでは?
戦争後半になると
ヘルキャットに歯が立ちませんでしたよね
海軍上層部はパイロットの命を使い捨てだとおもっていたのですか?

A 回答 (13件中1~10件)

零戦のみならず、当時の日本軍の兵器全てにまつわることだったのですが、当時の日本の技術力では他国に比べて開発できるエンジンの性能と信頼性が極めて低かったのです。


ゼロ戦の栄エンジンは1000馬力に満たない性能でした。ドイツのメッサーシュミットBf109が1100馬力、アメリカのP40とF4Fが1200馬力、スピットファイアに使われたロールスロイス・マーリンエンジンは初期型こそ栄エンジンとほとんど変わりませんが最終型では1800馬力になるほど余裕のある設計でした。
また当時の日本製品のネックで、性能の個体差がとてつもなく激しかったんです。こっちのエンジンは調子がいいけど、こっちはダメ。平均して高い性能を持つものを生産できなかったんです。だから、三八式歩兵銃から栄エンジンに至るまで、工場出しの状態ではほとんど使えないので熟練した整備工や職人がひとつひとつ調整して使えるものにしていたのです。

出力の小さいエンジンで最高の性能を発揮するには軽量化しかありません。つまり零戦というのは現代でいうところの軽自動車と同じなんです。現代の軽自動車が1Lカー(フィット、ヴィッツ、マーチ)クラスに比べても安全性が低いことは知られていますが、しかしだからといって軽自動車の安全性を向上させると坂道が登れなかったり高速道路が走れなくなったりするわけです。
零戦は馬力の弱さを克服するために、徹底的に軽量化して格闘性能を向上させることによって「そもそも撃たれる状態にならなければやられない」ということを防御力と考えて作った戦闘機なのです。

また、陸軍機は防御力を持っていたと指摘する声もあり、それは事実です。しかし、零戦は艦上戦闘機です。あの短い甲板の距離で離陸と着陸ができなければなりません。海軍が雷電だの紫電(紫電改)だのと作りましたが、これらの戦闘機は艦載機ではありません。雷電なんて、あんなの空母にゃとても乗っけられるものじゃあないですよ。そもそも離陸ができない。

F6Fヘルキャットは、2000馬力級のエンジンを持っています。これは破格の大馬力で、この馬力からくる余裕にモノをいわせて頑丈に作り、大武装を施しました。だから戦術もヒットエンドラン戦法にしたのです。零戦ではとても追いかけられない。
実際問題、F6Fの頑丈さはちょっと規格外のところがありまして、よくF6Fが着艦に失敗して艦橋に激突するような映像が残っているのですが、あれだけの大事故でもパイロットは自力で脱出してほとんど無傷だったりします。あれが零戦なら機体もパイロットもバラバラになるのは逃れられません。零戦とF6Fを比べるのは同じ四駆だからとジムニーとランドクルーザーを比較するようなものですよ。

零戦の後継機が作れなかったのも、全てはエンジン開発の失敗があったからに他なりません。大馬力のエンジンを作ろうと思ったら、爆撃機に搭載するんじゃないんだからというバカみたいにデカくて重いエンジンになってしまいました。
しかもそれだけの馬力のエンジンとなると空冷じゃ間に合わない。液冷エンジンじゃないとエンジンの冷却ができないのですが、当時の日本は液冷エンジンが作れなかったんです。陸軍の液冷エンジン戦闘機飛燕はエンジントラブル頻発で性能を発揮できず、とうとう液冷エンジンを諦めて空冷エンジンを載せたらその五号戦が陸軍最高の性能を発揮したという皮肉があります。

そんな単純な話じゃないんですよ。
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他の方も言っておりますが、海軍の航空関連幕僚(源田実ですけどねw)に問題がありました。



三菱は17年夏に金星エンジンを積んだ防弾板付き零戦を提案しましたが、採用されたのは20年(五四型)です。源田の考えは消耗品では無く、回避すれば良い(格闘戦闘主義)でした。ヒヨッ子パイロットには出来ない芸当なのですが…
陸軍は戦列戦闘を採用しており、欧米に遅れをとっておりません。飛燕や疾風は世界的にも評価が高く、飛燕は多数のB29を撃墜しています。
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こんにちは



> 防御力が無いに等しいのでは?

はい、少なくとも五二型初期までは そうでした。
五二乙型(A6M5B)からは操縦席後部に防弾板いれたり、キャノピー(の一部)
に防弾ガラスを入れてたりしています。

> ヘルキャットに歯が立ちませんでしたよね

まぁ飛行機単体での性能もさることながら、既に米軍は
・相手よりも常に高空に遷移する
・二機ペアで一撃離脱を徹底(俗に言うサッチウェーブ戦法?)
・中、高空で背後に付かれたたら、ひたすら急降下で逃げる
・低空、低速で会頭しない
というような様々なゼロ対策(戦術)をとりはじめていましたので、相手がヘル
キャットでなくとも、だんだん不利になっていったかもですね。なんせ後から
後から飛行機を作り続けられますんで、ヤツらは。

> 海軍上層部はパイロットの命を使い捨てだとおもっていたのですか?

流石に当時もそこまで割りきってはいなかったとは思いますが、あのような機体
になったのは(他の回答にもありますが)間違いなく「海軍からの要求仕様」です。
航続距離がやたら長くて、機動性がいい機体、と。
それに対して当時の日本の技術(開発、製造)レベルで出した答えがゼロ戦でした。

あとは用兵の問題でしょうか?
機動部隊(空母艦隊)にせよ、陸上基地にせよ、(帝国海軍に)もっと前方展開
能力があったなら、あんな要求仕様にはならなかったかもしれません。

いずれにしても多くの方が(不利な戦いを強いられて)命を落とされていますの
で、教訓にしないといけないですね。
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個人的には、そもそもの設計思想に問題があると思っています。

というか、軍部の要求が無茶苦茶な気がします。

第一義の目的が、航続距離にあったと思うのですが(よって、徹底的な軽量化を行った)、これは本末転倒というか巨砲主義思想の影響でしょう。敵の弾の届かないところから、こちらは敵を撃てるという単純なものです。しかし、飛行機は弾とちがって人が乗っていくものです。何時間もかかって飛行し、何十分か戦闘して帰ってくるのを考えれば、上空で待機して迎え撃つ側が戦闘は有利であることは間違いありません。すなわち、戦闘能力こそが重要だということです。

戦闘力では、欠陥といってもいい20mm砲と軽量化に伴う降下速度の不足(というより強度不足という危険)、防弾構造の不安(というより全くない)などとんでもない戦闘機であり、あんなもの英米のパイロットなら反乱おこして絶対に搭乗拒否するでしょう。

そして、その結果として優秀なパイロットを多数失い、その補充は当然まにあわず、結局は大砲の弾と同じに片道飛ばすだけという状況になってしまったのです。そもそも、軍(はっきり言っちゃえば源田実)の元々の開発思想に重大な欠陥があったのです。いかに優秀な部分があろうと、あの戦闘機は戦闘機とも呼べない駄作です。
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<参考までに>


 日本が降伏したのち、アメリカが日本の兵器を接収し、兵器の性能をチェックしました。

 その時、アメリカ軍で使っている燃料・オイルを日本製戦闘機に使ったところ、馬力が二割向上したという話があます。
 「全面戦争」は国力そのものによって戦われるものの様です。
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>防御力が無いに等しいのでは?


そうですね。
設計仕様書に防御を規定した記載がありませんから。
>海軍上層部はパイロットの命を使い捨てだとおもっていたのですか?
上級将校はパイロット育成に金と時間がかかることは理解していたと
思いますが
現場の指揮官や士官にその意識があったかは疑問ですね。
当時
三菱の技術者が設計仕様を満たす為に極限まで軽量化をしたら
装甲できないということを軍に意見しているが却下されて
パイロットを守る装甲はされていませんし
軽量化の為に主翼の強度不足でジュラルミンに皺がでたり
急降下でテストしたら尾翼が吹っ飛んだりということも
記録がありますね。
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零戦はできた当初は最強でした。


アメリカがどんどん新型機を作る中旧式化したのが敗因です。
零戦が悪かったというより、零戦にかわる新型機が用意できないのが悪かったといえます。

防弾装備を用意すれば撃たれた時の生存率は上がりますが、その分重くなり撃たれやすくなります。
開戦時は、鈍重なアメリカ戦闘機を圧倒しています。
軽量俊敏な戦闘機を作り、そもそも撃たせないというのが特徴のひとつです。
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軽量小馬力の飛行機を作らざるを得なかった背景を理解する必要があります。

背景は大略次の通りです。
1 アルミニュウム(航空機、エンジンの基幹材料)が大量には入手できませんでした。
2 大馬力エンジンの開発が遅れ、工作機械の精度も欧米に比べて一桁の差があったと云われています。ですからエンジンの油漏れは常に悩みの種でした。
3 航空燃料は最高で87オクタンまでしか生産できず、米国のようにハイオクタンガソリンは使えませんでした(出力に差が出ます)。
4 これをカバーするために、特殊軽量のジュラルミンや、頭が平らな沈頭鋲を開発し、設計はグラム単位まで計算し、空中戦も捻り宙返りの技術を編み出して速度、上昇力、旋回性能、火力(20ミリ機関砲)に勝る戦闘機を作り上げましたが、防御機能(防弾、防火)まで備えると数百kgはすぐに増え、空中戦・航続力の性能がガタ落ちになるので「防御なし」の戦闘機とならざるを得ませんでした。
5 これを解決するには空中戦にめっぽう強い少数精鋭のパイロットを養成し「一騎当千」で戦うより仕方ありませんでした。
6 ですからミッドウエイ海戦、ガダルカナルを巡るラバウル航空隊の死闘で、大量の精鋭パイロットを失うと零戦の優位性が生かせなくなりました。又、アリューシャンで不時着したほぼ無傷の零戦を手に入れた米国はこれを徹底的に分析し、弱点を把握して新型戦闘機(F6F)を開発、戦法も格闘戦ではなく、高速を活かした一撃離脱方式を多用するようになり、非熟練パイロットはますます消耗する局面を迎えました。
7 このように資源が少なく、工作機械の精度も劣り、高級燃料の開発も遅れた状況では山本五十六の「最初の半年や一年は暴れてみせるが後は保証できない」の通り、坂道を転げ落ちる状況となったのです。これを理解しないと「上がアホやったから」の単純にして見当違いの言葉が出ることになってしまいます。
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上層部には飛行機を理解してる人は少なかったと思いますよ。


12試艦戦の要求は、航空本部がしてますが、世界最速の要求であり、かつ、20mm機銃を2個積めと世界最大の攻撃力を要求してます。
96式戦闘機に気を良くした航空本部の過大要求ですが、三菱の堀越技士と海軍のすりあわせでは、現役パイロットが、格闘性を第一、速度第2にすべきと突きつけ、航空本部は速度第一だと要求をつきつけ平行線で終えてます。
つまり、現役パイロットは防御などは要らない、格闘性さえあれば敵の弾はかわせると言い切ったのです。
当時のエンジン出力から考えると、非常に難しい問題であったとは思います。航空後進国の日本が、世界一流の飛行機を作ろうとするのですから無理がでたことは確かです。
ただ、堀越氏は戦後、あの時に2000馬力級のエンジンを使う英断をしてれば、ヘルキャットと互角に戦える戦闘機ができたのかもとは言ってますね。ただ、2000馬力級エンジンでは、96式戦闘機の格闘性能に慣れていたパイロットからは不興を買ったとは思われますが。
パイロットを使い捨てと考えたにしては、育成がお粗末ですし。
なるべく帰還させたいのでしょうが、海の上に不時着しても捜索ができないなどの問題はあったようです。
所詮は工業力、技術力を含めた国力の問題ですから、米国に負けるのは仕方なかったかと。
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小型かつ大馬力のエンジンを開発できなかったので、機体自体を軽くする必要があり、結果的にペラペラの機体になった。



防御については「攻撃こそ最大の防御」という考え方のようです。

開戦当初は、「飛行機は戦艦を支援するためにある」といった考え方が海軍の主流で、「これからは飛行機の時代である」と考えていたのは、ごく一部だけだったので、パイロットの育成も開戦してから泥縄式に始めたようです。

当初、海軍は米軍との戦いを短期に終わらせるつもりで始めたのにドロ沼化してしまい、一番やってはいけない消耗戦に陥り、新人パイロットばかりになって、無残な敗戦を迎えたわけです。
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