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昭和19年のマリアナ沖海戦についての質問です。
 記録映画で観たのですが、航空機戦ではアメリカ軍が圧倒的に強く、のちに「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれたそうです。
 日本のゼロ戦などはとても優秀で、小回りが利き、アメリカ戦闘機を寄せつかなかったと思うのですが、どうなってしまったのでしょう。
 敵に背後をとられても三回転もすれば形勢が逆転したとききましたが。
 少なくともミッドウェイ海戦の時点では、日本機はアメリカ戦闘機を問題をしないほどすぐれていたと同じ映画で解説していました。
 日本の戦闘機は技術革新を行わなかったのでしょうか?

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映画 記録」に関するQ&A: ペンギンの記録映画

A 回答 (6件)

お答えします。



そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。

零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。

しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。
ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席を守るために防弾鋼板など
防御・防弾に力を尽くしました。

日本のゼロ戦にも防御をという意見はありました。
しかし、軍令部作戦課の源田 実中佐はこれを退け、防御装備はなされないままでした。

マリアナ沖海戦の敗因はヘルキャットのほかにも、レーダーやVT信管があげられます。これら防御兵器の前に日本の攻撃部隊は壊滅しました。その理由は攻撃一辺倒で防御を軽視したからです。

詳しくは角川文庫から出ているドキュメント太平洋戦争3「電子兵器カミカゼを制す」をお読み下さい(同じ内容で平成5年にNHKスペシャルをやっていました。この時の題は「エレクトロニクスが戦を制す」でした)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
わずか二年で技術の差が逆転してしまったのですね。
ドイツでは戦争中もどんどん技術革新をして新兵器を導入していった印象があります。
日本も同じだと思ったのですが、違っていたようですね。
ゼロ戦に防御装備がないのは知っていましたが、これは重量を軽くするためで、諸刃の剣だったわけですね。

お礼日時:2004/06/15 18:37

零戦とF6Fとの大きな差はエンジンです。


零戦が1000馬力級なのに対し2000馬力でした。
このクラスの機体は後の烈風がそうです。
機体の開発に対し、エンジンの開発が遅れたため、零戦が現役を続けることとなりました。

マリアナはひどい敗戦になった原因として、この海戦で取ったアウトレンジ戦法がまずかったようです。
米機に対し日本機は航続距離が長いため、相手の航続距離より遠くから攻撃機を放ったのですが、未熟な上に長い洋上航行で相手を見つけた時にはへとへとと言う状態だったようです。
米機は攻撃ができないため、戦闘機は全部邀撃に上がってました。その中へ突っ込んで行ったのですから、結果は明らかですよね。
この海戦以降日本は空母航空機による攻撃が組織的にできなくなってしまいました。
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マリアナ沖海戦時には、当時最新の零戦52型が大量投入されました、例えばテニアン島には、150機もの新品の零戦52型が翼を連ねていました、攻撃機も天山艦上攻撃機、偵察機も彩雲と言った様に当時の日本海軍の最新鋭機種で固められていました。

ただし他の方も書かれているようにパイロットは実戦経験のほとんど無い新米が多く、その多くは空母への着艦が出来ませんでした。また敵の数があまりに多く、索敵が思うように出来ず、結局、先のテニアン島の零戦150機も奇襲を受けその殆どが地上撃破されました(数人のベテランと止めるのを聞かず飛び上がった新米も圧倒的多数の敵機に撃墜されました)、隠していて助かった数十機も遅延信管付きの爆弾によって翌朝までに全滅しました。最大の戦力を失った日本軍には、各島の生き残りをかき集めての散発的な攻撃を終始し結局、マリアナの七面鳥撃ちの汚名を着ました。当時島は浮沈空母と言う設定でしたが、逆に言えば位置が判っている空母は、攻撃側が圧倒的に有利だと言う事です、いつでも攻撃側は好きな時に近寄って打撃を与えれますからね、それに対して島の側は、常に敵を索敵していつ攻撃されるか判らないままに備えねばなりません。(結果論ですけれど)マリアナ絶対防衛圏の思想自体に無理があったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
マリアナ沖開戦空中戦の諸事情はわかりました。
もし日米同じ条件(パイロットが優秀)、同じ機数だけで空中対決したらどうなっていたでしょうか?
やはりアメリカ優位は変わりませんか?

お礼日時:2004/06/15 18:54

零戦があまりにも素晴らしかったために、零戦に代わる


新型機の開発が遅れていたのは事実です。
当時、アメリカ軍は、ほとんど無傷の日本の零戦を捕獲して徹底的に分析して、零戦の弱点を知り抜いていました。
おまけに、マリアナ沖海戦当時のF6Fの性能は、
何回もマイナーチェンジを繰り返していた零戦の性能を
大幅に上回っており、ミッドウェーの大敗で熟練のパイロットを多数失っていた海軍には、
性能を技量で挽回することは、もはや不可能だったのです。
ですから、レーダーで日本機の襲来を察知して大群で
迎撃してきた米戦闘機に対し、日本の護衛戦闘機は、なす
すべがなかったのですね。これがマリアナの七面鳥撃ちと
呼ばれる所以です。
F6Fは空戦による被害は極めて少なかったのですが、
戦闘後の着艦時や陸上基地への着陸時に、数十機の被害
を出しているそうです。それほど、ヘタだったのです。
また、日本海軍に比較すると米軍の対空砲火のシステムは
非常に優秀でした。米軍は音に反応して破裂する新兵器「VT信管」付きの対空砲火で
多数の日本機をたたき落としたそうです。
米空母の対空砲火は、素人でも40~60時間程の実技講習を受ければ
すぐに戦力になったほど扱いやすいものだったそうです。さらに、レーダー射撃装置も付いていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>零戦があまりにも素晴らしかったために、零戦に代わる新型機の開発が遅れていたのは事実です。

 「おごれる平氏は久しからず」ですね。

>F6Fは空戦による被害は極めて少なかったのですが、戦闘後の着艦時や陸上基地への着陸時に、数十機の被害を出しているそうです。
 
 映像では、何機ものアメリカ飛行機が甲板で着陸失敗していました。

お礼日時:2004/06/15 18:45

当然日本も改良をしていますが国力の差でアメリカが出してくる新型機の性能に太刀打ちできなくなったのだと思います。


設計上の性能は互角でも加工精度や燃料の品質が悪く十分な力が出なかったり。
一度に繰り出す数もアメリカの方が多かったし。
それ以上に問題なのは熟練搭乗員の不足でしょう。
どんなに良い機体が有ってもそれを飛ばす人間が下手では役に立ちません。
開戦時には十分に訓練され実戦経験豊富な搭乗員が大勢いましたが人命軽視の旧軍の体質で助かる人員も救助されずに見捨てられました。
その結果十分な訓練を受けれず前線に送られ「マリアナの七面鳥撃ち」なんて言われる結果になったのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
搭乗員の訓練不足も原因のひとつだったのですね。
それにしても旧軍の人命軽視の方針は世界に例がないのじゃないでしょうか?
今の世の中に生まれてよかったです。

お礼日時:2004/06/15 18:40

戦争末期に海軍航空隊にいた方から聞いた話です。



「俺の頃は、もう、ゼロ戦なんかないよ。
 ベテランのパイロットもいなかった。
 
 やっと、離陸ができるようになって、
 着陸は、危ないかな?ってレベルのヒヨコが、
 赤トンボに乗ってB29に向かっていったんだ。」
 
(赤トンボというのは練習機か何かだったと思います)

いくら何でもこれは大げさだと思いますが、
(赤トンボは複葉機だったかな?)
当時の日本軍の悲惨な状況を的確に表している、
と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
B29は一万メートルもの上空を飛ぶそうですが、赤トンボでそんな高度まで飛べたんでしょうか。
いずれにせよ、悲惨な話ですね。

お礼日時:2004/06/15 18:31

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Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Qマリアナ沖海戦について。

マリアナ沖海戦で日本軍の航空隊は壊滅しました。
マリアナの七面鳥撃ちとまで言われています。
負けた理由は航空隊が実戦経験が無いもしくは少ないとか、訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。
それ以外にもアメリカ軍のレーダーとVT信管搭載の対空砲の為とも言われています。

でも、ある本で見たのですが、VT信管搭載の対空砲はたいして威力を発揮していない。
それよりも、レーダーで日本軍機を発見、上空待機の敵遊撃隊に撃墜された為と書いてありました。

そこで、パイロットの技量不足が一番の敗因と考えていましたし、実際、敵遊撃機に襲われても、まっすぐ飛んで、避けるとかしないで、次々と撃ち落されていったとかも聞きました。(隊長機も含む)

でも、1944年末?に、最後の最強航空隊を作りましたよね。
松山沖の航空戦で大勝利、日本軍の意地をアメリカ軍に見せつけましたよね。

そこで、疑問が。前置きが長くなりましたが、どうして、この部隊というか、パイロットをマリアナ沖海戦に参加させなかったのかです。
この後のレイテ沖海戦では、おとり部隊ですし(航空機はほとんど積んでいなかったらしいですが?)壊滅必至の作戦なので仕方ないとか思いますが、マリアナ沖海戦の時は、全力、日本軍の持てる力すべてを注ぎ込んだ海戦のはず。
偵察機が敵機動部隊発見、攻撃隊全機発進した時、日本海軍の司令部にいた人達は喜んだそうです。勝った!と。このことからも、負けることが前提では無く、勝てる布陣を、今の日本軍にできる事すべてをしていたはず。
なのになぜ?それほどの海戦なのに?
もし彼らが隊長機なら、あそこまでアメリカ軍に言われなかったのでは?的確に回避行動・交戦などにより、敵母艦上空に…もしかしたら、勝利…は難しいかもしれませんが、それなりの損害を与えていたのでは?と思います。
どうして、温存したのでしょうか?参加しなかったのでしょうか?

彼らはマリアナ沖海戦には参加していないと思うので。航空隊は壊滅している。それに松山沖の時に50機以上で遊撃しているので、それなりにベテランパイロットが沢山いたはずと思います。

マリアナ沖海戦で日本軍の航空隊は壊滅しました。
マリアナの七面鳥撃ちとまで言われています。
負けた理由は航空隊が実戦経験が無いもしくは少ないとか、訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。
それ以外にもアメリカ軍のレーダーとVT信管搭載の対空砲の為とも言われています。

でも、ある本で見たのですが、VT信管搭載の対空砲はたいして威力を発揮していない。
それよりも、レーダーで日本軍機を発見、上空待機の敵遊撃隊に撃墜された為と書いてありまし...続きを読む

Aベストアンサー

マリアナが落ちるまでは、本格的に空襲にはあっていないので、まだまだ各地でパイロット育成中です。それがマリアナが落ちた結果空襲でパイロットの育成もできなくなったので、教官を大量に引き抜くことができたのです。あとは、空母搭乗員の訓練の多くは、発着艦、計器飛行に費やされます。そこで落第したもの(技量甲ではなく乙)の中にも、空戦は得意だったものもいるでしょう。

Qセロ戦の飛行高度は当時世界最高だったのですか?

沖縄の慶良間でうかがった話ですが、第2時世界大戦当時、アメリカのグラマン機(と聞いた記憶がありますが、間違ってましたら失礼します)を上回る高度をゼロ戦は飛行できた、ということなのですが、それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 
であるとするならば、アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

Aベストアンサー

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能が上でした。ドイツはジェット戦闘機も
第二次世界大戦で使っているし、航空機の
性能という意味では、戦前、戦中もドイツが
トップだったと思います。
 戦争が終わるまで、アメリカは日本がドイツの
技術協力のもと、戦闘機を作っていると思って
いたと言われています。終戦後、アメリカは試作機も含め
日本の戦闘機をできる限り全機種、航空母艦に
乗せて本国に運び、研究したと言われていて、
日本の飛行機に対する警戒は相当なものだった
ようです。

 戦争中にゼロ戦が殆ど無傷でアメリカ側の
陣地に不時着した事があって、それでゼロ戦の
秘密がばれたんだと言われています。
 ゼロ戦は短時間の迎撃用に設計されていて、
急発進、急上昇を主な目的で作られていた
ため、装甲を薄くするなど軽量化が測られていた
んです。

 太平洋戦争末期には、アメリカの飛行機の
性能のほうが上になったため、他の方の
回答にもあるB-29の高度までゼロ戦は上昇
できませんでした。

 

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Q太平洋戦争中における米軍のパイロット・船員の育成

太平洋戦争中における米軍が日本軍よりも大量にパイロット・船員を育成量できた原因はどのへんにあるのでしょうか。歴史に詳しい方教えてください。

開戦時には、日米の飛行機や艦船数の差はそれほど大きなものではなかったと思われます。(だからこそ勝ち目があると考える人がいた)
これが終戦時には米軍は日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船を運用しています。
工業力に優れる米軍が、日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船というハードを作る事が可能であった事は理解できますが、ソフトとなる
飛行機の搭乗員や船員を育成するには相当の時間が必要と思われます。
単純な人口比で言えば、米国は日本の2倍程度ですので日本軍と同様の育成システムであれば、ハードはどんどんつくっても、動かす人(ソフト)が足りずにせいぜい、日本軍の2倍程度の飛行機や艦船が運用可能となると思うのですが。
中盤以降、日本軍はどんどん消耗していくので相対的な倍率は差がついてしまうとは思いますが、米軍の飛行機や艦船数の膨張率も相当と思いますので、これに追いつく育成方法があったのでないかと思うのです。

太平洋戦争中における米軍が日本軍よりも大量にパイロット・船員を育成量できた原因はどのへんにあるのでしょうか。歴史に詳しい方教えてください。

開戦時には、日米の飛行機や艦船数の差はそれほど大きなものではなかったと思われます。(だからこそ勝ち目があると考える人がいた)
これが終戦時には米軍は日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船を運用しています。
工業力に優れる米軍が、日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船というハードを作る事が可能であった事は理解できますが、ソフトとな...続きを読む

Aベストアンサー

No.7です。
ビグローブでもヤフーでも「QC」で検索すれば品質管理の項目が出ます。
ただ現在は総合的品質管理が主で、戦時中の品質管理を知るには、その中の一部門の統計的手法を探す必要があります。

QB29の迎撃に活躍した戦闘機

B29の迎撃に活躍して
最も多くのB29を撃墜破した戦闘機は何でしょうか?
月光ですか?
屠龍ですか?
それとも雷電でしょうか?
またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

Aベストアンサー

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
 水冷エンジンについては工業力が追いついていないのを無理して使ったというのが一般的ですが、ただ単に今までの日本機のほとんどが空冷エンジンであったため整備員が不慣れであったと言う話も聞きます。同じく水冷エンジンの彗星を装備した芙蓉部隊は整備員の努力により高い稼働率を維持していました。
 
 B29の迎撃に必要な性能は高高度での飛行性能、速度、高い上昇力、加速性、火力など格闘戦性能より一撃離脱に適した機体が良かったと思います。

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するよう...続きを読む

Q大本営発表ってなぜバレなかったんですか?

 太平洋戦争中、日本は負け戦も勝ち戦と虚偽の発表を連発してきましたが、普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?

・開戦からの戦果を総合すると空母50隻撃沈くらいになるはずなのに、内地には艦載機が押し寄せてくる。対する日本の戦闘機は殆ど見ない。
・連戦連勝のはずなのにガダルカナル→サイパン→フィリピン→硫黄島→沖縄とだんだん敵が内地に近づいてくる。
・パイロットや水兵は途中何度も内地に帰ってきて休暇を取って国民と接触しています。そこで戦地の悲惨な状況が国民に漏れる。いくら緘口令があっても全員が新聞報道どおりの嘘をつき続けるのは難しいと思います。

↑こんな状況なら「新聞は嘘。実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

Aベストアンサー

>普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?

大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。
レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。
色んな情報が、正確に日本に流れています。
田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。

>勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。
逮捕されないまでも、村八分です。
今でも、中国・韓国の報道を見れば理解出来るでしよう。
自国・自政府に都合の悪い事は、全て「無かった事に!」が合言葉ですよね。
報道機関では、一切報道しません。
韓国人も、皆が皆「加害者(日本)の罪は、1000年たっても消えない(朴大統領)」「天皇は、土下座して謝罪しろ(明博前大統領)」と思っている訳ではありません。
反日行動をすると、韓国政府から報奨金が貰えるので「小遣い稼ぎ」で行っているに過ぎません。
※「日本人10人を殺すと、ハワイに御招待」という、ブラックジョークも流れています。^^;
韓国南部では、北九州発の日本の番組を見る事が出来ますからね。
※朴大統領になって、報道規制も宗主国中国並みになっているようです。
福島原発事故に関して、大本営(東京電力広報・政府)発表を信じる人が少ないのと同じです。(笑)
民主党政権時の枝野幸男官房長談話は、大本営発表!と看做されていましたよね。
当時も今も、同じです。

>普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?

大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。
レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。
色んな情報が、正確に日本に流れています。
田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。

>勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。
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