痔になりやすい生活習慣とは?

頭悪いんじゃないでしょうか?
プラントル理論を馬鹿忠実に取入れただけの、女みたいに丸っこくて何の工夫も無い機体。
剛性低下方式とか自信満々だが、ただ単にFw190の様なリンク式機構を設計出来なかっただけ。

「零戦がカッコいいとか言ってる奴って、」の質問画像

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A 回答 (19件中1~10件)

>しかも零戦で人気なのは32、22型以降だし。



ということは、零戦で人気なのはご質問者さんの見解では五二型~って事になりますが、一般的に零戦好きな人の好みって一一型、二一型じゃないでしょうか?ちょうど一番活躍していた時期の型ですし。ちなみに私は一一型が好きです。

質問に質問を返すのはどうかとも思いますが、お好きな日本戦闘機は隼と雷電との事ですが二式戦の鐘馗はどうでしょうか?使用用途の関係からか収斂進化的に上から見たフォルムは、大馬力の空冷エンジンを付けたこともあってFw190Aにも似通っていますが。
また空戦フラップも格闘戦至上主義な日本独特のドイツには無いユニークな装備かと思いますけれど。

ちなみに私は用兵的にWW1時代の戦闘機から脱却できてなく、線も細すぎて華奢に見える一式戦隼よりは零戦の方がデザイン的にも優れているように思います。

この回答への補足

隼は、胴体サイドは問題無いのですが、胴体下面(主翼以降)の絞り方が間違えてますね。
鐘馗はエンジンより急激に絞ってしまった為、逆に胴体後部が太くなってしまった(これが残念な理由です)
また、速度に応じてプロペラ後流の変化に付いていけず、急降下時の振動の原因にもなった。だから四式戦ではコクピットまで従来の絞り方に戻した。

補足日時:2013/03/17 14:04
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No.16です


格好いいのは「レッド・バロン(赤い男爵)」だったな。

>つまり零戦の格好良さは複葉機以下?

かっこいい撃墜王という要素から見ると、複葉機最強!

なんて事を書くと、ハルトマンやらバルクホルンが怒りそうだな・・・
Bf109も悪くはないけどね 。
技術体系が出来上がってからのスコアと、手探りでテクを磨いていった人とは比べちゃいけないんだと思う。

そうそう「Yak-1」もいいよね
もちろん、リーリャ(リディア・リトヴァク)贔屓だよ
パーソナルエンブレムは白百合にかぎるな。

この回答への補足

ドイツ名、ドイツ語ってかっこいいよね。
バルクホルンとかって、いかにも男らしい名前じゃないか。

補足日時:2013/03/20 11:08
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 なんかみなさん楽しそうですね。

飛行機のことはわかりませんが、糸川英夫氏の本を読んでおもしろかったので私は隼に一票入れときたいと思います。

この回答への補足

ナイス一票!

補足日時:2013/03/17 20:10
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この回答へのお礼

皮肉な事に、小直径栄エンジンは零戦の後部胴体を太くしてしまった。

お礼日時:2013/03/20 11:00

そーだねぇ。


アルバトロスDIIの方がカッコイイよな。

理屈なんて関係ないさ。
好みの問題だよ。
他の機体がカッコイイと思う奴がいても、構わないじゃないか?

この回答への補足

つまり零戦の格好良さは複葉機以下?

補足日時:2013/03/17 02:14
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格好良いかどうかはともかく、日本人的感覚の綺麗な飛行機だと思います。



とはいえ、好みというのは千差万別なのでご質問者さんの感性的には欧米の機体の方が好みに合っているのでしょう。だからといって自分好みでない機体=格好悪いという発言をこういう場でしてしまうのは賢い行動とは言えないと思います。

零戦自体は当時の日本人的感性を如実に体現し、限られた出力のエンジンで無理な要求に応えた良い機体だと思いますよ。戦争はレギュレーションのある競技ではないので、より強力なエンジンを早期に実用化できなかった事自体はダメダメですが。

結局のところ、現代の理詰めでどの国でも同じような形になってしまう戦闘機より、WW2期までの各国の民族性がスタイルに出てくる戦闘機は、強弱は別として全て綺麗だと思いますよ。たとえ一見不格好なブラックバーン・ロックのような機体であっても、通好みな味のあるスタイル(美味に対する珍味?)ではないでしょうか?

この回答への補足

>当時の日本人的感性を如実に体現し.....

だから駄目なんですけどね^^
しかも零戦で人気なのは32、22型以降だし。
エンジンカウルの形の良さ一つとっても、52型はFw190のそれには敵わない。

>ブラックバーン・ロック....

零戦よりかは味があります。

僕が好きな日本機は、隼と雷電です。
小さい頃は三式戦も好きだったのですが、エンジン悲話と機体もBf109から取って付けた様なデザインなので今は大嫌いです。
にしても、横から見たフォッケのコクピット、カッコいいですよね?ダイアモンドボックスと勝手に名付けております^^
http://okwave.jp/qa/q7993539.html

補足日時:2013/03/16 21:29
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この回答へのお礼

御回答、誠にありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2013/03/16 21:33

他の人も指摘したけれども、


> 疾風、5式戦、紫電....みんな零戦にみえるw
という程度の目で見ているなら、「国産車なんて全部同じに見える。外車のみ素晴らしい」と言っているようなもので、それこそアホらしいねw
その程度の目で見るなら、飛燕や雷電もFw190と同じに見えるんじゃないかな?



> 頭に ”効率の良い” が抜けてるだろが。

質問文には「効率の良い」なんて一言もないけどね。それに効率の良さとカッコよさって全く関係ないよね。

大体、効率だけで言えば、エンジンの馬力が半分程度しかないにもかかわらず、艦載機という制約の多い中で、精々少し劣る速度と武装の性能を持ち、旋回性能と航続距離は比較にならないほど良い零戦の方が、余程に効率が良い。

この回答への補足

>国産車なんて全部同じに見える。

うん。仰る通り。
w

補足日時:2013/03/16 06:51
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この回答へのお礼

シロクニも同じ。
基本設計に忠実なだけ。
http://okwave.jp/qa/q7996346.html

お礼日時:2013/03/16 19:27

F1カーにはF1カーの、軽トラには軽トラの魅力がある。

そんな感性すら持たない人間こそ憐れです。

この回答への補足

F1カーと軽トラを同列にする事は出来ない。
つまりだ、欧米機と比べれば、零戦は戦闘機ですらないという事だ。

補足日時:2013/03/15 23:33
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質問して、返ってきた回答者の意見を上手くお礼言えないあなたを作ったのが、ゼロ戦設計社で無かった事を喜ぶのは私だけでしょうか。


どんな時代に生まれても、資源が無い中で一杯の工夫をしてきた人たちの末裔からの質問では、死んでも死にきれないでしょう。
もう少し素直な人生を歩むと、過去からの物事も素直に見えると思います。
要は過去の歴史をほじくらない事もあなたにとっても良い結果になると思いますよ。

この回答への補足

そもそも敵わぬ相手に戦争始めるのが悪い。
国民の自己犠牲「心」、愛国心に頼るだけで、まともに戦略も立てられなかった。
島の海岸で、無惨な最期を遂げていった日本兵たち。
貴殿もそれらの写真を見た事あるだろう。

コメント、誠にありがとうございました。

補足日時:2013/03/15 23:01
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この回答へのお礼

これ、かっこいいよ。
http://okwave.jp/qa/q7993539.html

お礼日時:2013/03/15 23:53

No.10です。

お返事どうも。他の方へのお礼(補足)に突っ込んで申し訳ないのですけれど。

>疾風、5式戦、紫電....みんな零戦にみえるw

 どれも全然コンセプトの違う機体じゃん。みんな零戦に見えるってんなら、この時代の戦闘機を語る資格はないように思うぞ。

この回答への補足

コンセプト云々言えるレベルに達してないからな日本は。
液冷エンジンに使われるベアリングの適格な形状も、シミュレートは勿論、イメージングもまともに出来なかったんだから。(よく云われる様にベアリングの精度が悪かったからではない)

補足日時:2013/03/15 17:47
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 カッコいいかどうか、って美意識の問題でしょ? 「剛性低下方式とか」って操縦索の構造の問題で、カッコは関係ないよね。



 美意識ならは個々人によって異なるのが「当たり前」なので、零戦をそう思う人がいたって「当たり前」でしょう。少なくとも、そういう人を頭が悪いと断ずる根拠にはならないよね。
 いや、俺様の美意識に反するやつは頭が悪いんだ、と本気で思っているんなら、頭がいい悪い以前に、社会人としての適性が欠けているように思いますよ。

 ちなみに私は、あなた同様に艦上戦闘機としての零戦の評価は最低に近いと思っていますし、カッコ悪いとも思っています。

この回答への補足

頭悪いというのは私の打ち間違いで、頭オカシイんじゃないでしょうか?と言いたかったのです。すみません。

補足日時:2013/03/15 10:56
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QB29の迎撃に活躍した戦闘機

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屠龍ですか?
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またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

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普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
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ありますが、99式艦上爆撃機とはあまり知りませんでしたが、命中率が8割を超える精度だったとありました。

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Aベストアンサー

99式艦上爆撃機は昭和11年に海軍省から試作を命じられた中島と愛知の両メーカーが競作した航空機で、結果的には愛知が競作に勝利し昭和12年12月に試作第1号機が完成し、昭和14年に制式化されました。

当時愛知はドイツからの今で言うライセンス制作で、いくつかの艦爆機を作っていましたが、この99艦爆は日本独自のオリジナル設計による艦爆機で、これが日本における艦爆の嚆矢となった機体で、日本最初の全金属製の低翼単葉艦爆でもあります。

99式は終戦まで各型あわせて1294機が作られ、日本海軍の主な作戦のほとんどで使用されています。

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当時愛知はドイツからの今で言うライセンス制作で、いくつかの艦爆機を作っていましたが、この99艦爆は日本独自のオリジナル設計による艦爆機で、これが日本における艦爆の嚆矢となった機体で、日本最初の全金属製の低翼単葉艦爆でもあります。

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Q紫電と零戦のちがい

紫電は航続距離の短い局地型戦闘機で、零戦は航続距離の長い艦上戦闘機じゃないですか。この二つってどう違うんですか?発動機や装備が違うんですか?

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紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国府軍の高速戦闘機に手を焼いた海軍は性能に制限がつかない陸上専用の戦闘機を開発することにしました。それが局地戦闘機です。局地戦闘機は基地上空の防衛が任務なので航続距離が短めとなっています。
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紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国...続きを読む

Qゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になります

ゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になりますか?それともパイロットの技量や飛行機の位置取りにより違ってきますか?何かデザインを見るとムスタングはプロペラ機の集大成みたいに思えるのですが、どうでしょう??

Aベストアンサー

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

空中戦の場合必要な要素というのはたくさんありますが主に「戦闘機の性能」「パイロットの技量」で考えると、
性能面では、設計がより新しいムスタングが、速度、上昇力、武装、防御力で多くの面で勝っていますが、
ゼロ戦の場合は、「旋回性」という非常に重要な要素が勝っています。

では、意外と検証が難しいのは「パイロットの技量」です。
単純に「双方同程度の熟練者」と言ってしまえば簡単なのですが、
熟練したパイロットというのは、
●自機の性能を限界まで使いこなせる、
●敵戦闘機のことを熟知している、
●敵パイロットの癖を熟知している、または最初のわずかな戦闘で、敵パイロットの癖を見極める能力が高い。
●戦闘の長時間の緊張に耐えられる精神力
●周辺の情報を察知する認知能力
などかなり多くの要素が必要となります。

同じ戦闘機とはいえ、そもそも機体の設計思想が全然違うので、格闘技でいえば剣道とフェンシングのような異種格闘技みたいなものですから
重視すべきは、敵戦闘機の性能の熟知度と敵パイロットの癖の熟知度が意外と大きく影響すると思います。

例えば、人間の格闘技では以下のようなことがよくあります。
AさんはBさんより強い、BさんはCさんより強い、CさんはAさんより強い。
じゃあ誰が一番強いの?ってなりますよね。
これは相手との愛称の良し悪しと「特定の敵をどれくらい知っているか」によるからなのです。

以上のことから総合的に推測しますと、「理想的熟練パイロット同士の1対1の戦闘」の場合、
主に有利な攻撃ポジションを得やすいムスタングが攻撃するのをゼロ戦はその旋回性を生かして守勢にまわりつつ反撃するチャンスを伺って攻撃するというパターンになりそうです。
結果、なかなか勝負は決まらないまま長時間の戦闘になり、最終的にはより強い緊張感を強いられるゼロ戦パイロットの集中力低下から敵に攻撃チャンスを与えてしまうという結果になりやすいのではないしょうか?

おそらく10回勝負すれば、6:4かせいぜい7:3位でやはりムスタングの勝率が高いかなという気がしますが、
ムスタングの圧勝ってことは絶対にないと思います。

ちなみに、趣味のコンバットフライトシュミレーターではゼロ戦のほうがムスタングに圧勝しました。
一応実機の性能を設定したプログラムをされているはずなので、あまりでたらめではないとは思いますが、
私の技量を考慮してもレシプロ機の格闘戦において旋回性がいかに重要であるかを実感させられました。

添付画像は1995年にムスタングとゼロ戦が同時離陸したときのものです。
ゼロ戦の軽さを感じました。
あ、私はゼロ戦はあまり好きではないので決してゼロ膳贔屓な意見ではありません。

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

空中戦の場合必要な要素というのはたくさんありますが主に「戦闘...続きを読む

Q「夏草や兵達が夢のあと・・」の意味を教えてください。

中学校とかで習ったのですが、うる覚えになってしまい、ちゃんとした意味を忘れてしまいました。知っている方お願いします。

Aベストアンサー

 これは松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、平泉(今の岩手県平泉町)で詠んだ句です。

 この地で長く栄えた奥州藤原氏も滅んでしまった、英雄源義経もここまで追われてついに討ち果ててしまった……という感傷の句です。

ちなみに
兵達   → 兵ども
うる覚え → うろ覚え
です。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~bk8s-sndu/hiraizumi.html

Q旧日本軍の戦闘機で最強のものは

なんでしょうか。P51と互角に戦えるやつ!

Aベストアンサー

補足で質問がありましたので再登場

雷電では、P51の相手は無理です
対B29がおもな仕事ですので、
敵戦闘機が来ると、
空中退避(要は飛んで逃げる)していました

もちろん、油断しているP51が居れば
上空からの一撃離脱は有効でしょうが、
単機でP51がうろうろしている状況は
考えにくいので、よほどの幸運がなければないでしょう。

震電等の試作戦闘機は、カタログスペックだけですので
(実機もありましたが)
本当の所はわかりませんが、互角に戦えたかもしれませんが
やはり、対重爆用の機体ですので、その辺りは考慮しなければならないと思います。

試作で比較するなら、
烈風やキ80シリーズと比較するべきでしょう。
これらはあたりまえですが、当然互角に戦える事を
前提に設計されています。

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Q「海ゆかば」の意味は?

海ゆかば水漬く屍

山ゆかば草むす屍

大君の邊にこそ死なめ

かえりみはせじ


という軍歌?の意味やどんなときによくうたわれたのかなどおしえてください。

Aベストアンサー

歌詞は万葉集から採られたもので、以下が歌詞の意味です。

海で戦って死ねば、死体は海水に浸かって浮かぶだろう。
山で戦って死ねば、打ち捨てられた死体は草に覆われるだろう。
天皇のおそばで死ぬのだから、決して後悔はしないぞ

太平洋戦争前、日本政府によって国民精神強調週間が制定された際、そのテーマ曲としてNHKが信時潔氏に依頼して作られた曲で、出征兵士を送る歌として歌われました。本来は国民の戦闘意欲を昂揚させるために作られた曲ですが、太平洋戦争末期の大本営による戦地玉砕のラジオ発表の際に、テーマ音楽として用いられたことで国民に強く印象付けられたようです。


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