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私の祖父の話しですが、つい最近、香川県庁に祖父の兵籍簿が存在している事を知り、取り寄せました。
祖父は身体が非常に弱かったせいで、戦争には行っていないと思っていたのですが、わずかな家伝から「どうも戦争に行ったらしい・・・」という話しが伝わっていたので、兵籍簿を取り寄せ事実確認を行いました。
兵籍簿によると、祖父は轤重兵の補充兵で、戦地には直接出征せずに済みましたが、3年に1度「簡閲点呼」というものを受けているようでした。
そこで以下が質問です。


1、「簡閲点呼」というものは、具体的にどのような事をするのでしょうか?また、「簡閲点呼」というと言葉の響きから即日実施して即日終わるようなイメージを持ちますが、ある程度の日数がかかるものだったのでしょうか?
ウィキペディアを調べたり色々したのですが、具体的な内容はわかりませんでした。

2、「簡閲点呼」はどこで行われていたのでしょうか?ネットで「戸籍謄本のある郷里(祖父の場合は香川県小豆島)で行う」と書かれているのを見つけましたが、亡くなった祖母の話しだと郷土部隊であった丸亀市の歩兵第12連隊まで行っていたんじゃないか?と言うのです。
祖母の勘違いという事もあるので、実際、住まいのある郷里で行っていたのか、それとも、郷土部隊まで出向いて行っていたのか、どちらが一般的に正しいでしょうか?

3、これもわずかな家伝で不確かなのですが、祖父が簡閲点呼に出かけた際、兵隊から相当なビンタを食らった(もしくは、他の兵隊さんがビンタを食らってるのを見ただけかもしれません・・・)らしいのですが、簡閲点呼に来ただけの在郷軍人にまで、軍人精神を叩き込むという意味でビンタなどの私的制裁は日常的に行われていたのでしょうか?

大変に難しい質問だと思いますが、少しでも詳しい方がおられましたら、ご教示頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

簡閲点呼とは、在郷軍人、つまり召集されずに一般市民として生活している予備役の下士官と兵、および補充兵役の兵を対象として、兵籍がある連隊の兵営に集合せしめて、執行官たる現役将校、下士官が点検、査閲、教導することをいいました。


 具体的には、心身の健康状態、左翼思想、反社会的思想などの調査、臣民、軍人としての心構え、義務遂行の意思確認などを行い、即日帰郷させました。
 なお、満洲や南洋庁の所在地であるパラオ諸島などにおいては、最寄りの学校校舎などを利用して実施されました。

 このほか、配属将校がいた学校においても学生(生徒)に対して実施されました。

 大日本帝国憲法第二十条に「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ兵役ノ義務ヲ有ス」とあり、兵役年限は十七歳から四十歳までとなっていました。

ということは、例えば

 二十歳の徴兵検査を受け、現役を2年間務めて除隊したのち、約15年間は予備役に編入され、それを終えるとさらに四十歳まで国民兵役に編入となる。

 二十歳の徴兵検査を受けたが、現役の定員外になり、約17年間補充兵役に編入されたのちに四十歳まで国民兵役に編入となる。

のような社会ということです。したがって、兵役に服すなかで、戦地へ派遣されずとも「演習召集」「教育召集」「帰休兵召集」などの召集が行われましたが、「簡閲点呼」はもっとも軽微な検査・査閲といえるでしょう。

 兵役に服していたとはいえ、市井人としての生活が長く家庭まで持っていれば、軍人精神なるものも希薄になりがちでしょうから、現役の下士官から「気合い」を入れられることもあったかもしれません。


資料:伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 兵営と戦場生活』番町書房 昭44
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり誠に申し訳ありませんでした。お礼を書いたと勘違いしていました。お許し下さい。
頂いたご回答もとても勉強になりました。
戦前の人には当たり前の事でも現代にあまり正確に伝わっていない事も多く、いざ自分で調べるとなると難しくて閉口してしまいます。

お礼日時:2015/08/01 21:36

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