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40歳女性です。

最近母親を亡くしました。
親を亡くすのは初めてなのですが、
結婚以来(今はバツイチです)離れて暮らしてきたし、実家べったりの娘ではなかったので、悲しみとしてはさっぱりしている方かと思います。
(もちろん母を思い出して寂しく感じたり、もっと親孝行をしておけばよかったという後悔から涙することはあります)

中学生の頃、ある先生が、
「親を亡くして悲しいのは、子供の頃だけだ。
 精神的と経済的に自立してしまうと、悲しみは薄れる」

と言っていたのを思い出します。
そのときはなんてドライなんだろうと思いました。
大人になって思い返すと、「大人になれば悲しくない」と言うのであればドライすぎるなと思うけれど、ある程度自立した今親を亡くしてみて、わからなくもないという感じはあります。

小学生の頃母親が大病をしてもうダメかも知れないということがありました。
当時の私にとって、母親がいなくなるというのは寂しさを通り越してある種恐怖でありました。
そのときの気持ちを考えると、大人になって私自身子供を持つ身になってからの親の死は、悲しいというよりはじんわりと寂しさが沁む感じです。受け入れることもでき、感情としてはとても静かなものです。

私はドライなタイプかも知れません。
ちょっぴりそれが寂しいと言えばそうかも知れません。

先の教師が言っていた「子供のとき親の死が悲しい」のは「親を亡くしてこの先生きていけない」という恐怖感が大きいかと思います。
そういう意味で言えばもう私は親がいなくても生きていけるようになったということかもとも思います。

親御さんを亡くされた方で、悲しみが割と淡々としていたという方がみえられたら、お話聞かせてください。

A 回答 (1件)

謹んでお悔やみ申し上げます。



私は30代で両親を亡くしました。もう20年以上も経ちます。
両親は長男夫婦、孫とともに3世代同居し、私は遠く離れた地で結婚していました。葬儀などが済み、自分の家に帰ると常に変わらぬ日常が戻りました。
悲しみの実感よりも淡々と心が静まり返っていました。

ドライ、なのだと自分で思います。でもそれは「冷淡」とか「薄情」ということではありません。
いまでも、時折「なんて長い間、母の声を聞かないのだろう」と、悲しみと寂しさが胸に広がる瞬間があります。
悲しみ、寂しさはいつもは心の奥底に行儀よく納まっているのです。

ご質問を読んで、「親がいなくても生きていけるようになったということ」という言葉にとても安心できました。
そのように子供(私)が自立したのちに亡くなったのなら、両親もある意味、安心して旅立ったのだと信じることができるからです。

まとまりのない回答ですが、私も当時、自分の心の静けさに少し不思議さを感じましたので。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>自分の家に帰ると常に変わらぬ日常が戻りました・・

そうなんですよね、当たり前のようなんだけれど、自分には日常が続くんですよね。

>悲しみと寂しさが胸に広がる瞬間があります。

普段は大丈夫なのですが、何かのはずみにふっとこういう気持ちが訪れますね。

>悲しみ、寂しさはいつもは心の奥底に行儀よく納まっている・・・

ああ、そうなのかなと思いました。
子供のころ母を亡くしそうだというときには、
悲しみの居場所を見つけられなくて、恐怖や不安におののいていた気もしますね。
夜中などに突然泣き出したりするのです。
大きな海に呑まれそうになるような夢を見て・・・。
息ができなくなるような不安があって、目が覚めるのです。
子供にとって親が死ぬということは本当に不安なことなのでしょうね。

そういう感覚がない今に親を亡くして幸いかも知れません。
静かに母の冥福を祈ろうと思います。

最後に、私のこの質問に目を留めてくださって本当にうれしいです。
ちょっと世間ズレした質問だったかなぁと投稿後心配していました。回答する方にとっては答えにくい質問だったかも知れませんね。

お話しみじみ読ませていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/30 17:10

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