幼稚園時代「何組」でしたか?

徴兵は断れなかったんですよね?

A 回答 (10件)

兵役は義務だったので断る権利もありませんが、コロナ禍の現在マスクをしていないと白い目で見られるように兵役を避けると白い目で見られるわけですから断れる雰囲気ではなかったと思います。

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近衛文麿首相の長男も徳川慶喜の孫も徴兵され、二等兵として満州に渡ったくらいなので、どのような身分の人であっても徴兵を断る事は出来なかったと思います。

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兵隊を強制で徴発するから徴兵(ドラフト)です。


応募して兵隊になるのは、募兵(ボランティア)
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リアルガチで断れません。

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第二次世界大戦までの日本では、成人男性は徴兵検査を受けることが義務付けられ、身長・体重や健康状態によって甲、乙、丙、丁、戊にランク分けされました。



徴兵では甲と乙にランクされた男たちは、無理やり連れて行かれたんです。
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元々徴兵制度は、明治初期に決められたもので、18歳以上の男子全員が徴兵の対象でした。

つまり成人男子は全員徴兵検査を受け、「兵士となる」ことが義務付けられていたのです。当然断ることはできません。それは、税金を払わないのと同じことになります。
そして、徴兵検査の合格者の中から出征して戦地に向かう人を決めるのです。こうした事全体を「徴兵(制度)」と言います。つまり「国民皆兵」の制度です。そこには、徴兵猶予という制度もあり、家長・長男・大学生・教員・役人などが猶予されました。その中に「代人料」という項目もあり一定のお金を国に納めれば、徴兵されないという決まりもありました。ただし、こうしたものは徴兵猶予というだけで、規定が変わり、猶予されなくなれば、から除外されます。第二次大戦末期、ほとんどの大学生の猶予がなくなったため「学徒出陣」は行われたのです。
徴兵されると学力や経歴にかかわらず最下級の「初年兵」扱いですから、学歴や経歴がそれなりである人たちは「志願兵」として戦地に向かうということもありました。「志願兵」全員が「喜んで国のために志願」したわけではありません。
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徴兵逃れをする人はいました。


よく聞くのが醤油の1升瓶を一気飲みして、血液中の塩分濃度を上げて血圧を上げて不健康体となったり、痔やほかの疾患を装って徴兵検査に落ちる、目や耳の疾患を偽装し障害者を装う等です。

戦争が末期になると徴兵検査時での徴兵逃れを防ぐために、厳しい規制を実施したりしたのですが、徴兵検査に立ち会う医師も不足してきたため、徴兵逃れがし易くなった所も有ったようです。

またネットの書き込みか何かで読んだのですが、終戦間際になると一般国民も戦況の悪化・敗戦を感じ取り、逃亡を選択する人もいて、終戦まで逃げ回っていたという事を読んだことがあります。
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御一新から対米戦争まで中央集権が進みましたから、時代がこっちに近くなるほどまぬげれることができないように国論を導いていったのでした。

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日露戦争の頃は、お金で回避できました。


大学生が在学中は免除の建前でした。繰り上げ卒業で、希望するなら、1年2年早く卒業させてやるぞ。って言いだしたみたいですけど。
海外では、良心的兵役拒否者がいました。戦争に行かない代わりに、強制労働に従事。
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徴兵検査をして、背丈が低いとか痔持ちだったら免除対象です

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