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漢文の雑説について質問です。
書き下し文が且つ常の馬と等しからんと欲するも、得べからず。というふうになるところがあると思うのですが、この訳が普通の馬と同じような働きをしようと思ってもできない。となるそうですが、なぜ千里の馬が普通の馬と同じような働きをしようと思ってもできないのですか?
お願いします。

A 回答 (3件)

優秀なレース用の馬を想像して下さい。

それが「千里の馬」です。走ることにかけてはどの馬にも負けません。一方当時通常の馬は農耕や運搬が仕事でした。その才能を見出せないまま千里の馬に荷車をくくりつけ或いは耕作用のソリを引かせても才能を発揮できる分野ではないため非力な馬としか見えません。千里の馬が普通の馬と同じような働きをしようと思ってもできないのはそのためです。
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これは馬のことを言うと見せかけて、人間の話をしているのです。

「千里の馬」は能力の優れた人物です。優れた才能を持つ人物は、それにふさわしい待遇を受けて、はじめて能力を発揮できると言いたかったのです。
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せめて普通の馬と同じぐらい(働こう)と望んでも、(その機会を)得られるわけでもない。



前文が
是の馬や、千里の能有りと雖も、食飽かざれば、力足らず、才の美外に見れず。
この馬は、たとえ千里を走る能力があったとしても、食が十分でなければ、力を発揮できず、優れた才能は表に出ることはない。

この馬の飼い主は、この馬に十分な食を与えていなかった。
だから、この馬は力を発揮できず、優れた才能が表に出ることもなかった。
そうなると、飼い主はこの馬を駄馬(何も出来ない馬)だと思って、
普通の馬と同じくらい働ける機会も与えてもらえなかったのでは。

引用HP https://manapedia.jp/text/1961?page=2

『雑説』口語訳(現代語訳)

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
世の中には伯楽(馬を見分ける名人)がいてこそ初めて、1日に千里も走る馬が存在する(伯楽が能力の高い馬を見出すから)。

千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
千里の馬は常に世の中に存在するが、伯楽はいつもいるとは限らない。

故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死して、千里を以つて称せられざるなり。
そのため名馬がいたとしても、(その素質を見抜かれないためにその馬は)使用人の手で粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の平凡な馬と一緒に)首を並べて死んでしまい、千里を走ると称せられることもないのだ。

馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
1千里もの距離を走る馬は、一度の食事でときには粟一石を食べつくしてしまう。

馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
(ところが)馬を飼う者は、その馬の千里を走る能力を知って飼っているのではない。

是の馬や、千里の能有りと雖も、食飽かざれば、力足らず、才の美外に見れず。
この馬は、たとえ千里を走る能力があったとしても、食が十分でなければ、力を発揮できず、優れた才能は表に出ることはない。

○且つ常馬と等しからんと欲するも、得べからず。
せめて普通の馬と同じぐらい(働こう)と望んでも、(その機会を)得られるわけでもない。

安くんぞ其の能の千里なるを求めんや。
(この有り様で)どうしてその能力が千里も走るものであることを(その馬に)求めることができようか、できない。

之を策うつに其の道を以つてせず。
(飼い主は)馬を調教する際に千里の馬にふさわしい扱いをしない。

之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず。
これを育てるのにその能力を十分に発揮させることもできない。

之に鳴けども其の意に通ずる能はず。
(一方で馬が)この飼い主に(その扱いの不当さを)鳴いて訴えたとしても、(飼い主は)その気持ちをくむことができない。

策を執りて之に臨みて曰はく、
(それでも飼い主は)鞭を手にこれ(名馬)に向かって言うことには、

「天下に馬無し。」と。
「世の中に名馬はいない。」と。

鳴呼、其れ真に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。
あぁ、それは本当に名馬はいないということなのだろうか、それとも本当に馬を見抜くことができないのだろうか。
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