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日本は昔から戸籍制度で家制度を伝統的にとっている!

という意見と

北条政子のように源家に嫁いだが苗字は変わらないから家制度は伝統的ではなく昨今できたものだと言うひとがいます。

どゆこと?

A 回答 (8件)

どちらも間違いです。



日本の戸籍制度は古代では飛鳥時代末期から平安時代の途中まで、
近代は明治時代の初期からです。
このころは結婚しても氏は変わったりしません。

家制度は明治時代の後期に明治民法がつくられたときにできました。
それまでは私的な経営体のイエはありましたが、家制度はありませんでした。
各地で多様だったイエを法律で画一化しました。
このときに夫婦同氏の制度を始めて取り入れました。
その後、家制度は戦後の民法改正で廃止されていますが、夫婦同氏は今も続いています。

北条政子の北条は名字で、源頼朝の源は氏(本姓)で別のものです。
北条政子の当時の正式名称は平政子で、北条政子は後世の呼び方です。

嫁いで苗字(氏)が変わるようになったのは明治民法からなので、家制度のタイミングとは同じではあります。
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それは、「家父長制」というタームをご存知ないから混乱しているのでしょう。


ご質問の「家制度」とは、国としての本格的な戸籍制度ができた明治以降、終戦までのもので、それ以前の家父長制を相当受け継いでいます。また、家父長制は江戸時代に定着したもので、それ以前も家父長制的ではあったのですがケースバイケースもありました。北条政子はケースの一つなわけです。
つまり、家制度は明治時代に定められたもので、にわかにできたのではなく以前からの伝統に連なっているが、その伝統もさらにさかのぼると(地域や階層によって)ケースバイケースもあったということです。

というわけで、家制度が廃止された戦後は、ますますケースバイケースで人権重視の判断が求められています。明治時代にできた戸籍制度は、伝統的な桎梏として種々の問題点も挙がっているのに、今なお「とてもうまく機能してくれてる」と考えるのは、ネトウヨでしょう。
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昔の氏は今の姓とは似て非なるものだからね・・・


家督の継承は昔からあったけど
庶民は移動の自由もほとんどなかったから名字なんて必要なかったし
村の名前とか屋号とかで区別されてたでしょ

逆に言えば昔は戸籍制度がさほど必要ではなかったのが
今のように海外から流入したニセ日本人が国を荒らし回る
ご時世になると、明治につくってくれた戸籍制度が
とてもうまく機能してくれてることがわかるでしょ。

ニセ日本人は戸籍制度がじゃまでじゃまでしょうがないんです。
同性婚や夫婦別姓なんて、在日が偽装結婚をくりかえして
日本人のふりをするための抜け道です。
そのへんをきっちり対策しない限り、ほんとに困っている人たちは
救われません。
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中世以前はそもそも戸籍なんて概念もない。

質問の家云々も、本の一部の社会の上層部だけの話です。

今の戸籍制度は明治以降だし、厳密に言えば戦後だし、法律は徐々に改変が進むので、漠然と昔から・・・と言っても、あまり意味ある討議にはなりません。

家を継ぐ・・・・もはや社会のニーズに合わない制度を、なぜか保守派が家にこだわり、結婚もしなくなり、子供も産まなくなる。政治、終わってますね。
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> 北条政子のように源家に嫁いだが苗字は変わらない



こちらが明らかに間違いの珍説。
そもそも北条政子は、当時に北条政子と呼ばれたりしませんので。
頼朝の奥さんとして「御台所」とか、頼朝の没後は「尼御台」です。
北条氏による執権政治の始祖的に、後世に北条政子と言われる様になっただけですよ。

すなわち、明治維新以前で、女性がフルネームで呼ばれたり記録されたりする事例はほとんどありません。
従い、日本史の中で、フルネームで呼称されるのは、北条政子を含め、数名くらいしか居ないのではないかな?

紫式部や清少納言とか、斎藤道三の娘にして織田信長の奥さんである濃姫なども、正式な名前は不詳で、言わばペンネームやニックネームが伝わるのみです。
北条政子も、朝廷から官位に叙せられた際に付けられた名前で、それ以前の名前は記録には残ってません。

どちらかと言えば、「女性の名前(特に名字)などどうでも良い」と言う方が正しいですのですが。

それにも関わらず、敢えて政子を北条と言うところからして、むしろ家制度(氏姓制度など)が存在している証拠と言えますし。
あるいは、「女性の名前などどうでも良い」と言うのも同様で、日本はかなり昔から、男系の家長制度であった証拠です。

ちなみに北条氏の場合、北条は名字で、氏は平です。
北条時政の場合、「北条(名字,家名)四郎(仮名)平(氏)朝臣(姓)時政(諱)」で。
この時代は普段は名字(北条四郎時政)が使われますが、公式の場では氏名(平朝臣時政)です。

頼朝は名字を持つ前に亡くなってますけど。
頼朝を「源」と言うなら、政子も別に「平」でも良いし、その方がバランスは良いかも知れません。
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旦那や息子が亡くなったので実家へ戻って、元の名前へ戻っただけでしょう。

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「昔」を何処に置くかでしょうね。


「戸籍制度」は明治以降の制度です。
明治を昔とすれば、伝統になるでしょう。
明治を昨今とすれば、昨今なんでしょう。

家制度に関しても、戸籍に類似する「檀家制度」は江戸時代からです。
江戸時代以前は正直曖昧です。

大抵のかたのおっしゃりようは「戦前」が基準ですね。
まぁそこで「昔」とするのは違和感はありますけど、基準をおけばそこが「昔」です。
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>日本は昔から戸籍制度で家制度を伝統的にとっている!



全国民を対象とした戸籍ができたのは1872年(明治5年)です。
それまでは、戸籍とか血統とかいうのは、1割にも満たない上流社会の問題だったのですよ。

もともと戸籍というのは中国でできたもので、その後東アジアに広く定着したものですが、現在残っているのは中国、台湾、日本ぐらいで、しかも中国、台湾は形骸化されています。

戸籍制度は古くから一部の階級の人達にありましたが、所詮中国の物まねでしかありません。「日本が~!」と叫ぶ人達が、どうして中国の物まねでしかない戸籍を大事にするのかが理解に苦しみます。
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この回答へのお礼

イギリスの産業革命以降の真似でしかない世界の産業は無意味!

お礼日時:2020/12/23 12:03

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