
私は最近DVDでパッションという映画を見ました。
イエスキリストが十字架にかかって死ぬ前のことを映画にしたものです。
残酷な場面がたくさんあり、何度も目をそむけてしまいました。でも、涙がとまりませんでした。ことばではうまく言えないのですが、かわいそうというのとは全然違うのです。
私が疑問に思ったのは、イエスキリストはどうして十字架にかけられて死んだのかということです。その本当の意味です。
あれだけ残酷な罰を受けたのにもかかわらず(鞭打たれ、つばをかけられ、罵声をあびせられ、思い十字架を背負わせられ、あげくの果てには両手と両足に太い釘を打ち込まれて十字架にかけられて殺されてしまった)十字架の上で「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と祈って死んでいったのです。
そして、その十字架の死がもとになってキリストが今でも世界中の人々に信じられているということは、この十字架に何か大きな意味というか、理由が隠されているような気がしてなりません。
キリスト信者の方、イエスキリストの十字架の意味をわかりやすく教えてくださいませんか?難しいことをいわれてもわかりませんので。
私は小さい頃、教会の日曜学校に行っていたので教会に十字架があったのは覚えていますし、聖書のことばの書いたカードをもらったのを覚えています。
A 回答 (31件中11~20件)
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No.21
- 回答日時:
>その十字架の死がもとになってキリストが今でも世界中の人々に信じられているということは
>十字架に何か大きな意味というか、理由が隠されているような気がしてなりません。
直感的に感じたことの本質を知りたい、ということだと思います。
イエスが十字架で死んだことは、聖書のテーマとして旧約時代から続いている
「罪の購いのための生贄」というメッセージに則ったものです。
かつては山羊を、ユダヤ人全体の罪を赦してもらうための生贄にしていたのですが
この原理に則り、イエスは多くの罪びとのための「身代わり」あるいは「生贄」として
死んだ、ということを聖書はメッセージしているわけです。
聖書には「木にかけられる者は呪われる」と、わざわざ書いてありますので、
罪の無いイエスが「木にかけられて」、身代わりに呪いを身に受けて死んだ、と解釈できます。
これは、多くの人の罪が赦されるためであった、というのがパウロなどの解釈です。
さて、ではなぜ死刑の方法が「十字架」でなければならなかったのかについては
明確な見解というのはないのですが、
十字架は、縦と横の線が一体となった形をしていますので、
縦が、神と人との愛を、横が、人と人、つまり隣人どうしの愛を表現しているという解釈があります。
イエスは、神を愛すことと、隣人を愛すことが、律法の完成を表すことを言っていました。
おそるおそるでも良いので、質問者さんが自分から福音書に目を通して、イエスの十字架について考えることが良いことであると思います。
参考URL:http://d.hatena.ne.jp/believer777/20100816
No.20
- 回答日時:
キリストの十字架の意味は、本物の苦難のしもべの処刑に関わると推測しています。
以下に記すことは自分の推測に過ぎませんのであしからず。
歴史は全て最初から決まっています。
未来に来る世界の主(苦難のメシア)を処刑するのはキリスト教徒だと思います。
そして、その処刑に多くの人々が不満を抱き不公平さに嘆く未来があると思います。
だから神が、そういう未来にしないために平等にするために、
あらかじめキリスト教の教祖を処刑しとくという神による施策であると推測しています。
因みにイエス・キリストは世界の主ではありません。
なぜならユダヤ教徒、イスラム教徒の方々が、イエス・キリストを自分達の主だと認めてないからです。
世界の主になれる人物は誰もが自分達の主だと認める存在なのです。
イエス・キリストは、間違いなくメシア(救世主)です。イエス・キリストの言葉で多くの人々が救われてきたでしょう。
しかし、聖書の言葉全てが正しいわけではありません。正しい部分もあれば間違った部分もあります。
世界の主の預言
偉大なるシーレンが、世界の主となるだろう。
はじめは愛されるが、のちに恐れられ怖がられる。
彼の名声と称賛は天にまで達し、勝利者の称号に大いに満足するだろう。
それから天国地獄はあるかもしれません。もし神が人々の平等願望を尊重されているなら天国地獄はあるかもしれません。実際に神は旧約聖書の中で、「霊はいつまでも肉にとどまらない。人の寿命を120年とする」と言われた事があり、霊の存在を否定はできませんしね。
参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/58izaya.ht …
No.19
- 回答日時:
神は人間に死後の世界を用意しています。
天国(神の祝福を受ける場所)と地獄(神の罰を受ける場所)
神は人間を造り自由の意思を与えた。
しかし、人間は自由の意思がある為、一面として自己中心に生きる悪い心を持っている。
神はこの悪い心を嫌い。全ての人間は天国に相応しくないと考えた。しかし、神自身が形造った愛する人間を地獄には入れたくないと考えた。
そこで神は全ての人間に死後、与えるはずの罰を人間の代わりにイエス・キリストを地上に送り与えた。(十字架の死)
そして、自分が受けるはずだった罰をイエス・キリストが受けたことを認め信じる人だけはどんな人間でも死後、天国へ入れることにした。
十字架にはこんな意味があります。もしイエスの十字架がなければ
全ての人間は神からの罰を逃れることはできませんでした。
聖書を読めばもっと細かく書いてあります。
No.18
- 回答日時:
>何か大きな意味というか、理由が隠されているような気がしてなりません。
その通りです。人類史上で五本の指に入る意味があります。
神が最初の人間アダムを創造された後、アダムは蛇に欺かれて神が死ぬと言われたことを行ったのでその子孫も死ぬようになりました。
その時、神は蛇にこう預言されました。
「わたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」‐参 創世記 3:15
蛇である悪魔サタンは、女の胤であるキリストを杭につけ、全くの無実の罪で処刑することに成功しましたが、これが「かかとを砕く」という預言の成就です。実際にかかとに釘が打ち込まれたかもしれません。
しかし、このことによって、キリストは人類の贖いとして、
すべての人の代わりに死ぬことによって、キリストに信仰を持つ者が
永遠の命を得られるようになったのです。
このことは遠い昔から神によって示されていました。
イスラエルがエジプトから脱出したとき、毎年「過ぎ越し」をするよう命じられました。子羊の血を家のドアに塗り、初子が守られたことを記念するための祭りです。
ちょうどこの祭りの日にキリストは処刑されたのです。
その後の部分で、キリストは聖書の中で神の子羊と呼ばれています。
また、イスラエル人が罪を犯したとき、神に犠牲として
牛や羊などの動物をささげるようにという律法を与えたのです。
ですから、イエス・キリストが死ぬことは1500年まえから予示されていました。
では、蛇の頭を砕くことはどうなるのでしょうか。
蛇である悪魔サタンの企ては、キリストの贖いによって見事に
打ち砕かれました。神が正しいことが証明されたのです。
また実際に悪魔サタンとその使いたちは滅ぼされます。
これは将来についてですが、こうかかれています。
「ひとりのみ使いが底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇を捕らえて,千年のあいだ縛った。そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,[それを]閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことができないようにした。・・・そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた」
‐ ヨハネへの啓示 20:1-3,10
ですから、キリストの処刑は、困惑を起こさせる程のショックな場面で
当時の弟子たちも泣いたり、関係ないそぶりをしたりしましたが、
こうした神がご計画された人類の救済や、預言などの歴史があってのことなのです。
参考URL:http://watchtower.org/j/

No.17
- 回答日時:
ぼくはキリスト教に興味はありますが、キリスト教の信者ではありません。
ですが、「パッション」は見ました。「ジャンヌ・ダルク」と「エミリー・ローズ」も見ました。そこで思うのです。質問の答えになるか分かりませんが、キリストは死んで聖霊になったのだと思うんです。人は死んで消滅するか、聖霊になるか、悪霊になるか、悪霊が悪魔で、聖霊が神なのではないでしょうか。十字架の意味については、劇中ではキリストが望んだものではなく、キリストを殺した人たちが望んだものです。あれは単に罪人として殺したかったのではないでしょうか。他にお答えになっているキリスト教関係者の方の反感は承知であえて書きます。あれは単なる残酷刑です。しかしキリストの十字架には感動があるのではないでしょうか。言葉は悪いですが十字架に架かって死ぬキリストに意味があるのであって、十字架には特に意味はないと思います。
No.16
- 回答日時:
「イエス・キリストの十字架刑での死は人々のあらゆる罪を清めるための代償となっている。
」ということだと思います。さらに、「イエス・キリストは処刑後3日目に復活した神の子である。」このことを自分に罪があることを自覚した上で信じることがキリスト教であると私は認識しています。
自分に罪があることを自覚し、「許してください。もうしないようにします。」と悔い改めて、イエス・キリストの十字架での死の意味と復活を信じるならば、神の前ではいかなる罪も許されるのがキリスト教であると思われます。
いかなる罪であろうと、十字架で流された血が罪の代償になっていることを信じて、神の前に悔い改めることができれば、許されない罪はないという無制限で無条件の許しを命を賭してキリストが提示したということだと思います。
さらに、3日目に復活したことで、「死」という恐怖を超越し、天国を実感させ、希望を与え、この世の苦しみや不公平に耐え忍び、必要であれば「死」を超越して対抗する力を与えてくれるきっかけを人類にもたらしたともいえるのではないかと思います。
それが故に、アメイジング・グレイス(おどろくばかりの恵み)なのであると思われます。
つまり、キリスト教は、ジェフリー・ダーマーのような連続強姦殺人犯だろうがなんだろうが、基本的に誰でも、どんな罪を犯していようと無条件に許されるというおどろくべき宗教だと思います。(もちろん、普通の国であれば、法律に違反すると、その法律を知らなかったとしても、当然なんらかの罪に問われ、罰せられます。)
No.15
- 回答日時:
キリスト教はおしゃれな頭=人として正しい考え方と生き方を教える書です。
ゆえにゴルゴダの丘(髑髏)の出来事に聖書の凡てがあるとヨハネは言っています。イエス様は人間の罪と罰を演じて見せ、ここから救われる方法の手本を見せたのです。
私達の罪とは、棘のある考えをしていて横木(肉体本能)を頭まで運ばない、我欲に負けてしまうことです。これがイエスが三度躓いて十字架を担ぎ上げられなかったこと、頭に荊の冠を被っている意味です。そして十字架の上のユダヤ(夕蛇邪=肉体=バラバ=腹場=薔薇場=英米主義)の王の札も腹の虫の蝮気が強い者の意味です。映画の冒頭で蛇がイエスの着物の裾から潜り込んだのは、人の本能(イヴ=異部、穢場=肉体=ユダヤ)=女神が魂を育てる親であるということです。神様を女優さんが演じていましたよね。
イエスは弟子達に自分の十字架を運びなさいと教えます。これは精神の火と肉体の水をかみ合わせる苦労の熱(オウム=Ω)が魂を温める風呂の理である、与えられる人生の苦労は母主神の愛の手であるから、天を見つながら地に汗を流す情熱(神向心=パッション=インナーバウアー=蛹=静香)に素直になりなさい、ということです。
三度(春夏秋)無信仰の666(シックス=病気=下を向く)できたものは、溶鉱炉に投げ入れられて汚れを焼かれる、洗濯機の中に入れられるという神の愛の浄化のチャンスを受けます。これが十字架の張付けで、ハルマゲドン(基経)、ラルロの大嵐が吹く(神道)、大水に呑まれる(仏教)という予言です。
この直前に救いの主(ミロク、メシア、観音)が現れるとあり、イエスはヨハネ福音書の16章で真理の御霊が来て救いの智慧(999=成因=上を向く))をあなたがたに与えると言っています。
この救いの智慧とは、人は苦労の荒野、竹薮を通る旅によって育つと、母主神は定められた、苦労は神の愛であると目覚めて受け取って行く先に幸があると悟ることです。
イエスが「私はかわく」といったのは、神の真理心裏を知らずに、苦労から逃げる我利、怠けに生きてきたドライな私(現代人)に目覚めたということです。
反省して人々の差し出す酸い葡萄酒を受けました。神を信じて苦労に向って生活した。「全ては終わった」、天国に迎えられたのです。四つの福音書は春夏秋冬を表わしており、葡萄酒を飲んだのはヨハネの福音書だけです。
映画パッションでは、葡萄酒を吐き出しています。これでは聖書、イエスの教えは全うされない重大な間違いです。犬養道子の書ではイエスは葡萄酒を飲まなかったと断言しています。
映画パッションの批判の中にこの重大な間違いが指摘されていないことは、教会側も誰もこの間違いに気が付かない。いまだ聖書はきちんと読まれていないということなのです。
No.14
- 回答日時:
目を背けたくなるのはわかりますがまぎれもない事実なのです。
イエスは我々の罪を一人で背負い、十字架につきました。我々の罪とはユダヤ人の思想の中にある罪、つまり宗教的なものではありません。人の心の陰なのです(アダムとイブの原罪も背負っています)。どんな人間にも陰はあります。生きる上で必ず犯す罪(ねたみ・うらみ・よこしまな心など)を悔い改める事によって神に許しを請うことをイエスは説いたのです。しかし、当時のエルサレムの人々はイエスをユダヤ教の教えに反する危険な人物として当時一番重いとされていた十字架刑にしたのです。しかしイエスの十字架は旧約聖書にあらかじめ預言者を通して神が予告しておいたことだったのです。イエスは神の言葉が実現されるために神が送り込んだ救い主であって、その教えに背いた人々の罪をあがなって十字架についたのです。つまりイエスの十字架により人々は罪を赦されたのです。キリスト教は愛の宗教です。敵を憎まず愛する教えです。だからイエスは「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」といったのです。
我々はイエスが十字架により我々の罪をあがなって下さった事を忘れてはいけません。
参考URL:http://www.ktv.ne.jp/~kiryu-ch/2002massage/02032 …
No.13
- 回答日時:
何より先ず目を向けなければならないことはキリスト教が恐ろしい宗教集団であるということです。
十字軍、魔女裁判、教会の僧兵、植民地化の尖兵たる宣教師、現代キリスト信者のむごさ(アメリカ・イギリス国民、イスラエル国民)等に表れるキリスト教が織り成す世界的な悪事の数々、憂慮足るべきことです。(中世としては映画「薔薇の名前」をお薦めします。)イエス・キリスト(ナザレのイエス)は、天上界で最も位の高い存在と言われています(引用:シュタイナーの神智学)。または神そのものと言われています(引用:天界と地獄)。降臨する前に、ヨハネが道を整え、イエスが真理を述べ伝えるという計画のもとに行われたという教えががあります(引用:新約聖書)。高位の霊的存在であるイエスならば、自己が降臨した場合にそれ以降、どのような影響が地上に現れるかを知れたはずです(引用:霊界日記=「主は全てをご存知です。」)。キリストが降臨されたのは人類の程度が最悪になったため(引用:シュタイナーの神智学)、ルシファーの改悛のため(引用:その他書籍)と諸説がありますが、少なくとも教えを広めるためではないことは、前述の恐ろしい宗教集団化(主はそれを望まれたでしょうか)となったキリスト教から必然導き出されます(引用:旧約聖書 預言者)。「天界と地獄」を読む限りではこの地球は精神と物資との関係において、非常に物質よりだということです。仮説としてはその地球上で(人類の)精神が崩壊寸前であったために主の栄光が顕現されなければ天界の計画における地球の働きが救えなかったのではないかと推測しています(シュタイナーの神智学とは趣が違いますが)。ゆえにその後のキリスト教による弊害が容認されたと。
キリスト教は"パウロのキリスト教"と言われています。付記すればスウェデンボルグはパウロを偽善で悪の使徒(悪霊)と厳しく指弾しています。もし仮にパウロの存在や行動を防ぐことが出来れば、イエスの磔刑も未然に防げたはずです。
イエスは肉の身を持って復活されたと信じています(引用:新約聖書=「三日で建て直す」)。それゆえに当時の社会的弱者であった使徒たちが奮い立ったのだと、既設の論に同調します。
No.12
- 回答日時:
あまり深く考えたことはないのですけど。
お祈りの最後に
「父と、子と、せいれいの皆によって」
「In the name of the fater, and of the son, and of the holy spirit」
といいながら十字架をきるのでそれがなにか関係してるのではないでしょうか??
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