A 回答 (16件中1~10件)
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No.16
- 回答日時:
バターのように溶け込むならこの世に生きた意味がいまひとつ分からなくなりますね
昔のアニメで虎が猛スピードで回転するとバターになってしまったという話がありましたが、それでは面白くないと思いませんか?
死んでも個性が続くと考えた方が楽しくないですか?
その個性で子孫を導いたりできますものね
ちなみに先日キリスト教の方の話を伺う機会があって同じような質問を
してみたところいろいろ言われましたが要はあの世のことはよく分からない、しかしクリスチャンは天国に行きそれ以外はいけないという結論でした。創価学会の人とおなじようなことをいってるなあと感じました
No.15
- 回答日時:
100%正しい答えはないですが、原理的に考えて最も可能性の高いのは、「生まれる前の状態」に戻ることです。
すなわち、いったん「意識がなくなり」、その後、「(過去を全て忘れて)再び生まれる」ということです。
主観的には、死んだと同時に、すぐまた生まれると思います。何故なら、死んだ後、無意識の時間がどんなに長くても、その間は時間の経過を感知できないからです。
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.14
- 回答日時:
>人間は死ぬとどうなりますか??
はっきりいってそんなの絶対にわかりません。わかりようがありません。死んだらもう喋ることも動くこともできないという事はあきらかですが、それはあくまでも生きている他人からの視点です。
死んだ人自身が死後も意識のようなものはあるのかとか、天国に行くのかとかは絶対に知りえません。
この「死んだらどうなるか?」という問いは、答えることが不可能(想像で答えることは可能ですが)であり、この問いをたてること自体ナンセンスだと思います。
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.13
- 回答日時:
香港のロボコンです。
今日は。
キリスト教と教えです。
イエスを信じる人:
体:土地に戻ります。
霊:暫定的に地の下にある「楽園」に住みます。
将来イエスが再臨の時:新しい体と永遠の命を得て、イエス・神様ヤウェと一緒に天国に楽に住みます。
イエスを信じない人:
体:土地に戻ります。
霊:暫定的に地の下にある「陰間」に住みます。
将来イエスが再臨の時:イエス・神様ヤウェより審判を行い、その人の生きる時の行為で審判、天国け地獄か、神様より決めます。地獄とは永遠の火。
人はいつも以上の話を聞いて、嫌いになるし、聞きたくないかも。
イエスを信じるというのは、イエス経由で以前の罪・よくない行為を認識、後悔、これからやらない、新しい人生を始めるということです。イエスもその人間を許します、ですから天国へ行けます。
信じない人、または以前イエスの話の聞くチャンスがなかった人は、神様より判断。
ですから道で教徒だちは「イエスを信じろ」と聞こえます。私達はいい事を得たから、知らない方々も、神様のいいギフトをもらおうと祈ってます。
じゃ、そうしたら、どうせ審判があるから、信じないでいいじゃん。。。
実はイエスを信じて、聖書を勉強して、面白いし、祈りの経由で、自分の困ること、少なくなります。人生のいろいろ困難・挑戦を受ける時も楽しく生活できるし、もう怖くないし、結構パワーアップさせます。どうしてもっと早くいい事をもらわないんですか。
よろしく!
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.12
- 回答日時:
まず個々からだと思うのですが…
答えは無数にあると思います。
下でいろんなことを書かれていると思いますし、
もしくは宗教的にもいろんな説があるでしょう。
そのどこにあなたが納得できるかです。
また、肉体的・(現在認知できる範囲で)物理的にはお分かりのように絶対死ですし、その後のことなんか認知できません。
また、肉体や現在の物理現象だけで「自分」が形成されているわけではないので、そうなるとそれ以外の部分、精神的な部分がどうなるかということになります。
基本的に想像の世界でしょう。
仮に知っている人がいてもそれを証明する手立てはありません。
そして、それを考えているのが宗教になります。
自分からこれが正しい。ということはできませんが、
いろんな宗教や死に対しての考え方、哲学や思想など、から
自分なりの答えを見つけ出してください。
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.11
- 回答日時:
No.10です。
何度も申し訳ありませんが「霊の書」のURLをもう一度貼らせていただきます。
宜しければ、参考してください。
「霊の書」上下 アラン・カーデック著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806311 …
http://images-jp.amazon.com/images/P/4806311758. …
No.10
- 回答日時:
人が死んでまず初めにしなければならないことは
「自分は死んだのである・・」という自覚です。
自分が死んだことを自覚しなければ、まだ生きているつもりで人間界をさ迷ったり、生者に憑依したりして迷惑を掛けます。
自覚できれば、先に亡くなった先祖や友人が迎えに来てくれていることに気がつきます。
死んでも、肉体も着衣もそっくりそのまま残っています。想念の世界なので「自分とはこうだ・・」と思ったままの形を霊体として残しているのです
死後の世界は、想念の世界なので、自分の思いがたちどころに形となって現れる世界です。
ですから心の内を隠すことができません。
邪悪な思いも崇高な思いもすべて表面に現れてしまい、周りの人(霊)にすべて知られてしまいます。
ここで通用するのは「他者に対し、何を為したか・・」です。
他者への奉仕が霊の通貨です。
それ以外のものは価値の無い世界です。
生前の社会的地位、権勢、財力、表面的美貌は一切価値を失ってしまいます。
徳の高い人(霊)は光り輝き、威厳と風格があり、一目でそれと分かります。
逆に、悪事を尽くした人は、生前どんなに美貌に恵まれていても、醜い想念そのままに醜い邪悪な風貌に変わってしまいます。
徳の高い人は、同じように霊格の高い人々に誘われて、同じくらいの人格者ばかりが集まった世界へと移り住み、さらに奉仕と知的、霊的向上に専念し、さらに霊格を高め、幸福度を高めていきます。
この奉仕の中に人間界を導くことや、又生まれ変わってさらに他者に尽くす生涯を目指すことも含まれます。
そしてさらに上の世界へと上っていくのです。
一方、邪悪な一生を送った人は死後も全く変わらず邪悪なことを好みます。
この邪悪な想念に引き寄せられて集まってくる同じような邪悪な人々(霊)と仲間になり、生前と違って肉体的制限の無い死後の世界で、邪悪の限りを尽くそうとします。
この時、死の自覚の無い邪悪霊は生者に憑依して自分の欲望を遂げようとします。
邪悪霊がとり付く生者とは、やはりこの邪悪霊と同じように邪悪な願望を持っている人間です。
霊の世界では同じ想念同士は引き合い、異なった想念は互いに反発しあいます。
ですから「地獄」とは邪悪な霊が互いに好んで集まって作る世界であり、「天国」とは聖霊たちが引き寄せられて集まって創る至福の世界のことです。
もし、邪悪な霊が天国に連れて行かれたとしたら、その光輝、清浄さ、奉仕を何よりも喜びと感じる至福に耐えられず、体中に激痛が走り、精神的苦しみのために一目散に慣れ親しんだ地獄に逃げて帰るでしょう。
聖霊は、後悔し少しでも良心の芽生えた邪悪な霊を救うために、地獄にまでも出かけていきます。(これも彼らの奉仕業の一つ)
邪悪な霊も、生まれ変わりの経験の中から反省し、他者に尽くすようになることにより、少しずつ向上し、最後には聖霊になることが出来ます。人によってそのスピードは色々です。
この天国と地獄の間にはあらゆる段階があり、そのレベルに相応しい人たちがそれぞれ集団になって暮らしています。
この地球上に存在するもので霊界に存在しないものは皆無だそうです。
想念の世界なので当然でしょうね。
このように永遠に(何時までかは神のみぞ知る)進化向上を続け、苦の無い至福の境涯を目指していくのだそうです。
以上のような内容に興味のある方は、以下の本をどうか参考にしてください。
「シルバー・バーチの霊訓」 全12巻
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806313726.h …
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806313866.h …
「霊の書」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806313866.h …
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806313866.h …
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.9
- 回答日時:
>人間は死ぬとどうなりますか??
良い質問ですね。
死後についての正確な知識が得られないために、死んでから右往左往したり、(生きているうちに)変な宗教にだまされたり、唯物論に陥って、人が生きる意味を見失ったりしますね。
私が知っている人の死には、以下の4つのステップがあります。
1.肉体の死
心臓停止などで、肉体機能が維持出来なった時点が「肉体の死」です。
「肉体の死」を迎えますと、肉体から幽体が抜けて行きます。
この時点ではまだ、完全に肉体と幽体が切り離されてなく、肉体の蘇生が成功しますと、幽体は元の肉体に戻って来れたりします。
宗教宗派によっては「霊子線(れいしせん)」という細い銀色の糸の様なもので肉体と幽体がつながっていて、この糸はどこまでも伸びる、と言われています。
(「臨死体験」などで語られる幽体離脱の話は、この期間に幽体で見た光景のものです。)
2.宗教的な死
肉体の死後24時間ほどで幽体が肉体から完全に離れます。(「霊子線が切れる」と表現するところもあります。)
この時点が、宗教的な「死」ということになります。
肉体の損傷があまりにもひどい様な壮絶な死に方をした場合などは、時間的に「肉体の死」=「宗教的な死」となったりする様です。
3.幽体での挨拶回り
「四十九日」という言葉がありますが、標準的な人であれば、死後50日前後くらい、幽体のままで、生前にお世話になった人たちへの挨拶回りをします。
ここで問題となるのは、死後の世界を信じていなかった人たちです。
本人は、死後の世界は「ない!」と思っていますから、「自分は死んだ」という自覚がまるでないのです。
人に話しかけても、まるで「いない人」の様に完全無視されたり、壁を自由にすり抜けることが出来たり、何日も食べていないのにお腹がすかなかったり。。。などの、生きているならば絶対に「有り得ないこと」が起きているのに、「これは悪夢を見ているに違いない!」などということにして、自分の死を認めないのです。
こうした人は、あきらめが付くまで何年も、人によっては百年以上も漂ったりしています。
4.幽体→霊体
では、標準的な人に話を戻します。(日本人で死後の世界や、霊の存在を認めている人は過半数以上いますので。)
自分の死を自覚し、一通り挨拶回りも終わりますと、幽体を包んでいる薄膜の様なものが脱げます。
(脱皮する様な感じかも知れません。)
そして「霊体」と言われる、精妙な感じの霊となり、帰るべき場所に帰って行くのだそうです。
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.8
- 回答日時:
勝手な考えですが、僕は同じ人生を歩んでいると思います。
「ここ着たことあるような気がする」とか「この人と会った気がする」というようなことが説明がつく(?)と思うからです。
まあ、正直なところ死んで見ないと分からないし・・・。
死ぬってことを理解するために生きているのかもしれませんね。
僕が勝手に考えて書いたので正しくないかもしれません。
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
No.7
- 回答日時:
貴方の死は今後も存在しません。
死んだ貴方の肉体は既に貴方ではありませんから。それは貴方の形をした肉の塊です。じゃ貴方は何処へ行ったのでしょう・・・宇宙に溶ける・・・おお!私もそう考えた事が有ります。今もそう思う時があります。
今は・・・死んだら誰かになっているような気がします。もちろん
死ぬ前の記憶は有りません。赤ちゃんになるだけでなく、例えば二十歳の誰かに・・つまり私も実はさっきまで誰かだった可能性があるわけです。それまでの記憶は消去されてるし、今の記憶はその肉体が経験した記憶がその脳にあれさすればいい訳ですから20歳から始まっても矛盾は無いと思います。・・・
最近医学が発達してきて、クローンが出来る事が確認され、
遺伝子治療が現実の物となった今、もはやDNAやその人の記憶は自分のアイデンティティーでは無いのでは無いかと思うようになりました。
多分(心)というものは肉体と相互に影響を及ぼしつつも独立に存在
するのではないかと思うのです。で似たような心を持った人とはお互いに近いところに位置(物理的な距離ではなく)して(ひょっとしたら心って複数人で共有してるかも、あるいは人類全体で・・)、その人が死んだ場合、その心の近い人にスッっと成っているんじゃないかなって・・・・
妄想する今日この頃・・・
皆さんご回答ありがとうございました。
仏教の中に力強い生死観が見つかりました。
人間は死ぬと宇宙に溶け込むようです。
その状態は「空(くう)」といいまして、
有るでもない、無いでもない、しかし、厳然と有る状態だそうです。
宇宙自体が一つの生命体で、我々は死ぬと、そこに帰っていく。たとえば、宇宙が大海で、我々はそこに発生する波のようなものらしいです。
たとえば、目の前には各国のいろんな電波がある。
だけど、匂いも無ければ触れることもできない。
無いようだけども有る。
テレビやラジオのスイッチをつければ音や映像が
見えたり聞こえたりするといった具合です。
どうやら、死んだら終わりではないようです。
死んでも、続くらしいです。
多くの人の死に立ち会ってきた看護師さんが言うには、人が死ぬ瞬間に迫ってくるのは、商売でこれだけ儲けたとか、地位を得たとかではなく、
人にどれだけ優しくしたか?どれだけつらくしたか?どれだけ愛したか?
自分の事だけしか考えていなかったか?裏切ったか?
人にどれだけ尽したか?
人を傷つけてはいなかったか?
その真実がグワーーっと迫ってくるようです。
お金とか、地位とか、名誉とかは入る余地は無く、
何の力も、発揮しなくて、
どう生きたかがグワーーーっと迫ってくるようです。
良く生きたと言い切れる人は安らかに死に、その逆の人は苦しむようです。
人間は生きている間に行った事、思ったことが
「業(ごう)」と言いまして、すべて、自分の生命に蓄積されるようです。
その最後の勝負が「死」らしいです。
人殺しをしたり、悪いことをたくさんやった人は
次に生まれてくる時は人間には生まれてこれないとの事です。
そして死ぬと、
その生命の状態で宇宙に溶け込むらしいです。
だから、苦しんだ状態で死んだ人は、
その苦しい生命の状態のまま溶け込むので、
その苦しみがずーーっと続くようです。
ちょうど悪夢にうなされながら、その夢がさめない状態らしいです。
その長さは、永遠とも思える長さだそうです。
安らかに死ねた人は、安らかに溶け込むようです。
どう生きたかの自分自身の結果によって、
どう死ねるか?
どのような状態で溶け込むか?
来世にどういう状態で生まれてくるか?
のすべてが決まるようです。
だから、
良く生きないと大変なことになると思いました。
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