哲学をその人の持つ、宇宙観・世界観・人生観等と定義した場合、例えば仏教の信奉者は、三世の生命観、人生そのものについての因果関係の存在、色心不二などの世界観を持っており、キリスト教の信奉者は天地創造の絶対神、天国の存在などの世界観を持っています(人それぞれではありますが)。
では、科学で発見されたものを「事実」として認識している大多数の人たち(と思います)は、どのような哲学を持って生きていると言えるのか、つまり、科学の哲学的側面というよりも、科学の信奉者の哲学とはいかなるものかということです。
幅があるような気がしますし、そうでもないようにも思います。宜しくお願いします。
A 回答 (21件中11~20件)
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No.11
- 回答日時:
宗教は哲学とは似て非なるものです。
そして宗教は、それ自体が矛盾に満ちたものであり、哲学も基本的には矛盾の解決を目指しつつも、抜本的解決には至らず、試行錯誤の連続です。
科学と宗教・哲学はしばしば矛盾しますが、上記のように宗教・哲学自体が矛盾に満ちているので、単に矛盾が増えただけのことです。
多くの科学者は、その矛盾を他の矛盾と同じように受け入れ、宗教・哲学は何事もなく保持し続けています。
新たな矛盾に耐えられない学者は、新しい哲学を生み出します。
その代表例が、マルクスとエンゲルスの共産主義でしょう。
No.10
- 回答日時:
No.6 の者です
科学が大したものじゃないと書いたわけではありません
科学は恐るべきものです
しかし人間が生きるのに 科学だけ在って哲学・倫理がなかったら
これは偉い事になります
世界が滅びるかもしれません。
科学者が ではそんなに倫理や哲学を持っているかと言えば
大概はその人なりの倫理観を持ってるくらいです
素粒子帝国主義 という言葉がありますが、素粒子が分かればすべてが分かる と言うくらい科学者も哲学を求道しているのです。
思考力と記憶力の問題もあります。
言う人に言わせれば 理数がわからない人が文系に行くと言うくらいです
それは随分問題発言かもしれませんが 哲学が文学部に在るというのは
問題があります。
科学を取り入れる意味でも哲学は理系にも通じるようにすべきです
ちょっとPCがおかしくなって来たので退散しますが
科学は恐ろしいです。文学は興味深い面が多いです。
No.9
- 回答日時:
2
しかしこの事実は、なんとも実に奇妙な人間のタイプを生み出すのだ。
自然に関する新しい事実を発見した研究者は、当然のことながら自己を掌握しているという自分自身に対する自信をもつはずである。
彼が「自分はものを知っている人間なのだ」と考えてもある意味で当然のことであり、事実、彼には、彼にないもろもろの知識と合わせれば真の知識を構成するにいたる断片的な知識がある。
これが今世紀の初頭にその極端に達した、いわゆる専門家の本質的状態なのである。
専門家は自分がたずさわっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく「識っている」が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである。
こうした専門家こそわたしがいろいろの側面と様相を通じて明らかにしようと試みてきた新しい奇妙な人間の実に見事な一例である。
わたしは先に、こうした人間の形成は歴史に先例がないといった。
専門家は、この人間の新種をきわめて具体的にわれわれに示してくれる好例であり、新種のもつ根本的な新しさを余すところなく明示してくれるのである。
かつては、人間は単純に、知識のある者と無知なるもの、多少とも知識がある者とどちらかといえば無知なるものの二種類に分けることができた。
ところが、この専門家なるものは、そのいずれの範疇(はんちゅう)にも属しえないのである。
彼は、自分の専門領域に属さないことはいっさいまったく知らないのだから、知者であるとはいえない。
しかし、かといって無知者でもない。
というのは、彼は「科学の人」であり、彼の領域である宇宙の小部分はよく知っているからである。
われわれは彼を知者・無知者とでも呼ばねばなるまい。これはきわめて重大な問題である。
というのは、この事実は、彼は、自分が知らないあらゆる問題において無知者としてふるまうのではなく、そうした問題に関しても専門分野において知者である人がもっているあの傲慢さを発揮するであろうことを意味しているからである。
そして事実、専門家の態度はその通りなのである。
彼は、政治、芸術、社会慣習あるいは自分の専門以外の学問に関して、未開人の態度、完全に無知なる者の態度をとるだろうが、そうした態度を強くしかも完璧に貫くために──ここが矛盾したところだが──他のそれぞれの分野の専門家を受け容れようとはしない。
文明が彼を専門家に仕上げた時、彼を自己の限界内に閉じこもりそこで慢心する人間にしてしまったのである。
しかしこの自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門以外の分野においても支配権をふるいたいという願望にかりたてることとなろう。
かくして、特別な資質をもった最高の実例──専門家──、したがって、大衆人とはまったく逆であるはずのこの実例においてすら、彼は生のあらゆる分野において、なんの資格ももたずに大衆人のごとくふるまうという結果になるのである。
研究者だけでなく、組織に属する人間も「専門家」の集まりですね。
つまり、主義、主張を持たない類の人達で、上手く使えば使い勝手がとても良いと言えます。
No.8
- 回答日時:
実験科学は十六世紀の末に始まり(ガリレオ)、十七世紀末に体系化をされ(ニュートン)、十八世紀の中葉から発展を開始した。
あるものの発展は、その形成とは別のことであり、別種の条件に服しているのである。
たとえば、実験科学の集合名詞である物理学の形成にあたっては、総合統一への努力を必要としたのであり、ニュートン及び彼の同時代人の仕事はその総合への努力であった。
しかし、物理学の発展は、総合統一とはまったく逆の動きを要求した。
科学が発展するためには、科学者が専門化する必要があったのである。
ただし、あくまでも科学者であって科学そのものではない。科学そのものは専門主義的なものではない。
もしそうならば、科学は事実上真実のものではなくなってしまうであろう。
実験科学を総体的にとりあげたとしても、それを数学、論理学、哲学から分離してしまえばもはや真ではありえないのである。
ところが、科学に関する労働は──不可避的に──専門化せざるをえない性質のものなのである。
物理学や生物学の歴史を、それらに従事している研究者の仕事がますます専門化する方向をとっている過程を中心に叙述してみることは、きわめて興味あることであり、一見したところよりはるかに有意義なことだろう。
そうしてみれば、科学者が一世代ごとにますます狭くなる知的活動分野に閉じこもってゆく姿が明らかになるだろうからである。
しかしわたしが提唱した歴史的記述がわれわれに教えてくれる重要なことはこのことではなく、どちらかといえばその逆のことなのである。
つまり、科学者が、一世代ごとに自分の活動範囲を縮小してゆかなければならなかったために、徐々に科学の他の分野との接触を失ってゆき、宇宙の総体的解明から遠ざかっていった過程である。
ところが、この宇宙の総体的解明こそが、ヨーロッパ的科学、文化、文明の名に値する唯一のものなのである。
専門化傾向が始まったのは、まさに、「百科全書派」的人間を文明人と呼んだ時からであった。
十九世紀は、すでにその創造活動は個別化の性格を帯びてはいたが、いまだに百科全書的に生きていた人々の指導のもとに自らの運命を歩み始めた。
ところが次の世代には、すでに重心が移動してしまっており専門化傾向が個々の科学者から総合的文化を追い出し始めたのである。
そして第三の世代がヨーロッパの知的指導権を握った一八九〇年になると、歴史上前代未開の科学者のタイプが現われた。
それは、分別ある人間になるために知っておかなければならないすべてのことのうち、一つの特定科学だけしか知らず、しかもその科学のうちでも、自分が積極的に研究しているごく小さな部分しか知らないという人間である。
そして、彼は自分が専門に研究している狭い領域に属さないいっさいのことを知らないことを美徳と公言し、総合的知識に対する興味をディレッタンティズムと呼ぶまでになったのである。
ところが、彼らは自分たちの狭い視野の中に閉じこもりながら、現実には、新しい事実を発見し、彼らがほとんど知らない彼らの科学を発展させ、それによって、彼らが意識的に知らない思想の総体を発展させたのである。いったいどうしてこんなことが可能だったのであり、また現に可能なのだろうか。
ここで、次のような否定しえない奇怪な事実を強調しなくてはならない。
すなわち、実験科学の発展は、その大部分が驚くほど凡庸な人間、さらには凡庸以下の人間の働きによるものであったということである。
つまり、今日の文明の根源であり象徴である近代科学は、知的に優れていない人間をも歓迎し、彼が立派に働くことを可能にしたということである。
それを可能にした原因は、新しい科学とその新しい科学が指導し代表している全文明の最大の利点でもあり同時に最大の危険でもあるもの、つまり、機械化にある。
物理学や生物学において行わねばならないことの大部分は、機械的な頭脳労働であり、それは誰にでも、あるいはそれ以下の者にでもできる仕事なのである。
科学を小さな断片に分割し、その一片の中に閉じこもって他をいっさいかえりみないというやり方をとれば、無数の研究分野が生まれてくる。
方法の正確さと確実さが、こうした知識の一時的・実際的な分割を可能にする。
研究者はそれらの方法の一つを機械のようにあやつって仕事をすればよいのであり、それらの方法の意味や根拠を厳密に知らなくても、きわめて豊富な結果を得ることができるのである。
かくして、科学者の大部分は、巣箱の蜂窩にいる蜂のように、また溶鉱炉の地下室に入った火夫のように自分の研究室の小さな一室に閉じこもったままで、科学全体の進歩を後押ししているのである。
ホセ・オルテガ・イ・ガセット(Jose Ortega y Gasset)
ガゼット、19世紀の生まれの哲学者ですね。
大いに賛同しますね。現代文明の根っこの一つですね、これをたたき切らないといけないのですが…
No.7
- 回答日時:
ちょいとズレた回答になるかも知れないけど、いつもの事なのでお許し下さいね
科学信奉者てな言葉から
ワシは該当しないからズレた回答にはなるけど
科学信奉者なのかとおもったりしてしまう事柄でね
アイコスなんかを利用してる方を見かけると( ̄~ ̄;)不安とかないのかなぁ~
とはとは思いますよ
紙巻きタバコって、体に悪いとは言われてるけど
それなりに歴史があって
まぁ~好きなタバコで死ぬのも本望、なんてな強がりを言ったりするけど
電子タバコ( ̄~ ̄;)
紙巻きタバコより害が少ない、なんてな売り込みで売れてるけど
まだまだ歴史が浅くて、ネットなどで騒がれてる危険性なんかを考えると
科学を鵜呑みに出来ないんですよね
ちょいと前まで騒がれてた
遺伝子組み換え食品てのも
( ̄~ ̄;)
まぁ~食い物は旨かったら
それでいっか!
みたいな気持ちで食べたりするけど
選択できるなら
遺伝子組み換え食品はさけますけどね
都市伝説的な話にはなるけど
品種改良から種のない食物ばかりを造り出して、種のない食物ばかりを食べてるから、男性の精子が減少傾向にあるとかも
言われますもんね
農薬にかんしては
こればっかりは国の基準(科学)を信じるしかないから
無農薬にこだわるほど、高所得でもないからね
そういった事柄を考えてみると
国の基準を信じるしか
ないんだろうなぁ~
とはとは思いますよ
科学の何をしんじるのか?
基本的には歴史と国の基準なのかと
思いますよ
科学信奉者てことだと
これからの時代のファイブGにおける
人体への影響なんかは!
何を信じたら良いのか?( ̄~ ̄;)
まったく解らない話ですね
科学の信奉者とは、文明の信奉者と言えるかなと。
つまり、現在の消費文明の中で販売されている商品というものは、最新の科学技術で作り上げられたものであるから、素晴らしく価値の高いものであると、
いう刷り込みがあって、それは大企業の大々的なイメージ広告等によるものであると思います。
私らみたいに素直でない人間には(笑)疑わしいことなのですが、そういう素直な人たちが多いから、大企業がホクホクしているわけです。
先日紹介した堤未果さんは、日本の農薬に関して強烈な発言をしています。また、岡庭昇という人がいて、30年ほど前なのですが、やはり農薬や食品添加物についての強烈な批判の本を出版しています。彼らは極めてリスキーな仕事をしている本物のジャーナリストだと思います。
しかし、今の特に若い世代は、何の不安感もないのね。
No.6
- 回答日時:
科学が事実とは限りません。
測る事と実験して証明することが科学の特徴ですが科学は生物学とかも物理学もコロコロ変っています
M理論とかブラックエネルギーとか今になって言い出したり
証明できていないものが根拠に成っているのです
ビルを建てるのに相対性理論とか考えるのでしょうか?
ニュートン力学で考えるのでは?
相対性理論は間違っているという本も沢山の連名で出ています
私は相対性理論は理解できませんでした。
何か騙されたような気がするのです
相対性理論で核兵器が作られました、しかしニュートン力学で
我々の街は出来ているのです。
さあこれからどうなるかという科学です。
子供が転がしても雪だるまや泥団子は出来るのです。
No.5
- 回答日時:
No.4です。
先ず一つに、質問者様は既に長く哲学カテで質問・回答を続けておられる方なので、ご自身の中である程度細分化出来ると思います。
brage、、、氏の様に、細分化し過ぎたり、勝手に概念を作り出す必要性もないとは思いますが、もう少し立て分けて質問を立てられると良いのではないでしょうか。
特に【哲学カテ】では、些細な言い回しや言葉が、大きな隔たりを持てば自ずと目指すような回答は得られないと思います。
依って、この質疑に対する回答については、これで最後にしたいと思います。質問者様が、理解されている範囲で良いと思いますから、キチンと物事を立て分けての質問を望みたいと思います。
そうでないと、【哲学カテ】での議論は出来ないと思います。
他のカテではどうでも良い事なのですが、哲学カテというのはそれくらい繊細な配慮が必要だと思います。質問する側も、回答する側も。
仰ることは納得します。
今現在、ここには哲学専門に研究をしておられる先生はいないと思います。大学に行ったりして勉強熱心な方々はいらっしゃるようですが、私も含めてズブの素人がほとんどであると思います。
ですから、専門的に細分化した話題よりも、広い構えの質問のほうがいい答えを得られると思っていて、質問も100を超えましたが、事実そうであったと思っています。
また、この傾向は私の好みでもあり、議論よりも対話がここでは相応しいと考えているからでもあります。今のところ。
No.4
- 回答日時:
No.2です。
>「人間の幸せのため」とは「言い切れない」、この「言い切れない」という言い方、ですね。
>この言い方の曖昧さが嫌ですね。
①.人間というものを理解していないのに、「人間の幸せのため」なんて事はありえないという事です。
②.「人間の幸せのため」と言いながら、実は人間の幸せのためにならない宗教・思想は沢山あるし、科学とて全てが人間の幸せのためにある(存在する)わけではない。
③.質問者様が『善的思考』を基盤に質問を展開する中においては、「人間の幸せのため」という事が言えてしまうのかも知れませんが、宗教・思想・科学の全てが『人間の幸せのため』なんて事はありえない。
①科学的思考法では、人間というもの、あるいは人間の幸せ、などということは定義できないと思いますが、哲学的には、まずそれを定義して、そこから論じるということができると思います。
②現実はそうであることが多い、ということですね。その通りだと思います。
③確かに私はある仏教哲学を信奉していて、そこに説かれる宇宙観・世界観・人間観をもとに哲学的定義をし、様々論じるときは論じています。
その、定義と定義のぶつかり合いが哲学的議論であると考えています。そこに感情論やら様々な論法が入り混じって錯綜としているのが現実であり、そこをキチンとできるようになることが私の目標の一つでもあります。
No.3
- 回答日時:
No.2です。
補足に対する回答です。
>科学と宗教は「目的」というか「対象の分野」が違う
全く違うかと言えば、そうではない。
宗教が説くものを、科学が解明できているかと言えば、それは甚だ隔たりがあるだけで、全てのベクトルが異なっているわけではない。
ただ解明されていない物の方が、はるかに多いというだけ。
また、逆に言えば、『宗教』と一言で言っても、宗派によって教え・教義(言っている事)は大きく違いがあるために、『宗教VS科学』と宗教を宗教として一色単に扱う事もどうかとは思います。
※質問者様の質問文の中に『色心不二』が出されていますが、この色心不二にしても仏教(宗教宗派)に共通されるものではありません。
要するに、人間生活の根底にある宗教によって、人の考え・習慣は大きく異なるものである。
科学に限らず哲学者なども、『何らかの』宗教・思想をバックグランドに持っているのだから、そうしたところを踏まえた上でなければ、その人が“哲学”を通して何を訴えたいのかも正確には把握できないと思います。
>全く違うかと言えば、そうではない
文系の科学ではそうと言えますね。
宗教の教え・哲学はそれぞれ大きな違いがあることは知っております。宗教の教え・哲学を一括りにしての質問ではなく、信奉することで括っての質問です。
宗教を信奉する人、科学を信奉する人の二種類の人しかいないと思っているわけではなく、そのバリエーションは様々であるでしょう。その中で特に科学を信奉していると自覚している人達のバリエーションを知りたいということで立てた質問です。
No.2
- 回答日時:
No.1です。
>人間の幸せのために存在する、、、
とは、言いきれないでしょう。科学・宗教においても、『人間の幸せのため』とは言い切れない。
>「信ずる」という点において、、、
科学の場合、証明されたもの、解明されたものについては、『信じる』のではなくて『確定』なのです。ですから、宗教・思想における『信じる』とは同位ではない。
>科学・宗教においても、『人間の幸せのため』とは言い切れない
!?
目的の設定はいかようにもできましょうが、「人間の幸せのため」とは「言い切れない」、この「言い切れない」という言い方、ですね。
この言い方の曖昧さが嫌ですね。
「人間の幸せのため」が不動の第一目的であり、それに付随するものはいくつもある、ということであれば異論はありませんが、どういうことでしょうか?
それから、質問文をよく読んでいただきたいのですが、科学の限界を認識している科学者ではなく、「科学の信奉者」について問うています。
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