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哲学をその人の持つ、宇宙観・世界観・人生観等と定義した場合、例えば仏教の信奉者は、三世の生命観、人生そのものについての因果関係の存在、色心不二などの世界観を持っており、キリスト教の信奉者は天地創造の絶対神、天国の存在などの世界観を持っています(人それぞれではありますが)。

では、科学で発見されたものを「事実」として認識している大多数の人たち(と思います)は、どのような哲学を持って生きていると言えるのか、つまり、科学の哲学的側面というよりも、科学の信奉者の哲学とはいかなるものかということです。

幅があるような気がしますし、そうでもないようにも思います。宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 科学と宗教は「目的」というか「対象の分野」が違う

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/11 12:27

A 回答 (21件中21~21件)

>科学の信奉者の哲学とはいかなるものかということです。



証明できないもの(解明できないもの)は信ずるにあたいしない。
即ち、科学と何らかの方法・手法で特定もしくは解明できたものを言う。

また、科学と宗教というものを同次元で捉える事も、誤りだと思います。
科学者とは言え、自身は特定の宗教を信奉している場合もあります。
『私は○○教の信者であるが、職業は研究者である。』といったような事です。それは、様々なケースに存在すると思います。


もう少し、質問者様の思考の中身を整理されると良いと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

科学と宗教とは、目的が違うということで、どちらも人間の幸せのために存在するという意味では、同次元で把握することも可能であると考えます。

科学者というものは科学的事実を信奉しているとは限りません。と言うよりも科学の限界をよく認識しているものです。ですから、特定の宗教を信奉している場合がある、と。

ただ、ここでは、あえて申し上げれば、科学の信奉者も宗教の信奉者も、その
哲学(質問文の定義で)を「信ずる」という点において同じではないかということをテーマにしているつもりです。

再度のご回答をお待ちしています。

お礼日時:2021/02/11 12:14

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