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ジグムント・バウマンという社会学者がこんなことを言います。
「アイデンティティとは結局のところ、自由と安心の間で葛藤することである」
刺激と退屈の間とも言い換えています。
刺激(新しい何かを求めること)は魅力的ですが、不安もつきまといます。変化(新しいこと)がないのは退屈ですが、状況が悪い方向へ変わってしまうことへの不安は出てきません。バウマンは、自由と安心は両取りできないと言うのです。
私はこの話を聞いてかなりしっくりきたのですが、みなさんのこの話への感想を聞いてみたくなったのでスレッドを立てました。
どう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

ピントはずれかもしれませんが参考までに



「アイデンティティとは結局のところ、自由と安心の間で葛藤することである」
は、(1)アイデンティティを意識する思考場面は どのような場面か、(2)アイデ
ンティティの定義は何か を問うていると思います。 が応答をみますと(1)と
いうことでしょう。しかし、(2)も重要と思い 敢えて答えさせてもらいました。

(1)は アイデンティティは 何に帰属しようが 帰属意識は 普通に安定して
維持されているという状態にあると思われます。不安定なものなら 自由か
安心かの選択場面でアイデンティティを意識しても 何も役立たないと思いま
す。
安定したアイデンティティを持っているなら 自由か安心かの選択場面では 
アイデンティティはより意識されると思います。
では すべて自由な場面ではどうか 多くのリスクなことが予想されます。
よりリスクではあるが より自由でもある ことを選択する場合です。判断基準
の拠りどころとして 強くアイデンティティを意識するとおもいます。
ではすべて安心の場面ではどうか 何を選択してもリスクなしです。アイデンテ
ィティを意識しても あまり意味はないと思います。
結局アイデンティティ意識レベルは、自由>自由か安定か>安定 ではないで
しょうか。

(2)は 人夫々ではないか と思われます。私の場合は 高校まで過ごした ふ
るさとの コミュニテイ社会の歴史的文化と思っています。相互扶助と地域の発
展です。それがベースになり、地域であり ひいては日本であり、世界につなが
ったものになる と思っています。
これは 人によります。例えば、宗教に依る場合もあるでしょう、哲学として纏め
られたものもあるでしょう。何であれ 安定したモノでないと 個人の中では機能
しないと思うのです。安定したアイデンティティのもとに生きる原則が生まれ そ
の原則にその人の哲学が生まれていくのではないか と思うのです。もちろん、
人それぞれであって 何事にも自由である というアイデンティティをもつ あるい
は 自由か安定か悩む中にこそアイデンティティがあるとという人もいると思いま
すが。

以上、失礼しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アイデンティティの意識レベルが自由を求める時>自由安心間で葛藤する時>安心を求める時というのは言われてみればそうかもしれません。
…そういえば。バウマンも「帰属が自らの運命であって他に選択肢が無い人々にとって、アイデンティティは問題とはならないのです」と述べていました!

バウマンは「各人が自分の利害を考えなくても団結できる温かい場所」をコミュニティと呼び、そのようなユートピアは各人の利害の対立により不可能になると述べていて、最後に「現実世界でコミュニティが可能だとすれば、それは各人が他者の幸福に責任を持つコミュニティである」とまとめます。
私はバウマンの指摘に落ち込みながらも、一生みんなで砂場遊びに没頭するのも無理だよなあ、などと考えています。
ok9608さんは、人が利他的になるには何が必要だと思いますか?
私は「他者から十分に愛されること」だと考えているのですが。

お礼日時:2012/03/27 05:07

No.10です。



パパラッチは間違いです。ポトラッチが正解です。
うっかりミスですみませんでした。
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この回答へのお礼

ええ
一瞬何の事かと思いました(笑)

お礼日時:2012/03/28 11:56

No.9です。



「お礼」ありがとうございました。以下 脱線します。 

コミュニテイが破壊される原因の一つに戦争があげられと思います。
経済の行き詰まりを打開するために大量殺人の戦争が始まるのです。
殺人も平気でおこなうという人間DNAがあるが如くにです。しかし、現
代の考古学、生態学が明らかにしたものは 人間は相互扶助なし(最
初に、子供の誕生には他人のたすけがいります)には 生きていけな
い生き物であって そのようなDNAをもっている ということです。殺人
DNAはもってないのです。これは 後付の金儲けと同様悪知恵なので
す。

お尋ねのどうすれば利他的になるにはですが 私は持って生まれた相
互扶助DNAを意識することではないか と思います。金もうけ の逆の
他人に与えてナンボの社会です。パパラッチ(贈答社会)の精神です。
吉本隆明も 戦争をなくするには一つの答えは贈答社会である とか
言っておりました。また先日のNHK TVの「ブータンは世界一幸福の国」
でも パパラッチはいたるところに見られました。

そうは言っても現実問題、金儲けをしないと生きていけないのです。金儲
けをしながらの贈答は なかなか難しいと思います。贈答を 物品のみと
考えるか +精神をかんがえるか 人それぞれでしょう が 私は他者の
評価は気にせず 後者(医療関係)で考えています。

以上 失礼しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

医療機関、ですか。恐らく私は貴方の想定するものよりもさらに親密なコミュニティを想定してしまっていますね。
平和に生きていけるだけの社会さえあれば、人間はそこからは自力で幸せになれる生き物だという考えの方だと推察致します。
私は今自分の事で精一杯ですので、コミュニティを自分の利害関心として考えてしまっています。
早くでかい人間になりたいです!

お礼日時:2012/03/27 16:10

ジグムント・バウマンというひとの「アイデンティティ」の定義ですが



時には悩む平凡な人格 ということでしょうか。

それなら判るような気がします。

相当シンプルな人間観というか世界観のような気がします。
でもいろんなことがそれから導けそうな気がして面白いですね。
デモ隊に「黙って引き下がれ!」といっているような気もしますが。
それで
バウマンの結論は、世界には安心な場所などどこにもないといっているのでしょうか。

悲観論ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうです、バウマンは悲観的です。「アイデンティティには限りがない」と言っています。

お礼日時:2012/03/25 21:37

ホームレスだから安心も自由も金もない。

私はアイデンティティがないってことだな。

もうだめだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
バウマンは社会的に排除された人をテーマに本を書くので、読んでみるといいかもしれません

お礼日時:2012/03/25 21:38

わが非思考の領域にある志向性を察するにあたり、気分の良いあるいは不安な気分、また、肉体に起きる変化、たとえば偽りによる肩の凝りなどをもって、おもんぱかるならば、われは、みまごうことなく人間なり。

しかも神々と、そう遠くはないことを知る。これが神々から授けられた、自由な個性であり、原理主義的な思考であるともいえるかもしれない。

グローバル化された現代社会において、社会的生命としての、われを考えるとき、すでに液状化してしまった社会構想に、沿うかたちでの個性を示さなければ、時代錯誤となり、非生産的な原理主義への回帰とも受けとられかねない。しかし、社会構想に沿うかたちで個性を模索するならば、それはしばしば、没個性になりかねないという逆説的な現象としても、みてとれるのではないだろうか。

古き良き時代という確固たる社会構造に置かれていたならば、それに沿うかたちでの個性のあらわれとして、われに決められた個性を甘受することもできたであろう。それが世襲制であり、ヒエラルヒーであり、カーストともいふべきものであったにちがいない。

今まさに重度のグローバル化をするにあたって、日本はその本来の個性を示さなければならない。それは相手の望みを理解することであり、またこちらの望むことを理解してもらうことである。それはすなわち、『モテる』ということにほかならない。

ちなみに私はモテません。バレンタインチョコほしいです。(- e -)
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この回答へのお礼

面白い回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/03/25 21:41

 アイデンティティってどういうこと?なんて考えてみようと時々辞書を引くのだけれど、やっぱり解からないと頭の悪さを嘆いてきましたが、この質問を通してトライしてみました。



 質問に使われている言葉を用いて表現すれば、
 刺激を求める心も、安心を求める心も「私」ですよね。
 その「私」が時には刺激を求め、時には安心を選ぶ。

 「私」の“思い”が変化して表れるわけで、その発生元の「私」が変わったわけではないとするならば、「自由と安心の間で葛藤する“こと”」ではなく「自由と安心の間で葛藤する“私”」と言ってみたい。

 “こと”は「私」を見つめるための判断材料だと思うから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

素敵な言い方ですね!
言われてみれば「私」が変わるわけじゃないですね。

アイデンティティに興味があるんですか!
アイデンティティ研究の第一人者にエリクソンという学者がいるので、読んでみるのもいいかもしれません。

私はエリクソンに「青年期は性的衝動が学問やスポーツなどへの没頭に“代替される必要がある”」と見抜かれてしまいましたので、yy8yy8azさんもまだ気付いていない本当の自分を知ることができるかもしれませんよ。

お礼日時:2012/03/24 09:12

 No,2です。


すみません。くくりが大雑把過ぎましたね(笑)
因みに私が属する「文化」は
1位「音楽」2位「映画」3位「本」
4位「アウトドア」5位「ビリヤード」等です。
それぞれ、Jazz,Rock,Reggae,Classic。キューブリック、
ベルイマン。「文学」「哲学」「精神分析」「数学」。
「バードウォッチング」「フライフィッシング」等に
分かれて行きます。
それらの比重を含めた「総体」が私の「アイデンティティ」だと
思っております。(つまり、全く同じ人間はいないという意味で)
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この回答へのお礼

なるほど!
私には合わない考え方です…(笑)
文化をファッションのように扱う感じがして!

でも面白いですね。
私は「自己の内部にアイデンティティを求めるべし」という固定観念に囚われているのかもしれません。

お礼日時:2012/03/24 08:39

 田舎道は 赤信号でも 車が通らないし見晴らしがよいので 不安なく 自由に横断できる。

都会では 青信号でも 車が通るかもしれないので 不安で 不自由な横断になる。交通量の刺激を私は求めない。そう思う自由がある。しかし交通量の刺激はそんな私にとって不自由なことである。

 状況が悪いほうに変わってしまうことが不安ならば,状況が最高の人はさぞかし不安だろう。状況が最悪の人はよい方向にしか変わりようがなく,不安はないはずだ。だが実際は反対のような気がする。
 どちらにでも自由に変われるというなら悪いほうを選択しなければよいのだから安心だ。自由に変われるならほどよい状況とそんなに悪くない状況の間でほどよい刺激とほどよい退屈を得たい。自由によってそれが実現するはずだから安心となる。自由は安心に結び付くと思う。不自由だとそうはいかない。不自由は不安に結びつく。

 バウマンの言っていることが分からない。しっくりこない。自由を選択すると必ず不安が付きまとうものだと決めつけているようだ。自由は安心につながることを排除してしまって,それを前提に言うのだから自由と安心は両取りできないと言うしかないのだ。刺激を求めるだけが自由ではない。自由は退屈をも求めるものでもある。

 自由に求める将来の事柄に対して,退屈と刺激の度合いに関して,不自由がそれを過度にしてしまわないかという不安と自由によって適度にできるという期待が入り混じって葛藤することはある。アイデンティティは結局のところ,不安と期待との間で葛藤する仕方なのか。いってみれば悲観的なアイデンティティと楽観的なアイデンティティとの区別だけで,陳腐な物言いだ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言葉足らずですいません。バウマンが指摘するのは、アイデンティティのある側面であって全てではありませんよ。

お礼日時:2012/03/27 05:50

全ての決断にリスクが付き纏うという意味でその通りだと思います。


ただ、私は「何かを失わずに何かを得ることは出来ない」
と言う表現の方を好みます。
何か潔さをより感じます。
 後、私にとっての「アイデンティティ」の定義は
自分が属する「文化」だと思っておりますので
「自由と安心の間で葛藤すること」とは
直接には結びつかない気がします。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
文化、ですか!面白いですね。
一例を教えて頂いてもいいですか?「侘び」とかでしょうか。

お礼日時:2012/03/24 05:00

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