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QAとして祝詞を唱えたら内または外のなにがどう変わるのですかとの問いに複数の回答者さまはなにもとくにかわらないと返答されました。ならば、そこを踏まえて、神社など、昇殿参拝などありますが、神主さんに、祝詞をあげていただきお祓いなどをうけることで、わたしたちは、あのような儀式のなかで、なにを授受しているのでしょうか。お教えください。

A 回答 (8件)

シーラさんは、下の文章で、《わたしたち》をどのような範囲で考えているのでしょうか。

 

> ならば、そこを踏まえて、神社など、昇殿参拝などありますが、神主さんに、祝詞をあげていただきお祓いなどをうけることで、わたしたちは、あのような儀式のなかで、なにを授受しているのでしょうか。お教えください。

《わたしたち》を、「昇殿参拝などして、神主さんに、祝詞をあげていただきお祓いなどをうけたという経験をした人達」という意味で使っているのですか。
「昇殿参拝などして、神主さんに、祝詞をあげていただきお祓いなどをうけたという経験をした人達」を100人集めて調べても、100人が同じようなことにならないくらいなことは、単純に予想がつきませんか。

神社本庁のサイトで次の説明があります。
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/goki …
特別なご祈願や、社殿に上がって参拝する場合(昇殿参拝)には、神社に申込みをする必要があります。
神社に着きましたら、まず社務所(神社の事務所)または授与所(お神札やお守りを授与する所)に初穂料を差し出し、所定の用紙などに住所、氏名、ご祈願の内容(願い事)を書いて参拝の申込みをしましょう。申込み受付を済ませると、神職または巫女が社殿にご案内します。ほどなくして、ご祈願のお祭りが始まります。
元来、神社では国家の安全や風雨順時、五穀豊穣など、公共性の強い祈願を行っていました。一方現在のような個人のために行う個人祈願は、平安中期頃の陰陽師による陰陽祓の活動によって始められたと考えられます。これが神道信仰のなかに入ってくるのは平安後期頃のことで、御祈祷師の活動によるとされています。それ以来、個人祈願は歴史的に様々な変遷を見せながら、現在のように神社の神職によるご祈願が一般的な形になっています。その内容は合格、安産、病気平癒、商売繁盛、寿命長遠、子孫繁栄など多種多様です。

一人で神社に行って昇殿参拝の申し込みをしている人もいるのでしょうが、数人程度の団体で昇殿参拝していることも多くあり、そのメンバーの中には「付き合いで」程度の気持の人も少なくないです。
こういう習俗への付き合いは、「団体行動をすることで仲間であることの再確認」という意味合いが多いです。 もちろん、中には、裏切りや敵対意識を抑えつつ表面上、団体行動を共にして、現状では本意を隠すことを目的にしている場合もあります。
昇殿参拝しても、神や祝詞やお祓いなどと関係あるとばかりはいえないのです。
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ハッキリ言って、気休め!何の役にも立たん儀式まあ―金儲け!それでも気分的に良くなったかなと思えば微妙に役に立つ、ノー天気な人、縁起を担ぐ人、桜が大半!絵的には使える。

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所謂神を 無視して、


何を しても、

全てば 愚かな、
空事な だけだろ?

違うか?


所謂神と、

向き合って 対話しながら、

又は 所謂神自身が、
何かを すれば、

当たり前に 何かが、
なされる、
可能性が ある、

至極 当たり前なだけの、
話しだろ?


なのに、

何故 君は、
所謂神を 蔑ろに、
できる?


何故、

其の 存在の、
有り様を、真意を、
居るか 如何かを、

蔑ろに しつつ、
信仰を 語る?


何故、

所謂神所か 神の類いすらをも、
感じすら 出来ない、
もの達の、

タブロイド誌並みの 風評ばかりを、
参照する?


所謂神と、

正しく 向き合えて、
いるか?

対話できて いるか?


なんちゃってで、

何を しても、
無意味なのは、

触れるまでもない 事だよな?


其れ、

抑もの 論点からして、
間違えてないか?


元より、

誰も 居ない、
所に 声掛けしても、
何も 起きないし、
返答もない 事位は、
判ると 思うのだが、

どうだ?
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神主さんが 神様に取り次いでいるのです


どこそこに住む誰それというものが、ご機嫌伺いに来ております
今回はこのような願いがあり 本人の精進努力は当然ながら 大御神様の 御功徳をもちまして迷いました時に御力を頂戴したいと、ここに 拝謁しております
と唱えています。
この事を1ヶ月神主さんが神様に毎日頼んでくれて 1万円半年で3万円
という手数料が祈祷料です
100円程度でだれも頼み事なんて聞きませんが
毎日毎日 ねーあれかってよ
とねだられたら まぁ 品物だけでも見に行ってやるか
と思い輿を揚げるでしょ
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すべては各々の心の中の問題だと思ってます。



何も意味が無いと考える人にとっては「何の意味も無いのでしょう」
何かしら意味があると考える人にとっては「心の整理に繋がり、結果的に心の中がスッキリします」

すべては人の心のありようだと思います。

どんなに恵まれていても心が荒んだ人は、愚かだと思います。
その逆も然り。

 一番大事にしなければいけないのは「自分の心」だと思ってます。
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まさに「信じるものは救われる」



昇段参拝する人は信じているのです。
だからお祓いを受けることで心安らかになり救われる。

「救われる」とは心が落ちつき、日々の生活にポジティブになれること。
結果的に自分の問題に積極的に取り組み、よい結果をえる可能性が高くなる。

神仏から何か実質的なご利益を貰うわけじゃないです。
自分で自分の福を招くことができるようになるのです。

信じない人は、そもそも昇段参拝しないし、しても信じてなければ何も変わらないです。
だからといって、信じない人が不幸になるわけじゃないです

なぜなら神仏は具体的な何かを人に与えるわけじゃないからです。
与えもしなければ奪いもしません。

救われたい人は信じて、神仏に救われた気持ちになればいい。
信じない人は、自分で自分を救う方法を持っているのです。
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マスクをしてコロナ退散の祝詞をあげるのが


どこかヘンだとは思いませんか?
神社自らがその力をあまり信頼していないようなものです。
儀式はその程度の効き目だと受け取るほうがいいでしょう。
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>神主さんに、祝詞をあげていただきお祓いなどをうけることで、わたしたちは、あのような儀式のなかで、なにを授受しているのでしょうか。

お教えください。

 心の安らぎです。
 個々の人の心の中の問題なので、「何のメリットも無いよ」という人の考えはそのとおりですし、「これで安心、神様が守ってくれる」と思えば、これもそのとおりでしょう。宗教とはそのようなものです。
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