アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

家に仏壇があり、毎朝お線香をあげて手を合わせています

命日、お正月、お盆、春と秋のお彼岸にお墓参りに行きます。

仏壇の位牌に故人の魂が宿るなら、お墓には遺骨があるだけとなってしまいます。

お墓では遺骨に手を合わせているのでしょうか。

仏壇にお参りすることと、お墓にお参りすることの意味を教えてください。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    位牌に開眼供養を行って魂を入れると聞きました。
    位牌に魂があるなら、お盆にご先祖様が帰ってくるとはどういうことなのか。
    魂とはご先祖様の魂ではないのか。
    正しいかどうかは別として、仏教の教えとして、どのように説明されているのか疑問です。
    色々なサイトを見ても、よく分からない中途半端な説明しかないんですよね。

      補足日時:2021/03/01 23:08
  • うーん・・・

    お盆にはご先祖様が浄土から帰ってくるのでお迎えする。
    位牌には開眼供養を行って、故人の魂を込める。
    矛盾してますよね。
    ご先祖様はいつもどこにいるのでしょうか。

    成仏して浄土にいる、お盆には帰ってくる。というのは分かりやすい。
    開眼供養が分かりにくくしていますよね。
    位牌に込めた魂って何のことでしょう。
    位牌はご先祖様を思うためのもので、遺影写真だっていい、ということなら分かります。
    偶像崇拝でもいいです。
    お墓も、魂はそこにはないけど、大切な遺骨を納めた場所だからお参りしましょう、というなら分かります。
    お墓も納骨のときに開眼供養しますよね。位牌と同様に魂を込めるそうです。
    魂はどこにあるのでしょう。

    批判しているわけではなく、
    宗教によって考えが違うのは全然かまわなくて、どっちが正しいとかいうことではなく、
    仏教の教えはこうなのだ、ということが知りたいだけです。

      補足日時:2021/03/03 18:41

A 回答 (9件)

返コメ拝見しました


> 開眼供養とは何なのかと調べると、それによって故人の魂が宿ると
> 故人の魂が位牌(またはお墓)に宿る、そのための儀式だと
だれがそんなことを述べているのか知らんですが No.6をよみ返して
ください お寺さんも魂抜き 魂入れ つってますが、みな方便ですよ
ようするに聖別の儀式なのです 物品を聖別することは、なにも仏道
だけではありません たとえばカトリックでもやることです
わたしが受戒したさいには師僧さまから血脈以外にも物品をたまわり
ましたが、すべて聖別された品ゝです ちなみにブランド受戒でなくて
菩提寺のご住職を師僧さまとしました 本来あるべき受戒です

お位牌に お仏壇に お墓に あちらへこちらへと忙しくご先祖が滞在
する それ変でしょ 故人はお浄土 もしくは托生して現世です
お位牌も お仏壇も お墓も 共通の対象に結ばれた精神的なゲート
だとお考えになったほうが、わかりやすい
    • good
    • 0

補足コメ拝見しました


No.5 および No.6 の回答者です いま一度よみ返してください
わたしは長年月を複数箇所のお寺に参禅してきて仏道好きが
嵩じて、しまいにはお寺に長期間 勤務していました ふつうの
人らが一生に出会うお寺さんの人数とは桁が違うお寺さんらと
会話をしてきた者ですし現場にたずさわってまいりました

浄土系では仏さんは西方浄土にわたってしまっています 行き
っ放しです この世のどこにもいらっしゃいません 行ったり来た
りフラフラ彷徨するような真似はなさいません それが浄土系の
教えです 違うことをいう浄土系の坊さまは、なにか独自解釈を
披露しているに過ぎません
浄土系以外では故人さんは満中陰のあと托生して現世にいらっ
しゃる可能性が高いです 身体から魂が抜けてフラフラ彷徨する
ような事象は存在しません フラフラ彷徨するとすれば中陰だけ
の期間限定です
お盆については 盂蘭盆経 という経典に記された目連尊者と
亡母のエピソードに基づきますが 尊者の亡母は托生している
のですよ 托生した先で苦悩しているから尊者は回向供養した
のです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たびたびコメントありがとうございます。
NO.5、NO.6を読み返しました。
仰ることは分かります。

魂は浄土にあって、位牌(またはお墓)を通じて、現世と結びつけるための儀式です、ということなら有りだと思います。
Vimala-kirtiさんの言葉を借りれば目印、ゲートでも理解できます。

ですが、開眼供養とは何なのかと調べると、それによって故人の魂が宿るとなっているのです。故人の魂が位牌(またはお墓)に宿る、そのための儀式だと。
調べると言ってもネット情報なので、それが間違いなのかもしれません。
仏教に関するしっかりした書物でも読んだら違うことが書いてあるのかもしれませんが。

お礼日時:2021/03/04 00:37

魂と御骨は別です。



魂と御骨が同じなら、別に御墓は必要ないですよね。仏壇の脇や
下に御骨を入れれば済む事です。

人間は死んだら体から魂が抜けると言います。彼岸や御盆や命日
には御先祖様が家に帰られると言われてますが、お墓に収められ
た御骨と一緒には帰れませんよね。御位牌は常に魂が宿っている
のではなく、家に帰られた時に魂が入れる場所が御位牌と考えて
はどうでしょう。つまり御先祖様は日頃はお墓に居られると考え
れば納得されるのではありませんか。
    • good
    • 0

補足コメ拝見しました お悩みのようですが


魂抜き 魂入れ つって、それに目印としての意義を授ける儀式だ
と思ってください たとえばですよ ただ漆塗りの豪奢な木箱や板
の細工物を購入しただけでは聖別視できないでしょう 骨を埋めた
ところへ石細工を建てただけでは聖別視できないでしょう
目印という表現がわるかったのなら 偲ぶ心と故人とを結ぶ精神的
なゲートのようなものだとお考えください
    • good
    • 0

まず宗派の違いから説明しますと


浄土系だけは仏さんは西方浄土にわたってしまっているので、この世の
どこにもいらっしゃいません それ以外の宗派なら仏さんは満中陰のあと
托生して現世にいらっしゃる可能性が高いです
宗派を超えた共通点を説明しますと
お仏壇にもお墓にも仏さんは、いらっしゃいません お仏壇は、ご自宅に
設けるミニ寺院です じっさい、お仏壇は寺院を模した設計です お墓は
故人さまとご先祖を祀る記念碑です どちらも心のより処というものです
お位牌 これは中国で外道(異教)から禅が採用したものらしいです
そうですねえ お位牌は手をあわせるさいの目印だと考えればいいかな
    • good
    • 0

簡単に言うとお墓は故人に対しての家と考えましょう。


仏様が安心して永眠出来る場所がお墓と考えましょう。

だからと言って毎日お墓に出向い線香をあげ、手を合わしていた
のでは大変ですよね。遠くにお墓がある場合は毎日は無理ですよ
ね。別にお位牌に魂が宿っている訳ではありません。
仏壇に手を合わせて拝む事は、お墓で手を合わせていると同じと
考えましょう。
    • good
    • 0

仏壇に手を合わせる事は、故人や先祖の冥福と現世にある“私達”の安寧を、仏様におすがりすること。



お墓にお参りする事は、現世にある“私達”の安寧を、故人や先祖に感謝しにいくこと。

というような趣旨のことを、檀家に入っているお寺のお坊さんが法事の際におっしゃっていました。
    • good
    • 0

非常に簡単に言えば、仏壇はタブレット(出張所)、お墓はPC(本社)・・・


で、ご先祖様はクラウド(データベース)に保存されている・・・
要するに、ご先祖様に会いに行くのには本社でもいいし出張所でもいいということです。
    • good
    • 1

あまり難しく考えないほうがいいと思います。


言い出せば矛盾だらけの世界(業界?笑)ですから。
どちらも、故人を思い出す場所だと思えば
分けて考えることでもなくなります。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!