好きな和訳タイトルを教えてください

地名の話です。昔の地名に小字(字名)がありますが、これはいつ頃からおこった(付けられた)のでしょうか。飛鳥時代? 奈良時代?

明治時代の市町村大合併で、大字ができたとき、それと区別するために、字は小字と呼ばれるようになったそうです。

https://hikkoshi-rakunavi.com/wp/?p=5078
には、「その起源は豊臣秀吉が行った太閤検地にさかのぼり、元々は年貢を徴収する田畑を管理するために付けていた記号のようなもの」とありますが、

https://kotobank.jp/word/%E5%AD%97%E5%90%8D-1261 …
には、「《続日本紀》和銅6年(713)5月の条に,畿内七道諸国の郡郷名には好字で命名させるとあり,《延喜式》では諸国の郡里等の名称には必ず2字の嘉名を用いるように規定している。」とあります。

教えてください。お願いします。

A 回答 (4件)

地名なんてのは自然発生的に起こるものですから、弥生時代からで良いのでは?


小字というのは村の中の地名についてたものです。明治に村を合併して市町村にした時に、字はすでに”昔の村名”の中の地名として使われていたので、”昔の村名”を大字としたのです。
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この回答へのお礼

chiha2525さん、ご回答ありがとうございます。

私も、地名自体の起こりは、その土地の「自然」から生まれることが多いのだと思います。

遅くとも弥生時代には、大陸(朝鮮半島)から渡来人がありますので、もともと話し言葉で呼ばれていた地名に、漢字が当てられたのではないか、と考えられるのですね。

お礼日時:2021/03/10 11:18

角川日本地名大辞典では,字(あざ)は,あなたの言われる通り,「明治22年の市町村制に伴い,原則として江戸期の村名を大字(おおあざ)とした。

また,江戸期の検地帳などに小字・下げ名・人筆書きなどといわれた耕地名は,大字に対して小字といわれるようになった」とあります。
そして,このほかに,里として,次のように書いてあります。
「里(り)」①大化の改新の詔で,50戸で一里と定められた令制の最末端の行政単位。20里ないし2里を一郡とし,固有の地名がつけられた。霊亀元年里を郷と改め,郷の下に,2~3里を置いた郷里制が行われた。このとき郷は4012,里は1万3036を数えたが,郷里制は天平12年頃廃止。
②同じ頃,条里制が全国的にしかれ,原則として数字(あざ)で一条一里などと呼んだが,里に固有名詞をつけることもあった」と。
したがって,②より,遅くとも天平時代(奈良時代)からあったものと考えられます。
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この回答へのお礼

タムシバさん、ご回答ありがとうございます。

・もともと耕地名であった「字(あざ)」が、明治22年(1889年)の市町村制により、「村」が「大字」とされたことで、それに対して「小字」と呼ばれるようになったこと。

・大化の改新の詔(646年?)で定められた、最末端の行政単位「里(り)」のまとまりで、固有の地名が付けられたこと。

・後に里を郷に改めた「郷里制」が、天平12年頃(740年頃)まで行われたこと。

・同時期、全国的に行われた「条里制」では、数字(あざ)のまとまりで「一条一里」などと呼ばれたが、里に固有名詞をつけることがあったこと。

大変勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2021/03/10 11:14

地名の字は江戸時代に定着していますので、おそらく太閤検地あたりが起源ではないでしょうか。



コトバンクの後半は解釈が間違っています。

嘉名や好字で二文字というのは、中国にならって、地名を縁起のよい文字にするため二文字とするというもので、字とは何の関係もありません。

「无射志」→「武蔵」
「上毛野」→「上野」
「下毛野」→「下野」
「泉」→「和泉」
「車」→「群馬」
「木」→「紀伊」
「津」→「摂津」
などと変えたのです。
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この回答へのお礼

satoumasaruさん、ご回答ありがとうございます。

コトバンクなど、ウェブの辞典にも間違いがあるのですね。とても勉強になります。ありがとうございます。

お礼日時:2021/03/10 10:55

その時代ごとの権力が地域を定めて呼称しだすのですから



どれも正解ですよ
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この回答へのお礼

ma0306さん、ご回答ありがとうございます。

権力者が地域を定めて呼称するのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2021/03/10 10:53

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