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江戸時代に丑寅の時刻はどうやって判断したのですか?丑寅でも寺は鐘を鳴らしてたのですか?それとも月が出てれば月で判断するのですか。

A 回答 (1件)

暦の計算に使う辰刻法(定時法)ならば、天文方が定時法時計を持っていましたので、天文方には判断ができました。



庶民は季節、昼夜で一時(いっとき)の長さが違う不定時法庶民用の時刻法を使用しており、こちらの場合、時の鐘で報せていました。時の鐘には幕府管理下の鐘撞人がおり、深夜でも鐘は鳴らしました。

不定時法は、夜明けと日暮れを境にして、昼と夜をそれぞれ6等分して一時(いっとき)の長さを出します。各節気の最初の日の数値をその節気の期間(15日間)使用し、また次の節気が来たら新しい節気の最初の日の数値を使用して一時(いっとき)の長さを修正します。
鐘撞堂や寺はそうした不定時法の和時計を所持しており、これを基準に鐘を鳴らしました。
また、江戸は各々の鐘が聞き取れる範囲に時の鐘を配置していましたので、お互いの音を聴きあって撞いており、時報がずれることはありませんでした。

もちろん月の位置でもある程度は判断がついたとは思います。

この回答への補足

丑寅の時刻も撞くのですか?ほんと夜勤ですね。

補足日時:2007/01/26 10:27
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考にします。

お礼日時:2007/01/28 23:07

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