プロが教えるわが家の防犯対策術!

これは17・18歳の頃に漸く自分でも気付けた事で、生まれて始めて誰かの前で打ち明ける事です。今までどう生きていれば良かったのか、これからどうしたら良いのか本当に分かりません。

僕は生まれて今年で19歳になりますが、一度も自分じゃない誰かの事を見返り無く心から思いやれた事が有りません。詰まり、真心が欠落しています。心から思いやるという行為自体、知り合った同級生等は愚か、育ててくれた両親や親戚に対しても出来た事は有りません。そう言った優しい真似はした事は有りますが、それは今思えば全て相手の事を思っての行為では無く、『誉めて欲しい』とか『認めて欲しい』という、諸々の見返りを求めて唯々自分のためにやっていた行為に過ぎませんでした。僕は昔から兎に角、長期的に見れば自分のためにならないと頭では理解しているつもりでも、どうしても損得勘定で楽な方を選んでしまい、しんどい思いをしたくない、責任を負いたくないからと嘘を吐いてでも何かと逃げる程の面倒くさがり屋で、結果として人に好かれたいからと真面目ぶる一方で自分で考えて行動し、選択するという事が出来ない主体性の無い、恥を掻きたくないからと分からない事を人に聞けない、所謂真面目系クズとなってしまいました。そのせいで高校3年の時に卒業論文をチームで書く際も、その5人の中で僕1人だけサボって殆ど任せっきりにしてしまい、他の同級生達は殆ど何も言ってくる事は有りませんでしたが、当然の事ながら白い目で見られる事となりました。しかし、皆に迷惑を掛けたのに当の僕の心はケロッとしていました。こんな碌でもない性格のせいで誰かに好いてもらえた事は無く、彼女は勿論、友達も殆ど出来た事は有りません。過去に広範性発達障害だという風に診断された事は有りますが、今となってはそれに関係無く、唯々元々の自分の性格が最悪だったのだと感じています。今でさえ、実家暮らしの大学生なのですが、言われない限り家事はそんなにしないぐうたらな生活で、親に迷惑を掛けている癖して何も感じていません。

今思えば、僕は誰かに誉めて貰える事を切っ掛けに『愛情』という極上の蜜の味にずっと魅入られてしまった結果、それだけを原動力に今日まで生きてきた自分は愛に飢えてそれを求める癖して相手には愛を与えないそんな心の無い、それを自覚していて嫌気も差しているのに変わろうとしない堕落した人間になってしまいました。

漸く自分で認める事は出来ても、内容が内容なだけに誰に相談すれば良いか分からず、友達に囲まれて話をしたり、愛してくれる彼女がいてくれるとか、自分のやりたい事や夢を明確にしてそれに向かって突き進んだりと、唯々眩しく、輝いて生きている周りの皆が時々、羨ましくてたまらなくなり、同時に何の価値も無いまま人生で自分が本当にやりたい事も分からず、動けずに立ち止まっている自分に本当に嫌気が差し、『何処で間違えなければこんな自分にならなくて済んだんだろう』、『何で見返り無く誰かを思いやるという人として基礎的な事も出来ないんだ』、『自分には愛してくれる人がいてくれる幸せは手に出来ないのかな』と思い詰めて、一人で唯泣きじゃくる事しか出来ませんでした。自分で考えもせずに他人様に助言を求める事も、本来は烏滸がましい事でしょうが、僕はどう生きていれば良かったのですか?どうやったら誰かの事を思いやる事が出来るのですか?

拙い長文、失礼致しました。

A 回答 (2件)

まず質問者様はクズでもダメな人でもありませんから、自分を責めなくて大丈夫です。

そして「変わりたい」と望むのに、19歳という年齢は全く遅くありませんので悲観しないでください。


質問者様は「自分は思いやりが無いから人に優しくできない」と言っていますが、人は肉体的・精神的に十分な余裕が無い時に「見返り無しの優しさ」を発揮することはできません。

質問者様は「自分は何もがんばっていないから肉体的・精神的な余裕があるはずだ」と思うかもしれませんが、この質問文で自分を悪く言っていたように

・自分はダメなヤツだ
・クズだ
・優しくない
・真心が欠落している

など自分を責め続けると、心が疲弊してやる気が損なわれます。やる気が損なわれた状態では、何かに関心を持ち、意欲的に取り組むことは難しいです(質問者様だけではなく、人間の心の機能的に)。

これからは自分に厳しくダメだしするのをやめて(それはただ自分を攻撃して弱らせるだけで、全くなんの得にもならないので)、なるべく自分のいいところを見つけて、自分を褒めて愛するようにしてください。

また肉体的な余裕を作るためには「がんばり」が必要なほど無理はしないことです。大変そうな人を見かけても

「大変そうだし、手伝ってあげたほうがいいかな?」
「無視するのは可哀想だし……」

と「いい人」であるために、無理して手伝おうとしていると気づいた時は、逆にしないほうがいいです。

自分が無理して出した優しさに、感謝やお礼が返って来ないと、人はどうしてもムッとしてしまいます。せっかくの善意も掻き消されて「自分って心が狭い」と自己嫌悪することになります。

ですから人に優しくする時は、

・自分に余裕がある
・簡単にできる
・「してあげなきゃ」じゃなくて「してあげたい」

と思える時だけ手を出すようにすると、見返りが無くても大して気にならず、自然な優しさが身についていきます。

自分を犠牲にしない程度に、無理なく周りを助けるというバランス感覚が身につけば、人間関係も良好になりますし、自分に自信が持てると思います。
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1:好きな事を徹底的にやる。


2:今まで関係ないところで、長い日にち居候してみる。おのずとその日その日のやることを自分で考えることができる。
3:何事からも逃げず、向かっていく事です。常にそうしないと、肉体的にも精神的にも衰えます。
4:人であり、物であり、対象物は自分で決め、心から好きになる事です。なんで好きなのかも、常に自分自身に問うことです。頼ってはだめです。
この様な事をしていれば、自ずとどの様にこれから生きるのか、自分を磨けば、他の人から色々信頼され、その人の為に何かしようとかなってくるはず、そのようにしてきた私が言うので、気とできます。

この年代から20歳位までが、誰でも通る道。
しかし、その様な事が高年齢化しています。例えば元服は16歳でした、数えですから15歳一寸から16歳です。江戸時代までは、精神的大人は早かった、明治からどんどん高年齢になって行ったと思います。
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