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古代エジプトの古墳の人骨が赤く染まっていたり、古代マヤの神殿もかつて水銀朱で真っ赤に染められていたそうです。

A 回答 (1件)

> 世界中の古代の葬儀で使われていた原料ですか



埋葬などにも使われたのでしょうが、日常の身体装飾や、各種の道具、建物の装飾にも、赤や朱色は、ポピュラーに使用されていたようです。
赤や朱色のもとの素材の物理化学的な組成にこだわってはいなくて、派手に赤く見えさえすれば、そして変色や退色をしなければ、素材は何でもよく、比較的簡単に入手できさえすればそれが最高だったのではないでしょうか。
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     顔料の歴史   鶴田榮一  主として顔料の界面化学の研究。
   1949年東京理科大学助手,高分子溶液の物性の研究。
   1953年古河鉱業(株)入社,酸化チタンの製造研究,

ネアンデルタール人以来,赤色は色彩美としての価値をみたすにとどまらず,精神面に関与する神聖視される色彩として,古来から使い続けられてきた。
赤色は人類が意識して使用した最初の色であった。
その赤色顔料は緒土,すなわちべんがらであり,または水銀朱であった。
旧石器時代人にとって日々の生活は野獣との対決であり,それら壁画は呪術的
動機から描かれたものであろう。壁画の色彩は白・黒・褐・黄系統の色調が認められるが,赤鉄鉱・黄土・マンガン鉱などから赤褐色,黄,青黒色を,骨を焼いたものから黒を,白亜土から白を得ていた。この時代の洞窟壁画は比較的に入手し易い赤褐色の鉄系顔料を主体としたものが多い。

わが国の彩色起源は縄文草創期(BC.一万年)で土器への彩色として始まり,やがて前期には黒漆や赤漆で塗彩するようになり,とくに東日本で発達した。
縄文前期の鳥浜貝塚(福井県)では焼成後の磨り消し部分を赤色顔料で塗彩した丹彩土器,赤色漆塗りの飾櫛が出土している。
縄文後期から晩期にかけての赤色漆塗の飾櫛は各地から出土している是川中居遺跡(青森県)は東北地方の縄文時代晩期(約3千年前)を代表する遺跡であるが繊細な文様をもち,精巧な造りの赤漆塗彩の土器が多く出土し,その他藍胎漆器・木胎漆器・櫛・腕輪・耳飾・飾り太刀・弓等の赤漆仕上げのものが多い。べんがら,朱(HgS)のはいった小型の壷も出土している。
縄文後期の北海道柏木B遺跡の土坑墓にべんがらが施朱されていた。施朱の風習という葬送儀礼は縄文後期にはすでに行われていた。
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   「魏志倭人伝」と色料(顔料・染料)
      ―古代倭国の色料事情について―  鶴田榮一
赤色の顔料としては弁柄の使用例が多い。幾つかの例を挙げると,縄文前期
(BC 3000年以上前)の山形県押出遺跡の彩文有孔壷,同じ縄文前期の山内丸山遺跡の土器赤色塗彩鉢,鮮やかな赤色の漆器などに使用された顔料は,近くから採取された弁柄であった。東北地方の縄文晩期(約3000年前)を代表する是川中居遺跡(青森県八戸市)には赤,黒彩色の多くの土器や木製品の出土があり,赤は弁柄を使用している。赤色の藍胎漆器もあり,下地は弁柄で仕上げには丹砂を使用したものもある。このようにわが国でも弁柄使用の歴史は,『魏志倭人伝』の三世紀より古い縄文時代と確認されている。
弁柄といっても,着色性主成分を酸化第二鉄(Fe203)とする良質の丹土や,赤鉄鉱等が使用されたものと考えられる。筆者は是川中居遺跡から発掘された,弁柄の入った土器の展示を八戸市縄文学習館で見学したが,明らかに土器の中
は良質の丹土であった。また朱入りの袖玲土器の展示もあり、朱の使用されていたことを知ることができる。
古代ローマ時代には丹土を焼成して良質の赤色顔料を得ていた。現在,裸体生活をおくっているニューギニヤのダニ族は,黄土を焼成して良質の弁柄を得ている。
わが国でも古墳時代の装飾古墳の壁画に,黄土を焼成して得ていたと思われる弁柄が使用されている。酸化第二鉄を着色性主成分とする広義の意味の弁柄の使用は,5万年前の旧人類を代表するネアンデルタール人が,身体彩画を有していたというところまでさかのぼることができ,人類が使用した最も古い顔料に属するものである。
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