ショボ短歌会

ご質問です。
https://biz.trans-suite.jp/20492

「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて段階があります。

地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。


と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか?
天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。
不安です。

A 回答 (2件)

それ、そもそもの仏教思想から外れています。



お釈迦様は「死んだあとのこととか、人間にはどう考えてもわかりようがないんだから、考えても仕方のないことは考えず、もっと合理的に思考せよ」とおっしゃいました。

そもそも、地獄に堕ちるのが怖さに熱心にお経を唱えるなんて、合理的ではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2021/09/30 09:09

古代インドでは、大きな悪の行いをした者は死後


ナラカと言う世界に生まれると言われていました
このナラカは奈落(ならく)の底、といわれ、
仏教では地獄と言う事になります

地獄は,もともとは「地下の牢獄」という意味です
苦しみに縛られた最低の状態を表しています
しかし
よくよく経典を読んでみると
死後に生まれ変わる場所ではなく、
すでに、この世に地獄がある事が分かります
更に、自分自身の生命の中にある事が分かります

「瞋(いか)るは地獄」
思い通りにいかない自分自身や、苦しみを感じさせる
周りの世界に対して抱く、やり場のない恨みの心です。
苦の世界に囚われ、どうすることもできない生命の
うめきが瞋りです
いわば「生きていること自体が苦しい」、
「何を見ても不幸に感じる」境涯が地獄界です。

それと同じように天国も自身の生命の中にあるのです
いずれも六道、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、の一つです

さ~て、阿弥陀狂で救われるかな?

抑(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば
或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、
しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候
十字御書参照

永遠の経典に学んで下さい
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2021/09/30 09:09

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