1. 輪は まるいからよく回るのであって よく回るから丸いのではない。
2. ひとは 自由であるゆえに その否定のウゴキに対してあらがうのであって 抵抗して自由になるということでは――じっさいにそう行動するのだが 自由を位置づける順序の話として――ない。
3. ところが 輪がまるいのは 人間がつくったのである。けれども 自由は 人間がつくったものではない。
▲ 天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず。
4. 自由であることは 人間が互いにそうであることにおいて互いに平等であることだ。
5. 自由と平等を保ちつづけるのは ユヅリ愛による。ひとの意志行為でありその努力による。
6. 自由は ユヅリ愛の実行の以前に それ自体に答責性を帯びる。すすんで帯びる。
7. 自由は 平等を侵さないかとおそれる。他の自由を侵さないかとおそれる自由を ふんだんに有している。
8. 自由は 黙秘権を恥ぢとする。(レティサンスとは 別物である)。
9. ・・・
☆ よろしくご教授ください。
A 回答 (50件中11~20件)
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No.48
- 回答日時:
ネットサーフィンをしているだけで何もしてないですが、企業は売る気がなく人をいじめてば関していますし、サントリーは竜兵会でサンドイッチマンが津波ででもグラウsもコップも売る気がないこおてゃ明白ですし、
次々殺害対象が増えていくのは世の中どうしてしまったのでh装花。
ハリオはマリオなのでしょうか。百年分の歴史がないのでしょうか。
隆平というのは松山竜平とかいう人物だたのでしょうか。聞いてないよじゃなかったのでh装花。不利ですか。不利でしょうね。
いじめですね。サントリーのツイッターはどちらでもいいそうです。
ウィキペディアからイン用意sたのでh装花。
★ ネットサーフィン
☆ さすがですね。そういう好奇心の幅を ひょっとしたら昔とくらべれば 狭くしてしまっているかも知れません。この言葉を聞いて ふとそう思いました。
No.47
- 回答日時:
なんか面白そうな質疑応答だから
相乗りするね
(  ̄▽ ̄)にっこり
聖書議論かぁ~
( ̄~ ̄;)
そうそう
bragelloneさん
聖書とは、資料なのか、教えなのか
歴史から紐解くと
資料になって
神学や宗教からみると
教えになる!
ギルガメッショ叙事詩の方が
聖書より先に書かれてて
聖書にギルガメッショ叙事詩似た内容があったり!
ギルガメッショ叙事詩よりも
シュメール神話の方が先に書かれてて
ギルガメッショ叙事詩に似たような話が書かれてるとかとか
考古学だと歴史的な資料として聖書を扱う時が多いけど
神学や宗教などでは
聖書の言葉は、絶対的な真理であって
解釈の仕方で様々な事を教えてくれるてな話ですもんね
資料であるのか教えであるのか
これもまた
解釈の仕方でもあって
自由てな言葉も解釈法によって
様々な変化してしまうのは
言葉がバラバラになってしまったからで
聖書の言葉を借りたら
バベルの塔をたてた人間に対する神罰とかって言われたりもしますね
★ 聖書議論かぁ~
☆ ですが――つまり 大きな主題ですが―― 議論はぜんぜん煮詰まっていません。
★ 聖書とは、資料なのか、教えなのか
☆ 二番三番を予定しない第一の内容は 神論であり 神とわれとのカカハリとして言いかえるなら信仰論です。
神は 普遍神である。
信じるとは 知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ(非経験の場・非知なるチカラ)を 無条件で無根拠にてわが心に受け容れること。
あとは 歴史物語であり 信仰論としてはオシへや文学・詩編をふくみ 特には神の言葉を預かった預言者の活動などを伝えている。
★ 聖書にギルガメッショ叙事詩似た内容があったり!
☆ 話素と言いますが話題として たとえばノアの洪水などいくつかの歴史物語を採り入れています。パクっています。
ただし その利活用は すでにシュメール神話とは 思想が別のものに成りきっています。
★ 考古学だと歴史的な資料として聖書を扱う時が多いけど
☆ たしかに歴史学の資料として扱う行き方も開かれています。
★ 聖書の言葉は、絶対的な真理であって
☆ あり得ません。人間の言葉で――ということは 人間の思考として――表現されています。
▲ (パウロ:コリント後書 3:6 ) ~~~
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。
それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
~~~
☆ 身(感性の原野)と心(思考の緑野)および霊性(非思考の庭)というように 生命体なる存在の全体が問題です。
聖書は 絶対的な真理へとみちびくその補助線です。
月をごらんと指し示すゆびです。ゆびが 真理ではないです。月にたとえた真理は 先に触れたナゾです。
★ 自由てな言葉も解釈法によって
様々な変化してしまう
☆ 哲学としては そういうことはあり得ません。
まだ不十分であるという・定義の状態が そのつどあります。
No.46
- 回答日時:
理論と理論のすり合わせや衝突ですね
理想と現実との乖離だったりもしますね
実践として別なるものに変化する
言えてますね
(  ̄▽ ̄)にっこり
岸田さんの解説動画をみてて
冒頭の解説で
( ̄~ ̄;)なに~ってなり
解説動画をみないで
教えて!gooに戻ったのが現在のワシですね
人って自由であるはずだけど
社会ってその自由を規制しなきゃ成り立たなくて
その社会ってのも
国家や国家間同士の衝突や融合を繰り返してるから
国家が規制する自由ってのも
状況によって変化したりしますもんね
国家方針がかわると
規制されてることや、同調圧力的に雰囲気で規制されてることが
変化したりするのが時代の流れであるなら
人の国家が担保してる自由ってのは
規制にあわせて変化してるはずてあって
その規制範囲が届かない場所においては
人の自由は守られてる
てな事を考えてて
さっきの手を繋ぐ話から
先生が手を繋ぐ指示をだす
いわゆる規制などの国の規制であって
白人の女の子は
同調圧力的な規制
岸田さんが
国の規制や、同調圧力の規制にたいして!
同調圧力を差別だと捉えたから
やはり、社会の根底には
国家てな手を繋ぐごうとする規制必要なんかと
( ̄~ ̄;)そうなると
手を繋がない自由てのは
社会を造る規制に反してて
同調圧力的な差別を無くしたい
てか、やはりこれは無くすべきではあるけど
ここで府に落ちなかったのが
白人の女の子が黄色人種だから手を繋ぐのを嫌がったのか?
岸田さんてな男性として意識したから手を繋ぐのを嫌がったのか?
⬆️
好意の裏返しとかですね
それか、先生が嫌いで先生の指示を聞きたく無かったのか?
こんな妄想が広がり、
自由って( ̄~ ̄;)なんだろうねぇ~
小学生の子供達の安全を確保するためなら!
手を繋がせて歩かせた方が、迷子になる可能性は少ないから
そういった考え方なら、手を繋ぐ必要性はじゅうぶんあるから
手を繋げの指示はわかるんだけどね
自由であるからこそ、自由である
手を繋ぐって握手とか、友好な象徴としてもあらわさられるから
共存共栄てな考え方からしたら
( ̄~ ̄;)
やはり、拒否られるのは悲しいですけどね
★ 理論と理論のすり合わせや衝突ですね
☆ 衝突も すり合わせですね。180度対立する場合でも ひとつ高い次元に上がって 互いにふるい部分を止めてよきところを揚げて保ちつつ あたらしい顔になります。
★ 理想と現実との乖離だったりもしますね
☆ いや そういうものは理論と言いません。せいぜい理念(理想概念)ですね。
★ 実践として別なるものに変化する
言えてますね
☆ いまのところ自信があるので 理論は持ちこたえると思っています。実践編では 個別性および特殊性にじゅうぶんに対応する必要があるとは思います。
★ 人って自由であるはずだけど
社会ってその自由を規制しなきゃ成り立たなくて
☆ いえ。自由をよく実現させるために規則を取り決めます。もっとも その一般性としての相互理解に立った規則も 実際じょうの個別性にそのまま対応しているかと言えば それは ままならぬものです。
最大公約数の部分で一般規定をつくっても 公約漏れの部分で 対立しあいます。
さらにそこから:
★ 国家や国家間同士の衝突や融合
☆ の場や過程において 自由と自由との対立が生じます。
★ 同調圧力的に雰囲気で規制されてること
☆ クウキは たいてい現行の権力や権威の側が築いた既成秩序を保守するために醸成されるものと思います。
★ 人の国家が担保してる自由ってのは
☆ いえ。国家の制度や法律の仕組みは 自由を実現させるための道具です。
個別の問題で 個人とその集まりが その道具をつかって自由をまもっていかなくちゃならない。
★ 先生が手を繋ぐ指示をだす
☆ これは あくまで学校行事の一環だと思うんですが。
指示は:
★ いわゆる規制
☆ ではないですね。
★ 白人の女の子は
同調圧力的な規制
☆ とは受け取っていないと思います。ただ異国の子が うとましく感じたのでしょう。差別したいというつもりは まだなかった。
★ 国の規制や、同調圧力の規制にたいして!
☆ いえ。いまの学校行事は 別の話です。
★ 手をつなぐ・つながない
☆ は
★ 規制
☆ とは 問題がちがうと考えます。
つづく
No.42
- 回答日時:
ちょっと自由について
( ̄~ ̄;)変に思ったはなし
本籍が広島の人でね
原爆の悲惨な事を子供の頃から教えられてて育ったてな人なんだけど
子供の頃
親の都合でアメリカに住む事になって
小学生の時の出来事らしいんだけど
遠足か社会見学なのかはハッキリとしないせど
とある行事の時に、先生から
隣の生徒と手を繋いでくださいと言われて
隣に居た、白人の女の子に手を繋ぐのを拒否られたらしい
その少年は、人種差別は良くないと子供心に思ったらしいんだけどね
そもそも、この話しに
自由ってあるのか?( ̄~ ̄;)
ないのか?( ̄~ ̄;)
戦争って自由とは限りなく遠い国家の出来事であって
その悲惨な象徴の原爆の話しもあり!
国家てな壁をつくる、人種てのも自由とは無関係な話なんだけど
自由を阻害しやすい要因のひとつでもあったりする
男女や性差ってのも
自分自身で自由に希望して産まれてこれる訳ではないから
そもそも先生が、
生徒を管理や統率するために
手を繋なげと指示するのも
自由とは逆の話であって
手を繋ぐのも、手を繋がないのも
自由ではあるはずなんだけど
手を繋がない自由を行使したら
人種差別てな話しになるのか?
成らないのか?
その少年が、幼少期に思ったことだから
人種差別てな定義にはなるんだけど
自由って考え方の自由てな話しに行き着くのかなぁ~
ちょっと変な話を持ってきたよ
★ ちょっと自由について
( ̄~ ̄;)変に思ったはなし
☆ はい。
★ ~~~
本籍が広島の人でね
・・・
隣に居た、白人の女の子に手を繋ぐのを拒否られたらしい
その少年は、人種差別は良くないと子供心に思ったらしいんだけどね
~~~
☆ これは その白人小学生の女の子の育った環境の問題ですよ。
小学生なら もう少し考えたらというような期待を少年をふくめたこちらが抱くのも 無理かも知れないんぢゃないかなぁ。アメリカでしょう?
★ そもそも、この話しに
自由ってあるのか?
☆ その両親や家族をふくめた少女らが いま勉強中というような情況であり問題でしょう。
★ 戦争って・・・出来事・・・原爆の話し
☆ 勉強中です。
★ 国家・・・人種・・・
☆ 人種は 容易に感覚で分かるかと思われますが とにかく発展途上です。
★ 男女や性差
☆ これは その少女が特殊に意識する性格だったかもわからないけれど 可能性は少ないと思います。
★ そもそも先生が、
・・・
手を繋なげと指示するのも
自由とは逆の話であって
☆ いやぁ 自由にはかかわって来ないと思うんですけれどねぇ。フォークダンスのような行事が ふつうにあり得ると日本人の経験からは想い起こされます。
★ 手を繋ぐのも、手を繋がないのも
自由ではあるはずなんだけど
☆ そこまでの問題として捉えるのならば 学校で・あるいは教育委員会で話し合って そういう行事をするかどうかを決めればいいはず。
★ 手を繋がない自由を行使したら
人種差別てな話しになるのか?
成らないのか?
☆ やはり 小学生としては まだそこまでの問題には しなくてよいと思えます。
★ その少年が、幼少期に思ったことだから
人種差別てな定義にはなるんだけど
☆ 相手の思いや置かれた環境について考えてみようとしたんぢゃないかなぁ。そういう問題意識をつよく・公共のこととして持っている少年なら。
★ 自由って考え方の自由てな話しに行き着くのかなぁ~
☆ いえ そうはならないと思いますね。
ただしよしあしを別にして 無茶をする自由度が 自由にはあります。
No.38
- 回答日時:
特にプロテスタント派閥にける、終末。
あの世の天国に行くために、なんだって善良なことをする偽善者。終末論奴隷を批判してたのでしょう。良いことすれば、天国に行ける。これって「観念的免罪符」で、プロテスタント派閥は、ローマカトリックと同じ免罪符のあやまりをやってるんですよね。両派閥。イエスに依存する奴隷なんでしょう。★ 特にプロテスタント派閥にける、終末。あの世の天国に行くために、なんだって善良なことをする偽善者。終末論奴隷を批判してたのでしょう。
☆ やはり解釈の問題ですし とりわけ《文字はころし 霊は生かす》という問題がその場合にはつねに絡んでくるものと思います。
オシへや規範とその実行を――特にあたまの中で――かんがえているのだと思います。
よく言っても 信仰の問題から ふつうの経験思想をどう形成するかに移っていると思えます。
★ 良いことすれば、天国に行ける。これって「観念的免罪符」で、プロテスタント派閥は、ローマカトリックと同じ免罪符のあやまりをやってるんですよね。両派閥。イエスに依存する奴隷なんでしょう。
☆ たしかに《観念的》なのだと見ます。想像裡においてすくわれるといった思いでいるというイメージがあります。
いやぁ その点 実存主義は そのよきあり方として 実践的ですよ。(という一縷ののぞみを持ちます)。
No.37
- 回答日時:
「自由」より「不自由なる奴隷」。
これって自己救済をイエスに任せる「愚か者」の所業。ニーチェもサルトルも、もっとも嫌ったキリスト教徒の一般態度でしたね。奴隷道徳の人々。笑そうですね。
いまの主題でのやり取りについて わたしの考える但し書きをしるします。
・ すでに読み直しをすることなく長い時間が経っています。自分の見解へと解釈をたぐり寄せて来てしまった可能性が――考えてみれば サルトルについて――あるかも知れません。
・ ニーチェは 聖書を知りません。たとえば 《神は 死んだ者のためではなく 生きている者のためにある》といった命題を。
・ ★ 救済
☆ について 強いて言えば 二種類あるように思います。
(あ) 身(感性)と心(理性)と超経験(霊性)とをひっくるめた生命体としてのやすらぎ・世間との和解・自分自身との和解が成るというすくい。
(い) そして 経験世界でいろんな具体的な――特には精神的なですかね の――問題が解決して心がすくわれるという事態。
どちらにも 絶対他力がはたらくという想定上の命題が――もちろん 自力での生活と努力は 成されますが―― あり得ます。
問題は その上でさらに (あ)について 二つの派があることではないか。
この生命体なる存在ないし人格のすべてが救われるということについても すべて人間の自力で行くんだという派。
そして (あ)なる救済という想定をいっさいしない派。実存主義は こちらに近い。
No.35
- 回答日時:
「人生は自由の刑に処せられてる」サルトルサスケ言。
彼は実存主義とは何か? で、神がいようとも、この存在の「本質=設計」なんかより、自分で人生を切り開く「実存」が優先されるべきだ、と明言してます。俗なる実存も。これを創造したのは神ですので、実存も俗であるはず無いですね。けれど、これをも無視して、自分自分を立てなさいよ、立ち上がりなさいよ、とサルトルサスケ? は言ったのでしょうね?★ 「人生は自由の刑に処せられてる」サルトルサスケ言。
★ 彼は実存主義とは何か? で、神がいようとも、この存在の「本質=設計」なんかより、自分で人生を切り開く「実存」が優先されるべきだ、と明言してます。
☆ わたしの理解では 《優先されるべきだ》というより 《実存(現実存在)は 本質(そもそもの存在)に先行する》と言う。
すなわち 《人が生まれ育ってきてただそこにいるという事態》があるだけで その背後に《人生の設計図だとかあるいは理念といった本質》はないと。
両方があって くらべるという気遣いはないと。
★ 俗なる実存も。これを創造したのは神ですので、実存も俗であるはず無いですね。
☆ 《創造したのは神》という大前提がすべて抜け落ちている(無とした・つまりは 実質的には 普遍神を無根拠とした)のではないかと。
★ けれど、これをも無視して、自分自分を立てなさいよ、立ち上がりなさいよ、とサルトルサスケ? は言ったのでしょうね?
☆ そうですね。自由児としては あたかも宇宙遊泳するかのようにどこにも命綱もなければ支えもない しかもそのまま社会の生活あるいは運動にコミットして行きなさい。というアンガージュマンを説いていたようだと。
好意的にみると 普遍神について有とみる神観か無とみるそれかで異なっていて 実質的には互いに背中合わせになった人間像を提示しているように――誤解かな?――捉えていました。
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№6つづき1
★ 2.「神さえ存在しなければ、人間の行為はすべて(革命や殺人行為ですら)許される」(「カラマーゾフの兄弟」)。
☆ いまNHKの《100分で名著》でやっていますね。
★ ここで問題になるのは「神がいるから(信じるから)人は自由なのか?」あるいは「神がいるから(信じるから)人は不自由であるのか?」という問題ですが、ドストエフスキーの思想では後者であるようです。
☆ わたしの質問の趣旨説明は かぎりなく前者に近いです。
後者の弱点は 《不自由だ》という規定が 人間によって成されているところにあります。
前者とて同じではないか?
つづく
№6つづき2
イワンの思想の弱点は 《不自由だ》という規定が 人間によって成されているところにあります。
前者とて同じではないか?
じつは《自由》だというのは 何も規定していないのと同じだと言えます。神――相対的な存在である人に対して絶対性――を前提しないなら 人間が経験世界の中で自分の思考能力によって勝手に規定しているに過ぎないのですが そうではなく《自由は 人間がつくったものではない》と言っているなら それは神のもとにあって 《何も規定していない》のと同じになります。
だから 《自由であるから自由である》という愚にもつかないトートロジーで表わすしかない。
《不自由だ》と 人・間・が 規定しうるなら 他の人が 《自由だ》と規定するのも 同じように認められます。主観が主観として何を思おうとかまわない。不自由だと規定する主観は じつは自由なのだと言おうとしている。
№6つづき3
この匿名さんの回答は おもしろいテーマでしたね。
二つ目のドストエフスキーの件で おぎないます。イワンにしても:
★ 「神がいるから(信じるから)人は不自由であるのか?」
☆ と言っているではないか? という反論が予想されます。つまり 《神がいるから(信じるから)》という前提をはっきり言っている!!! と。
これは 困るのですが まづ:
① 神の存在のもとに 人は自由
② 神の存在のもとに 人は不自由
③ 神は存在しないゆえ 人は自由
☆ と分けたとき 三つは じつは同じ内容です。絶対性なる神は 経験事象としての有る無しを超えていますから 前提条件が 同じであり 帰結も 相対性の世界を自由・不自由のいづれに規定しても ―― 一様にそうなら――変わりないんです。
ところが:
つづく
№6つづき4
ところが:
②a 神がいるから(信じるから)人は不自由
☆ の場合は 《いる》を思考している。《信じる》を思考しつつ条件としている。すなわち 帰結のほうも――その条件をあたまの中に入れつつ考慮しつつ――人間が 規定している。
ということは 帰結の中の《不自由》は 必ずしも《一様にそうである》場合ではなくなります。
②b 神がいるから(信じるから)人は自由
☆ というふうにも 規定しうる。のではないですか?
すべては 《カラスの勝手でしょ?》となります。《主観の勝手》であり 主観主義です。m(..)m
☆☆ (№13お礼欄) ~~~
★ あの問題は
☆ 圭氏が 仕事がうまくゆかず 破れかぶれにならないかと心配しています。(なって 立ち上がることを期待するという意味でもありますが)。
~~~
☆ これは 恩人との面会が――解決金は解決しましたが―― ついぞわだかまりは消えなかったようなんで そう考えました。
恩人が 一方的に婚約を解消したこと そしてあとで 打ち明け話をメディアに流したことを 圭氏は悲しんでいるそうです。恨みがあるようです。
婚約者にお金を無心しつづけることには あやまちは無かったという認識だと見られます。
№24つづき1
★ すでに地獄の底にいて、這い上がれないとわかっている。鼻をへし折っても無駄でしょうね。鼻をへし折っても、あの人はあの人のままでしょう。・・・あの人の人生はすでに終了しているのだと思います。ただ、肉体的に死んでいないから生きているだけではないか?自殺という手段がありますが、いかんせんNYの高級マンションではそれはできません・・・とにかく結婚生活はかなりの(極度の)不幸ではないかと・・・
☆ そうですね。
★ あの人の人生はすでに終了している
☆ 言えるかと思います。
ただし かの人は 人間であると同時に 生命のチカラを発揮して 誰れ彼れにかかわらず 個人的にもメールを送ってくれていると思います。受け取るかどうか 読む(読める)かどうかですが 終了からのよみがえりも さづかるかも知れません。パウロの例があります。
つづく
№24つづき2
★ あわれというか、かわいそうというか、とにかく悲惨な人に見えます。
☆ そうですね。以下は 割愛させてください。閲覧者は じっくり読んで考えるところをご自分でまとめると思います。
恩人との面会のとき 一度もけっきょくニコッともしなかったそうです。心が凍ってしまっているのでしょうか。なかなかむつかしい情況なように思えます。
★ もう、この世にはあの人を救える人は誰もいないのではないかと・・・
☆ 言っちゃいましたね。
みなさんへ。《人間は 自由の刑に処せられている》か。
サルトルのこの命題をめぐって何かありましたら せっかくですから このスレッドに書き込みください。
№46つづき
★ 同調圧力的な差別を無くしたい
☆ は 別種のおおきな問題です。
★ 白人の女の子が黄色人種だから手を繋ぐのを嫌がったのか?・・・
☆ 咄嗟の感覚的な判断でそうしたと考えます。発展途上の段階であると。
★ 自由って( ̄~ ̄;)なんだろうねぇ~
☆ 答責性をともなう我がままです。
★☆ 自由であるからこそ、自由である
☆ これは 理論の根拠を説明したものです。すなわち 無根拠に拠っていると。
補足スペースの最後ですが みなさんに問い求めます。
《自由〔および平等〕》という概念だけをいぢって 次のように社会の制度を区別分類することができますか?
α 民主自由主義
β 自由民主主義
γ 民主社会主義
δ 社会主義
ε 共産主義
☆ α の民主自由主義が 渋沢栄一の合本主義と呼応するかどうか いかがでしょうか?