都道府県穴埋めゲーム

1. 輪は まるいからよく回るのであって よく回るから丸いのではない。

2. ひとは 自由であるゆえに その否定のウゴキに対してあらがうのであって 抵抗して自由になるということでは――じっさいにそう行動するのだが 自由を位置づける順序の話として――ない。

3. ところが 輪がまるいのは 人間がつくったのである。けれども 自由は 人間がつくったものではない。

▲ 天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず。



4. 自由であることは 人間が互いにそうであることにおいて互いに平等であることだ。

5. 自由と平等を保ちつづけるのは ユヅリ愛による。ひとの意志行為でありその努力による。


6. 自由は ユヅリ愛の実行の以前に それ自体に答責性を帯びる。すすんで帯びる。

7. 自由は 平等を侵さないかとおそれる。他の自由を侵さないかとおそれる自由を ふんだんに有している。

8. 自由は 黙秘権を恥ぢとする。(レティサンスとは 別物である)。

9. ・・・


☆ よろしくご教授ください。

質問者からの補足コメント

  • №6つづき1

    ★ 2.「神さえ存在しなければ、人間の行為はすべて(革命や殺人行為ですら)許される」(「カラマーゾフの兄弟」)。
    ☆ いまNHKの《100分で名著》でやっていますね。

    ★ ここで問題になるのは「神がいるから(信じるから)人は自由なのか?」あるいは「神がいるから(信じるから)人は不自由であるのか?」という問題ですが、ドストエフスキーの思想では後者であるようです。
    ☆ わたしの質問の趣旨説明は かぎりなく前者に近いです。

    後者の弱点は 《不自由だ》という規定が 人間によって成されているところにあります。

    前者とて同じではないか? 

    つづく

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/11/13 15:22
  • №6つづき2

    イワンの思想の弱点は 《不自由だ》という規定が 人間によって成されているところにあります。

    前者とて同じではないか? 

    じつは《自由》だというのは 何も規定していないのと同じだと言えます。神――相対的な存在である人に対して絶対性――を前提しないなら 人間が経験世界の中で自分の思考能力によって勝手に規定しているに過ぎないのですが そうではなく《自由は 人間がつくったものではない》と言っているなら それは神のもとにあって 《何も規定していない》のと同じになります。

    だから 《自由であるから自由である》という愚にもつかないトートロジーで表わすしかない。


    《不自由だ》と 人・間・が 規定しうるなら 他の人が 《自由だ》と規定するのも 同じように認められます。主観が主観として何を思おうとかまわない。不自由だと規定する主観は じつは自由なのだと言おうとしている。

      補足日時:2021/11/13 15:29
  • №6つづき3

    この匿名さんの回答は おもしろいテーマでしたね。

    二つ目のドストエフスキーの件で おぎないます。イワンにしても:
    ★ 「神がいるから(信じるから)人は不自由であるのか?」
    ☆ と言っているではないか? という反論が予想されます。つまり 《神がいるから(信じるから)》という前提をはっきり言っている!!! と。

    これは 困るのですが まづ:
    ① 神の存在のもとに 人は自由
    ② 神の存在のもとに 人は不自由
    ③ 神は存在しないゆえ 人は自由

    ☆ と分けたとき 三つは じつは同じ内容です。絶対性なる神は 経験事象としての有る無しを超えていますから 前提条件が 同じであり 帰結も 相対性の世界を自由・不自由のいづれに規定しても ―― 一様にそうなら――変わりないんです。

    ところが:

    つづく

      補足日時:2021/11/13 15:49
  • №6つづき4

    ところが:
    ②a 神がいるから(信じるから)人は不自由
    ☆ の場合は 《いる》を思考している。《信じる》を思考しつつ条件としている。すなわち 帰結のほうも――その条件をあたまの中に入れつつ考慮しつつ――人間が 規定している。

    ということは 帰結の中の《不自由》は 必ずしも《一様にそうである》場合ではなくなります。

    ②b 神がいるから(信じるから)人は自由
    ☆ というふうにも 規定しうる。のではないですか? 

    すべては 《カラスの勝手でしょ?》となります。《主観の勝手》であり 主観主義です。m(..)m

      補足日時:2021/11/13 15:49
  • ☆☆ (№13お礼欄) ~~~
     ★ あの問題は
     ☆ 圭氏が 仕事がうまくゆかず 破れかぶれにならないかと心配しています。(なって 立ち上がることを期待するという意味でもありますが)。
    ~~~

    ☆ これは 恩人との面会が――解決金は解決しましたが―― ついぞわだかまりは消えなかったようなんで そう考えました。

    恩人が 一方的に婚約を解消したこと そしてあとで 打ち明け話をメディアに流したことを 圭氏は悲しんでいるそうです。恨みがあるようです。

    婚約者にお金を無心しつづけることには あやまちは無かったという認識だと見られます。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/11/14 05:28
  • №24つづき1

    ★ すでに地獄の底にいて、這い上がれないとわかっている。鼻をへし折っても無駄でしょうね。鼻をへし折っても、あの人はあの人のままでしょう。・・・あの人の人生はすでに終了しているのだと思います。ただ、肉体的に死んでいないから生きているだけではないか?自殺という手段がありますが、いかんせんNYの高級マンションではそれはできません・・・とにかく結婚生活はかなりの(極度の)不幸ではないかと・・・

    ☆ そうですね。
    ★ あの人の人生はすでに終了している
    ☆ 言えるかと思います。

    ただし かの人は 人間であると同時に 生命のチカラを発揮して 誰れ彼れにかかわらず 個人的にもメールを送ってくれていると思います。受け取るかどうか 読む(読める)かどうかですが 終了からのよみがえりも さづかるかも知れません。パウロの例があります。

    つづく

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/11/14 09:50
  • №24つづき2

    ★ あわれというか、かわいそうというか、とにかく悲惨な人に見えます。
    ☆ そうですね。以下は 割愛させてください。閲覧者は じっくり読んで考えるところをご自分でまとめると思います。

    恩人との面会のとき 一度もけっきょくニコッともしなかったそうです。心が凍ってしまっているのでしょうか。なかなかむつかしい情況なように思えます。


    ★ もう、この世にはあの人を救える人は誰もいないのではないかと・・・
    ☆ 言っちゃいましたね。

      補足日時:2021/11/14 09:51
  • みなさんへ。《人間は 自由の刑に処せられている》か。

    サルトルのこの命題をめぐって何かありましたら せっかくですから このスレッドに書き込みください。

      補足日時:2021/11/15 14:30
  • №46つづき

    ★ 同調圧力的な差別を無くしたい
    ☆ は 別種のおおきな問題です。



    ★ 白人の女の子が黄色人種だから手を繋ぐのを嫌がったのか?・・・
    ☆ 咄嗟の感覚的な判断でそうしたと考えます。発展途上の段階であると。


    ★ 自由って( ̄~ ̄;)なんだろうねぇ~
    ☆ 答責性をともなう我がままです。

    ★☆ 自由であるからこそ、自由である
    ☆ これは 理論の根拠を説明したものです。すなわち 無根拠に拠っていると。

    No.46の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/11/16 21:31
  • 補足スペースの最後ですが みなさんに問い求めます。

    《自由〔および平等〕》という概念だけをいぢって 次のように社会の制度を区別分類することができますか?

    α 民主自由主義

    β 自由民主主義

    γ 民主社会主義

    δ 社会主義

    ε 共産主義


    ☆ α の民主自由主義が 渋沢栄一の合本主義と呼応するかどうか いかがでしょうか?

      補足日時:2021/11/17 16:32

A 回答 (50件中21~30件)

キリスト教の神は創世のなかで、ヒトをも設計し創造している。

しかし、この聖なる神業=設計、ロードマップを無視して、実存、この世の俗なる存在を肯定し、人生の設計をなきものとし、人生を自力で切り開く、自己の有責性がある、つまり、自分で考え、自由を果たさなくてはならない。自由の刑に処せられているのです。
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この回答へのお礼

★ キリスト教の神は創世のなかで、ヒトをも設計し創造している。
☆ 絶対性なる神を 擬人化し――絶対者とし――さらにこれを物語化したとき 創世記なる作品が生まれたと見ています。

★ しかし、この聖なる神業=設計、ロードマップを無視して、実存、この世の俗なる存在を肯定し、
☆ ここ びみょうなように思います。

聖と俗といった二項対立は あくまで相対的な経験事象です。

(聖俗を超えた非経験の聖が 想定され得ますが 創造されたヒトの生としては 経験相対的です)。

何が言いたいかと言うと ルーターによれば この聖俗の二項をかかげて聖職者を上位に置くという差別が為されていることに異をとなえて 万人司祭だという説を打ち出した。

(これなどでも まだ《司祭》だとは言っているんです。
親鸞のばあいは 《弟子を持たず。みな同朋》だと言いました。
蓮如が これをやぶったようですが)。

《聖に対して 俗を肯定する》 と言っても 二項対立は 程度問題であり どっちもどっちです。あまり意味がないように思います。


★ 人生の設計をなきものとし、人生を自力で切り開く、自己の有責性がある、つまり、自分で考え、自由を果たさなくてはならない。自由の刑に処せられているのです。
☆ あぁ。実存思想に焦点を当てたコメントでしたか。そして その場合にしばしば指摘されるように 無神論が入っているというところを問うたご議論ですね。


そうですね。実存主義の――そう言っていいかどうかですが――素朴な内容は かなり普遍神の信仰のもとにあると思われるんですが。

すなわち 同じ普遍神についての《無い神》派というのは 神は 無条件・無根拠という意味での《無》と見ているわけです。(当人らは そうは言わないでしょうが そういう神観です)。

言いかえると 《ひとは無条件で無根拠にて自由である》という自由論と 実質的に同じ内容になるかと思われます。

〔身分制によって人の人生は一生決まっていたというような時代から抜け出してくると〕不安になりそこからは逃げ出したいと思うような自由 これのもとに人はある。
そこからの主体的な意志による判断と選択行為が俟っている。
そういった《刑務所》に拘束されている。
逃げ場はないんだと言っている。

――のではないかとは 思っているんですが。

お礼日時:2021/11/15 22:04

やっぱり、神は「勝手にしろ」って、云ってるんだね。

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この回答へのお礼

ふむ。うーむ。


でも カザリと樅の木との区別がありますよ。


一本 背骨は通っていますよ。



それに いつでも必要なときに メールを寄越してくれるサービスも 申し込めば OK だと思います。

お礼日時:2021/11/15 18:40

補足を読みました。


ブラジュ先生や英語先生方には単なる確認となる回答しか私は書けません。

サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」か?
について、ですが、もちろん「はい。そうです」となるかと思います。
人間は「自由である主人」であるよりも「不自由である奴隷」の状態を選ぶ。
「自由」とは「恐怖」「不安」の対象であり、人間は「自由を恐れる」。
これがエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」であるかと思います。
「自由には不安がつねに付きまとう」これがいわゆる実存主義かと。
この解釈で合っているのでしょうか?

日本の作家でいうと、安部公房などが上手に表現しているかと思います。

すみません。
当たり前の確認作業という回答しかできませんで・・・m(..)m

ところで、カミュの「転落」はまだ読了しておりませんが、どうやら聖書批判・クリスチャン批判がテーマのようです。
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この回答へのお礼

★ サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」か?
★ もちろん「はい。そうです」となるかと思います。
☆ そう思います。


★ 人間は「自由である主人」であるよりも「不自由である奴隷」の状態を選ぶ。
☆ という場合が けっこう多い――ということですかね。


★ 「自由」とは「恐怖」「不安」の対象であり、人間は「自由を恐れる」。
これがエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」であるかと思います。
☆ ですね。


★ 「自由には不安がつねに付きまとう」これがいわゆる実存主義かと。
この解釈で合っているのでしょうか?
☆ けっこう大きく軌道を決定するような選択に際しても 究極には自分ひとりで判断せねばならないですからね。


★ 日本の作家でいうと、安部公房などが上手に表現しているかと思います。
☆ あぁ。しぶいところ と言いますか。むつかしそうでもありますね。


★ すみません。
当たり前の確認作業という回答しかできませんで・・・m(..)m
☆ いいえ。せっかくの主題でしたから。自由から逃げるというのが 重要点であるかとも思います。

★ ところで、カミュの「転落」はまだ読了しておりませんが、どうやら聖書批判・クリスチャン批判がテーマのようです。
☆ この作家も びみょうですね。批評の答えを出さずじまいになっています。

お礼日時:2021/11/15 18:37

ブラジュロンヌさんの思う(タイトルの)自由は“躾”以前の状態を、云っているのではないでしょうか。



人間にとっては、犬にも通用する躾。これが不自由の始りでしょう。
で、あるならば自由という概念は、社会との関係に基づくものと云えます。

“社会”に入らなければ、皆、自由なのだから、社会の中の自由は、自由の度合いの話になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

★ ブラジュロンヌさんの思う(タイトルの)自由は“躾”以前の状態を、云っているのではないでしょうか。
☆ 人を食った言い方ぢゃないかとお怒りになるかも知れませんが:

〇 躾を受ける以前も以後も 理論としての――生まれつきそなわった自然本性としての――自由は 成り立つ。

☆ です。以後は やはりクリスマスツリーのカザリが加わる〔に過ぎない〕と見るからです。

けれども 樅の木としての自由は 身(感性)としても心(精神)としてもそなわっていると仮説しますから たとえばいわゆる《わがまま》といった――あまり褒めたことではないながらの――自由にも通じているはずです。

(カザリだけを切り離してしまうことは むつかしい)。

したがって:
☆☆ (№27お礼欄) 抽象的な内容である理論も 意外と 現実にフィットしているかと思いますよ。

☆ なにしろ 理論としての自由は 無条件にそうであり 無根拠にてそうであると仮説しているからです。


★ 人間にとっては、犬にも通用する躾。これが不自由の始りでしょう。
☆ いや それは 一概に規定することは やはりむつかしい。

カザリだからと言って すべて樅の木の自由を傷つけそこなうものだとは 言わなくてよいと思います。


自由に立脚し 平等を推し進めるとき これらを守るためのゆづり愛〔という努力〕は 人間の意志行為としてカザリの部類ですが 自然本性を磨き確立するのに役立つと思います。

(カザリとしてたとえば法律を施行した場合 その規定がかえって人間の自由を阻害する場合が無きにしもあらず。つまり 善意の振る舞いから事故を出したばあい 法律にしたがって罰則をあたえねばなりません)。



★ で、あるならば自由という概念は、社会との関係に基づくものと云えます。
☆ いや 理論においても 人は 個人であると同時に個人関係であるという側面をすでに持っています。社会的関係でない個人はいませんから。

つまり 個人がそれぞれ自由であり この自由が互いにひとしいとき 平等が成り立つ。ゆづり愛は 自由平等を守るために帰結されるということが 理論であり 実際の振る舞いは 実践編になります。


★☆ “社会”に入らなければ、皆、自由なのだから、〔☆ 実践編として〕社会の中の自由は、自由の度合い〔☆ =カザリの巧拙〕の話になる。

お礼日時:2021/11/15 08:53

人間は不自由な生き物である。


生物は皆、制約の範囲内で生きざるを得ない。

人は、この世に産み落とされた瞬間から、自然と云う“制約”の中に身を置く。
不自由極まりない。
思えば、母の胎内の方が“自由”であったか?

ブラジュロンヌさんの“自由論”は、逆転さん好みかもしれません。

☆ 人間の根本的な自由と、 人間社会の中の自由との区別は、有りますか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 人間は不自由な生き物である。
生物は皆、制約の範囲内で生きざるを得ない。
☆ そうです。そして その制約の範囲内でながら 選択が自由である。


★ 人は、この世に産み落とされた瞬間から、自然と云う“制約”の中に身を置く。
☆ 身(感性)も心(理性)も 有限であり おまけに移ろいゆかざるを得ない。

だからなのか ひとは 無限や絶対性を想定するようになった。ただし この絶対性は 別に人間がつくったわけではない。有限・相対性のあるところ 必然的に想定されざるを得ない。

したがって人は 《有限 ‐ 無限》の或る種の構造を持って生きている。


★ 不自由極まりない。
☆ または いかにも《相対性 - 絶対性》なる構造のようなものは 不思議である。


★ 思えば、母の胎内の方が“自由”であったか?
☆ あぁ あの頃は身は安全で 栄養をたらふく食っていたよなぁ――ってな話ではないよね。


★ ブラジュロンヌさんの“自由論”は、逆転さん好みかもしれません。
☆ ん? そうですかね。


★  人間の根本的な自由と、 人間社会の中の自由との区別は、有りますか?
☆ これは――すでに触れてきていますが―― 理論と実践編との或る種の仕方による区別になるかと思います。

抽象的な内容である理論も 意外と 現実にフィットしているかと思いますよ。

お礼日時:2021/11/14 16:48

ヘルマンヘッセの車輪の下‼️を読みたまえ‼️(* ̄∇ ̄*)

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ううーむ。何十年も前の昔ですからねぇ。・・・

鍵語だとか ヒントは何もなしですか?

お礼日時:2021/11/14 12:06

悪いこと、えげつないことは


理性の働き

Σ(゜Д゜)名言ですね

粗暴な振る舞いなんかは、感情が働きかけてるからこそ

確かに理性ですね

自由を感じるのは感情であって
自由ってのは理性では掴みきれない

でも、意識しないことには自由は理解できない

ここら辺のバランス感覚が自由には求められるのかも

個人の心から感じる自由だけど
自由を理解するにも理性はいる


圭さんの話題は、あえてスルーしますね( ^∀^)(笑)
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この回答へのお礼

★ ~~~
悪いこと、えげつないことは
理性の働き

Σ(゜Д゜)名言ですね
~~~
☆ ですか? 確かにそう思います。


★ 粗暴な振る舞いなんかは、感情が働きかけてるからこそ
☆ ですから 衝動的行動と計画した確信犯との違いのような。

あらかじめの計画は:
★☆ 確かに理性ですね

★ 自由を感じるのは感情であって
自由ってのは理性では掴みきれない
☆ 至言ですね。理性は 定義を与え 建物の骨格をつくります。

★ でも、意識しないことには自由は理解できない
☆ 特に他人(ひと)への伝達は むつかしい。


★ ~~~
ここら辺のバランス感覚が自由には求められるのかも

個人の心から感じる自由だけど
自由を理解するにも理性はいる
~~~
☆ 感性の原野をとおして〔良心が生命体としての〕自由を知覚させてくれますが この内容を伝えるには 理性による思考の緑野(ないし 田園都市など)の形成が 必要でしょうね。



★ 圭さんの話題は、あえてスルーしますね( ^∀^)(笑)
☆ また どうぞ。

お礼日時:2021/11/14 10:00

まあ、あの人はわしやさんの仰るとおり「人を引き付ける何かがある」とは私も感じておりました。

しかし、あの人自身はそれで苦しみ、悩んでいる、寄ってくる「かまってちゃん」をうざいと感じているから洞窟に一人閉じこもっていて、なかなか出てこない。だから、世間で揉まれた経験がないのではないか?
坊ちゃん育ちに見えるのはそういう洞窟の中に閉じこもり続けているからでしょうと私は観察している分には思えます。あるいは自分に嘘を常についているパフォーマンスか?

「洞窟に閉じこもっていてはだめだから、お話をしましょう」と声がかかる。あの人はおそらく優しい人のため、内心は「放っておけよ」と思いながらも、「ちっ!仕方ねえな」という想いで、適当に表面上だけ会話をする。そして、相手の自尊心をきちんと満たしてやり、喜ばせる。しかし、あの人の話を聞いた人ははじめは安心しても、しだいにあの人を傷つける発言をする。調子にのって。騙されているとも気づかず。だから、繊細なあの人はまた洞窟へと戻っていくのだと推測いたします。

おそらく眞子様のことも愛していないでしょうね。金目当て。というか、あの人はたぶん誰も愛していないし愛したことがない。愛している振りをしているだけ。そして、そういう自分を「人間の最低のクズ」と自覚しているため、「生きている価値さえない」と絶望している。すでに地獄の底にいて、這い上がれないとわかっている。鼻をへし折っても無駄でしょうね。鼻をへし折っても、あの人はあの人のままでしょう。変わらない、そして、もう変われないと思います。あの人の人生はすでに終了しているのだと思います。ただ、肉体的に死んでいないから生きているだけではないか?自殺という手段がありますが、いかんせんNYの高級マンションではそれはできません・・・とにかく結婚生活はかなりの(極度の)不幸ではないかと・・・

あわれというか、かわいそうというか、とにかく悲惨な人に見えます。

ところで、あの人は「人を愛せない」から逆説的な言い方になりますが、「人から愛され憎まれる」のでしょうか?そして、あの人は残酷で冷酷でやさしいのでは?

芸能事務所はあの人を利用できるかも知れませんが、あの人はただ、金さえあれば有名になりたくなかったと思います。マスゴミはうざいし、いろいろなストレスを抱えることになるからでしょうね。芸能人になることは絶対にないと推測いたしますし、いまのままではたしかにブラジュ先生の仰る通り「気持ち悪い」人です。通用するとしたら「お笑い」ぐらいでしょう?

不正受給云々は不正ではないでしょうね。最悪な親子関係の中で生育され、なんらかのもう治る見込みのない精神的な欠陥・致命傷を負っている状態だと思われます。もう、この世にはあの人を救える人は誰もいないのではないかと・・・

以上、個人的な勝手な推測になりますが、私もあの人には関心があり(特殊な人という意味で)一言参加してみました。すみません・・・それでは私は引っ込みます・・・ありがとうございました。m(..)m
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ まあ、あの人はわしやさんの仰るとおり「人を引き付ける何かがある」とは私も感じておりました。しかし、・・・
☆ わたしの感覚では そのような魅力をふくめての人間性は そうする人にはそうされるべく《あわれみを呼ぶ》代物だと思えます。


★ 坊ちゃん育ちに見えるのはそういう洞窟の中に閉じこもり続けているからでしょうと私は観察している分には思えます。あるいは自分に嘘を常についているパフォーマンスか?
☆ つまり しかるべく接して行こうとする人の場合には 要するにアース役になろうと――ほとんど意識せずに――しているのだと見たいのです。


★ 「洞窟に閉じこもっていてはだめだから、お話をしましょう」と声がかかる。
☆ いや それは ただの説教です。つまらない と少なくともこのスーパーアマテラス(アマアガリ・シンドローム状態)には 映るでしょう。

以下も同じく わたしの観点のみをフィーチャーするかたちで応答しますが。

★ あの人はおそらく優しい人のため、内心は「放っておけよ」と思いながらも、「ちっ!仕方ねえな」という想いで、適当に表面上だけ会話をする。そして、相手の自尊心をきちんと満たしてやり、喜ばせる。しかし、あの人の話を聞いた人ははじめは安心しても、しだいにあの人を傷つける発言をする。調子にのって。騙されているとも気づかず。だから、繊細なあの人はまた洞窟へと戻っていくのだと推測いたします。
☆ ここは びみょうです。複雑です。

中で:
★ 適当に表面上だけ会話をする。
☆ というのは すでに習い性となり癖になっているかとわたしも思います。

欲している状態は ひとが自分を補佐して事務的なことは一切こなしてくれて 自分はあれこれ指図する立ち場にあることではないですかねぇ。


★ おそらく眞子様のことも愛していないでしょうね。金目当て。というか、あの人はたぶん誰も愛していないし愛したことがない。愛している振りをしているだけ。そして、そういう自分を「人間の最低のクズ」と自覚しているため、「生きている価値さえない」と絶望している。
☆ すごい。すごいなぁ。


つづく

お礼日時:2021/11/14 09:48

お礼ありがとう御座います



だと思いましたよ

語り足りなさそうだったので
(  ̄▽ ̄)にっこり

そうそう
差別とは感情と関連するものである

なら、差別を無くすなら感情を無くすべきなのか?

それだと人とは呼べない生き物になってしまい


自由なんかも、感情があるからこそ
確認できますもんね


ちと、余談を交えて再回答させてもらいましたよ

良い感情!悪い感情!てな分け方をしだすと

それはまた、( ̄~ ̄;)人の在り方に変化を生み出す


とどのつまり、感情あっての人間なんだけど!

感情に支配されてしまうのは人間とは呼べないとも言えますもんね

差別をする人ってのも
喜んで差別してる人なんて、ごく一部であって!
差別するほう、されるほう
たいていは、悲しい気持ちになりますもんね
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この回答へのお礼

★ ~~~
だと思いましたよ

語り足りなさそうだったので
(  ̄▽ ̄)にっこり
~~~
☆☆ (№22お礼欄)
いや かれの場合は 特殊です。一万人にひとりくらいではないですか。

☆ などですね。



★ ~~~
そうそう
差別とは感情と関連するものである

なら、差別を無くすなら感情を無くすべきなのか?
~~~
☆ これは ふるい議論ですよ。いわゆる煩悩からの解脱には 感情ないし欲望を滅するのだなどとという生半可なさとりです。

龍樹(ナーガールジュナ)なんかが 批判しています。のに いまだに《滅私や無私の精神あるいは 則天去私》が持ち出されます。

★ それだと人とは呼べない生き物になってしまい
☆ ます。


★ 自由なんかも、感情があるからこそ
確認できますもんね
☆ 道草を喰っていて ふと何となくこの道を逸れて奥へすすんで行ってやろうかと思ったとき 胸騒ぎがするというのがヤマシサ反応です。

これは 感性が真っ先に知らせてくれるということです。理性が恥ぢを意識する前に 良心のハタラキとして――天与のこととして――起こります。

つまり 生命体としての自由に立ち戻りなさいと。




★ ~~~
良い感情!悪い感情!てな分け方をしだすと

それはまた、( ̄~ ̄;)人の在り方に変化を生み出す
~~~
☆☆ (№10お礼欄) ~~~
〇 図1
信じる:非思考の庭・・良心;    ヒラメキ
ーーーーーーーーーーーー↓ーーーーーー↓ーーー
感じる:感性の原野・・ヤマシサ反応; 直感
考える:思考の緑野・・恥ぢの意識;  直観
~~~


★ ~~~
とどのつまり、感情あっての人間なんだけど!

感情に支配されてしまうのは人間とは呼べないとも言えますもんね
~~~
☆ けれども わるいこと・えげつないことを企むのは じつに理性ですよ 一般に。

感情の欲望は 素朴にその欲を延ばしてむさぼりに入るのみです。

理性が あいつを巻き込み利用してやろうと企みます。


★ 差別をする人ってのも
喜んで差別してる人なんて、ごく一部であって!
差別するほう、されるほう
たいていは、悲しい気持ちになりますもんね
☆ いや 中には ほくそえんでいる者もいるでしょうね。

結婚会見での圭氏は どうも勝ち誇っている気持ちを抑えるのにたいへんそうでしたよ。(感じですが)。

お礼日時:2021/11/14 09:15

小室さんの鼻が折られたときに


色んな答えが出そうですね

折れないように補強する人も出てきそうだけど

挫折や失敗は!人の肥やしって
言われますもんね

折らないと発言はΣ(゜Д゜)とはしたけど
こればっかりは、願うのも変な話であって!
折れないに越したことは無いけど
ジレンマですねぇ~

色んな事を話すのは自由であって
その自由を担保してるのが

誰か個人を陥れる為では無いことを
ここに記載しときますね

楽しい時間、ありがとうございました
(^人^)感謝
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この回答へのお礼

★ 小室さんの鼻が折られたときに
色んな答えが出そうですね
☆ いや 分かんない。

★ 折れないように補強する人も出てきそうだけど
☆ それは 解決にはならないでしょうね。

★ 挫折や失敗は!人の肥やしって
言われますもんね
☆ いや かれの場合は 特殊です。一万人にひとりくらいではないですか。


★ 折らないと発言はΣ(゜Д゜)とはしたけど
こればっかりは、願うのも変な話であって!
折れないに越したことは無いけど
ジレンマですねぇ~
☆ 婚約し結婚が成った時点で 勝利に酔ったでしょうね。ひとまづ。

不合格については 半分 心細くなっているはずです。

こんどダメだったら それこそあなたの言う芸能人コースかも。

でも よけいにダメ出しをされるかも。圧力やメディアの自粛がなければ。



★ ~~~
色んな事を話すのは自由であって
その自由を担保してるのが

誰か個人を陥れる為では無いことを
ここに記載しときますね
~~~
☆ いえ わたしに言わせれば 何をやるにも 自由度としては排除されていません。生命体からのチカラがよみがえって ひとの自由は侵さないという心根が坐るんでしょうね。


★ 楽しい時間、ありがとうございました
(^人^)感謝
☆ ありがとうございました。

【Q:差別】からスピンオーフした質問でした。

お礼日時:2021/11/14 08:23

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