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死ぬことを「天国へ旅立つ」とか「虹の橋を渡る」と表現することが嫌いなのですが同じ方はいますか。
理由はまるで死という言葉を忌み嫌っているように感じるからです。

A 回答 (6件)

>死という言葉を忌み嫌っている



まさにその理由です。大半の方は死を直接的には表現しません。
性にまつわる言い換えが大量にあるのも同じ理由です。

直接表現を避けること自体は、別によいと思います。
場合によっては役立ちます。親を亡くしたばかりの方に「死んじゃったね」はないでしょう。
私は何でも直裁にやりたいタイプですが、「旅立つ」「先立つ」「鬼門に入る」くらいは理解します。

ただ、「虹の橋を渡る」は大嫌いです!!ゾワゾワします。
死は悲劇ですが、その実ありふれている。
命あるもの、必ず最後は死ぬんだから。
死を受け止めるのもまた愛です。
きれい事で包んで単に死から目を背けているだけに見える。
幼児じゃあるまいに、何が虹の橋だ、お星様だと思います。
シンプルに「亡くす」で十分、配慮がある。

なお、アクアリウムの世界では、魚が死ぬことを「★になる」と言う人がけっこういます。
アクアは難しいので魚の死は珍しいものではありませんが、水槽内で起きたことは完全に飼い主の責任なので、私は「殺してしまった」「死んでしまった」と言います。
それが誠実だと思っているからです。言葉は使いどころと意味が大事ですよね。
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それをいうなら


天国なら気分いいでしょう。
これが地獄となると
悪人の行く所
天国は善人の行く所
という使い分け
進む世界の分かれ目
あるのかと

地獄とは虐める鬼の住処かと

努めて
善行を行い、死後は天国行きたい
悪行すれば地獄行くの

神様、
私はどっちにいくのですか。

天国というから上にあるの。

地獄という事は土の下かな

天上に行くのか
地下に行くのか。

どっちかといえば天国行きたい気分になりませんか。
それとも地獄落ちたいですか。

さあ、どっちなんでしょうね。

ほかにも
黄泉の国とか
夜見の国とか

虹の橋を渡るというと

よく子供に話すとき、
虹の橋はどこにあるのと
聞かれて
虹の橋の入り口と出口は
あるのとか
聞かれて悩む親御さん
いなかったかな。

ほかにも
「雲の階段上る」とかいう表現もあるね。

まあ
「帰ってきた酔っ払い」
は作り話。

人は死んだら生き返りません。

だから死ぬのは現世未練で
悔いなく生きように
なるのでしょうね。

嘘ついて
閻魔様に
舌抜かれぬようにね。

痛いだろうなあ。
舌を抜かれる時の気分

ああ、ぞっとする。

別府に行って
血の池地獄とか
閻魔堂に行って
地獄の絵や法話を聴くと
奇妙な気分になる。
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死と言う言葉を忌み嫌う訳ではないですが、私は葬儀の挨拶等の場で話す時には死と言う言葉では無く黄泉の国へ旅立つと言う様な表現をしますが。

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犬、猫など愛玩動物は「虹の橋を渡る」と表現することが多いですね。

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この回答へのお礼

申し訳ありませんが、アスナロウさんの文章は質問に対する回答になっていないと思います。

お礼日時:2021/11/29 20:12

「死という言葉を忌み嫌」うのは致し方ないと思いますが、「虹の橋を渡る」は、いかにも歯の浮くような表現。


つまり、あまりに気障すぎるという点で死を冒とくしているような印象すら受ける。

「天国へ旅立つ」は、まだ良い方でしょう。
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聞く方も「死ぬ」という言葉は聞きたくない。

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