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武士は切腹の際に 痛みを和らげる為に、前もって 何か処置を、行ったのですか?

A 回答 (8件)

武士が切腹の際に 痛みを和らげる為に、前もって 何か処置をすることはありませんでした。

 切腹の起源そのものは、平安時代に遡ります。 ただし、近世に入るまでは、あくまで自決の一手段に過ぎず、武士としての『名誉な死に方』という概念はありませんでした。 切腹が名誉な死とされ、介錯が付くようになったのは、戦国時代の備中高松城での戦いが最初でした。
豊臣秀吉が水攻めを敢行した、岡山県の城です。 このとき秀吉は【本能寺の変】を知って慌てて畿内へ戻らねばならず、急遽、敵の毛利方と和睦を果たすために出した条件が、同城主・清水宗治の自害でした。 宗治は水上に船を出してその場で潔く腹を切り、介錯人に首をはねられました。
これには秀吉をはじめとする武将たちは大いに感銘。以降、切腹は『名誉な死に方』とされるようになったと伝わっています。

そんな切腹ですが、江戸時代に入って武士の処刑法として定着しますと、同時に作法も確立されていきました。 切腹人が腹を一文字に切ったところで介錯人が首を落とすのがスタンダードでした。 時代が下って江戸中期に入ると簡略化され、切腹人は短刀ではなく扇子を使い、その扇子に手をかけようとした瞬間、介錯人が首を落とすという方法が一般的になりました。
なぜこんな方法になったのかと言うと、『切腹だけだと、痛くて苦しい上になかなか死ねない』からです。
出血多量で早目に死ぬには「腹部大動脈」を切れば良いのですが、腹部大動脈は背骨の横あたり(腹側から見るとかなり深い部分)を走るため、傷をつけるには相当な気合が必要です。
また、中途半端に腸を斬ると即死はせず便が漏れ出し、腹膜炎→敗血症で相当悲惨な死に方をしてしまいます。それも数日かけてです。
そのため、もしも介錯なしで切腹する時には、ある程度刀を刺したところで、今度は喉に持っていき、頸動脈を掻き切って死ぬ場合が多かったようです。
喉元なら走行が浅いので、即死に近い状態で死ねます。

なお、戦国時代末~江戸初期までは、介錯人が付かずに自力で切腹した人も多くいたようで『腹を十文字に切り裂く・十文字腹』や『内臓を掴み出す・無念腹』といった過激な方法も残っております。

織田家の重臣だった柴田勝家が秀吉に賤ケ岳の戦いで敗れ、切腹を命じられた時、ハラワタをひきちぎって、秀吉に投げつけたと言われています。
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何もやっていません。



昔は本当に十文字に腹をかっさばいていたのです。
苦しむのをすこしでも和らげるために介錯人という制度ができました。
そのうちに、短刀でお腹を切る寸前で介錯するというかたちになり、江戸後期では短刀のかわりに扇子を用いる切腹もあったようです。

まえもっての措置という事では切腹人は身を清めるために沐浴や髷のかたちをかえたりしたそうですが、痛みをおさえる処置はやっていません。

もっとも、お腹を切る前に介錯されるのでしたら痛さすら感じないでしょうね。
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苦しまない様に、「介錯」してるんです。

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何もやりません。



ヤクザは指を落とす前に
覚せい剤をやるみたいですが。(未確認)
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短刀をよく研ぐ。



切腹の死因は出血性ショック。
多量に血液が血管から出ないと、ショックは起こらない。
そのために、よく研いで切れるようにしておく。
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切腹する人が切っ先を腹に触れた瞬間に、首の皮一枚残して切り落とす


これが腕の良い介錯人という尺度でした

痛みを感じるような暇を与えないのです
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しません。

ですから介錯するのです。
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前もっては分からないですが介錯する人はいたはずです。


腹を刺したあとずっと苦しまないように首を切り落とすための
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