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柳田國男の鴨と哉の内容を教えてください!
古い言葉が使われていてよく意味がわかりません、

A 回答 (2件)

鴨と哉、



鴨は詠嘆の助詞「○〇かも」のこと、意味は「○○なんだなあ」
百人一首にある、
 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
 の「かも」は現代語の「かもしれない」の略ではないのです。
柳田國男は、この「鴨:かも」は、死語になって「哉:かな」にとって代わられた。「哉」も消え去ろうとしてるのかを、ここで議論しているのです。「哉」は短歌、俳句以外ではほとんど死んでいるが、現代人でも「ああ絶景かな」とか「幸 ひな る哉 」とかで使ってはいる。だから、まだ死んではいない。死んでるのであれば、入れ替わるべき新しい言葉が出て来るはずだ。ということのようです。
 鴨と哉を継ぐ言葉が創造性に富む若者言葉に出てこないか、気になるところです。ひょっとして既にある?知ってる人は教えて!!!
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鴨 と 哉   柳 田 國 男



           I
 私 の話 は、思 ひ切 つて問題が小 さい。少 年の頃か ら抱 いて居 た不
審で、今なほ誰か ら も説明 して もらへ ない ことは、 ど うして和歌 と
俳諧の發句 とにばか り此様 に 「哉 」が多 く用 ゐ られ 、文 章や演説と
なるとそれ が省み られ ないのだら うか。 それ に件 なうて今一 つ、 ど
うして萬葉 以前 には 「鴨」 ばか りが盛んで、古今集 か ら此 方 は是 が
皆 「哉」 に なつて居 るの か。 この二 つの疑 問は、子供 で もす ぐに
抱 き、 しか も老人で も答 へ ることが 出來 ない 。小 さいかは知 らぬ
が 自分 などの一生 を支配 したか ら、少 な くとも長い とは言 へ る。
さうして明 か に是は言語學 上の問題 であつた 。試 みに次のや うな方法
を以 て、是 に近 よつて見ては如何 であ ら うか。結 論 の賛成 を求 める
前 に、先 づ此點 を御相談申 したい ので ある。
 斯ういふ問題 に當面 す るたび に、順 序 として私 たちが先 づ考へ て
鴨 と 哉は知 らぬが 自分 などの一生 を支配 したか ら、少 な くとも長い
とは言 へ る。さうして明 か に是は言語學 上の問題 であつた 。試 みに次
のや うな方法 を以 て、是 に近 よつて見ては如何 であ ら うか。結 論 の
賛成 を求 める前 に、先 づ此點 を御相談申 したい ので ある。
斯 ういふ問題 に當面 するたび に、順 序 として私 たちが先 づ考へ て見ようとす るのは、「哉」が所謂古 語 もし くは死語 であ るか否か であ る。
古い形 の歌俳諧以外 には、 もはや我 々の 日本語 では無 いのか ど うか。 も しも亡 びた語 だとす ると、「鴨」 の代 りに 「哉」 が出來 たや うに、何か必 ず是 に代 るべ き次 の語が無 けれ ばな らぬが、 それ は現在 の
どういふ語 に當 るので あ らうか。外國 人で無い限 り此答 には苦 しまぬ
筈 であ る。二通 りの答 が兩立 し得 るや うに私 は思ふ 。その一 つ は 「か な」必ずしも全く絶滅 しては居 ない 。少 な くと も近い頃 までは之 を常用す る人 が居 た。三馬 の浮 世風 呂では婆 さん が 「いや な ことか
ないや なことか な」 とい ひ、 山門五三 の桐 の石川 五右衛門 も、たしか 「ああ絶 景か な」と謂 つて居 るのみ な らず、私 た ちで も稀 には會話
の調子 を出す爲 に、「幸 ひな る哉 」 など 、謂 つて見 るこ とが あ る。たゞ 十 年前 まで の俳句見たや うに、極度 の濫用 をせぬだけで ある。第 二の答 としては代 りも既 に出來て居 る。話 に 「か な」 を使ふ のはあ ま りに古風 だ と思 ふ者 は上方 で なら 「 ようとす るのは、「哉」が所謂古 語 もし くは死語 であ るか否か であ る。古い形 の歌俳諧以外 には、 もはや我 々の 日本語 では無 いのか ど うか。 も しも亡 びた語 だとす ると、「鴨」 の代 りに 「哉」 が出來 たや うに、何か必 ず是に代 るべ き次の語が無 けれ ばな らぬが、 それ は現在 の どういふ語 に當 るので あ らうか。外國 人で無い限 り此答 には苦 しまぬ筈 であ る。二通 りの答 が兩立 し得 るや うに私 は思ふ 。その一 つ は 「か な」必 ず しも全 く絶滅 しては居 ない 。少なくと も近い頃 までは之 を常用す る人 が居 た。三馬 の浮 世風 呂では婆 さんが 「いや な ことかないや なことか な」 とい ひ、 山門五三 の桐 の石川 五右衛門 も、 た しか 「ああ絶 景か な」 と謂 つて居 るのみ な らず、私 た ちで も稀 には會話 の調子 を出す爲 に、「幸 ひな る哉 」
  引用中断
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo1939/1 …

 以下は上記サイトにて読んでください。「かも」と「かな」という感動の終助詞に付いての考察です。こんあ長文を読んで回答せよとは、ずいぶんな質問ですね。 正気なの?
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